6.リヒラテラ
第1話 金色の娘①
ミベルサ大陸の東部にあるフェルディス帝国。
その領土の広さ、人口の多さから最強と目される国である。
都カナージュだけでも10万を超える軍勢が常時待機しており、国土全土では80万を超える軍を動員することができるとも言われている。例えばナイヴァル国など領土は広いが、生産力の差から逆立ちしても10万も編成できないであろう。
帝国と呼ばれてはいるが、当人達は「皇帝」と称しているわけではない。正式名称は「諸王の王」である。当初は多くの民族に分かれており、それぞれに王がいてその頂点に立つのが「諸王の王」であるという扱いであった。その後、それぞれの民族の長は公爵や侯爵という地位に格下げとなっていたが、「諸王の王」という呼び名はそのまま残り、他国からは皇帝と称されるようになったのである。
769年時点でのフェルディス皇帝は33歳のアルマバート・バフラージ・フェルディスであった。
11年前に即位して以降、まずまず順調に国家を治めている。その配下には文では宰相ヴィシュワ・スランヘーン、外務大臣トルペラ・ブラシオーヌがおり、武ではミベルサ最強と目されているブローブ・リザーニ、リムアーノ・ニッキーウェイといった優秀な人材を擁していた。
とはいえ、フェルディスも盤石というわけではない。
しかし、北については解決していた。
これまで、ソセロン地方で多くの軍閥が相争っているという問題を抱えていたのであるが、二年前にイスフィート・マウレティーを支援することとしたのである。有能な王イスフィートは一年の間にソセロンを九割方統一している。
この後、全土統一を達成したとしても、次は西方にあるイルーゼンを攻撃することで密約も成立していた。
よって、隣接している四か国のうち二国について不安が解消されていた。
残るうち南のディンギア地方とは山脈で閉ざされている。
従って、問題は西のホスフェのみとなっていた。
そのホスフェとの間には、盗賊団を巡る対立があった。
フェルディスの西境にある主要都市パルシェプラから、ホスフェ東部のリヒラテラまではおよそ120キロほどであり、数日ほどかかる距離である。この距離の間に、両国国境を巧妙に行き来する盗賊団がいつくようになった。フェルディスを荒らしてはホスフェに逃げ込み、次はその逆を行うという具合である。
フェルディスは解決を求めて、ホスフェ領内への通行を求めたが、ホスフェは当然拒絶した。
この対立にはホスフェとフェルディスの領土観の違いもある。
民主政のホスフェでは領土は一寸たりとも渡せるものではないが、諸王の王という立場のフェルディスはそうした立場を取らない。ホスフェ元首も諸王の一人という認識、「諸王の王」は絶対である。
従って、盗賊問題を解決しようとせず、フェルディス軍の通行も認めないホスフェの態度は、フェルディスにとっては宣戦布告にも等しい。
「通行を許せないのであれば問答無用で通過して、自分達の手で盗賊団を退治すべき」という意見が広まっていた。
ブローブ・リザーニは45歳。16歳で初陣を飾った後、30年近く北のソセロンを中心に活動をしていた。その傍らで西側の戦闘にも参加しており、ミベルサで最も経験豊富な指揮官と目されていた。
皇帝アルマバートに呼ばれ、今回も西部侵攻の指揮官役を仰せつかる、はずであったが、そこに若干の議論が生じた。皇妃モルファの弟マハティーラの存在である。
現在19歳のマハティーラは未知数の存在であるが、アルマバートは皇妃モルファを寵愛しており、その弟たる若者もどうにか活躍させたいという思いがあった。
ということで、皇帝はマハティーラを総大将として立てたいという希望を述べたが、フェルディスの誇る二大政務家・ヴィシュワとトルペラが反対した。
「マハティーラ様を指揮官とした場合に、功績にはやって予期せぬことを起こしてしまう可能性があります。今度の出兵の目標はあくまで盗賊団の討伐であり、ホスフェが協力するのなら懲罰をかける必要はありませぬ」
マハティーラが戦功にはやって、ホスフェで余計な戦力をふるうのではないか、そういう危惧から反対したのである。
アルマバートもこの両名の反対を押し切って身内を贔屓したいとは思わないし、国民からの反感を買いたくもない。かくして、マハティーラはカナージュに残ることとなり、いつも通りにブローブ・リザーニが総指揮官に任命されたのである。
もっとも、そのブローブも通例とは異なることを申し出た。
「ヴィルシュハーゼ伯爵の娘を連れていきたい?」
皇帝アルマバートが唐突な要請に目を見開く。
ヴィルシュハーゼ伯爵家は北部のブネーを治めている中規模な家である。
「確か、まだ15ではなかったか?」
「15ではございますし、女性ではありますが、中々見どころのある者だと聞いております。元々、ヴィルシュハーゼ伯爵家はフェルディスの中でももっとも精強と言われたウルディア王国の血筋。現当主アクバルは病弱でその強盛さを発揮できておりませんが、娘にはその力があるのではないかと思います」
「なるほど…」
皇帝は両側に控えるヴィシュワとトルペラに助言を求めた。
「大将軍(ブローブ)の要請であれば問題ないのではないかと」
ヴィシュワが応じた。トルペラも反対はしない。アルマバートも頷いた。
「分かった。好きなようにせよ」
「ありがとうございます」
ブローブは恭しく頭を下げた。
謁見の間から下がり、ブローブはハルダーナ宮殿を出ようとしていた。そこで長身の若者と相対する。
「これは大将軍」
南西部を治めるニッキーウェイ候リムアーノであった。現在22歳であるが、既に北部での戦いには何度も参加しており、勇名をはせていた。大陸全土という観点ではレファール・セグメントの華々しい活躍ぶりに圧倒されているが、フェルディス国内では重鎮の一人となっている。
「正式にホスフェ侵攻の命を拝した。ニッキーウェイ候、此度もよろしく頼む」
「分かりました。大体いつものメンバーですかな?」
数年前から北に行くときはほぼ同じメンバーである。今回もそうか、という確認であった。
二人は共に足を止め、廊下の脇で話を始めた。
「うむ。ただ、今回はあの娘を連れていきたいと考えている」
「ああ、ヴィルシュハーゼ伯爵の娘ですか…」
「今後、フェルディスが西に進むとなれば、ヴィルシュハーゼ軍を欠かすことはできない」
現状であれば、フェルディスはもっとも人材の豊富な国である。しかし、今後、版図を更に広げるとなると、より多くの人材が必要となるし、より多くの軍事力が必要となる。
「大将軍はその娘のことをご存じですか?」
「ご存じというほど知っているわけではない。三か月前に一度会っただけであるが……」
その時のことを思い出したのか、ブローブは顔をしかめる。
「金色の髪が見事なまでに美しいのだが、はっきり言ってしまうと、不気味な娘であった。心がないとでも言うのかな、あの年齢であそこまで何もない目を見たことはない」
「……確か、半年ほど前に姉を殺されたと聞いておりますが」
「うむ。それまでも無口な娘だったらしいが、その一件以降は更に無口になったらしい。アクバル自身、娘は心が壊れたのではないかと危惧するような手紙を寄越してきたこともある」
「アクバル殿も精神面に怪しいところがありますからね……。ちょっと危険では?」
「危険なら危険で、ヴィルシュハーゼ軍の管理を誰か別の者に任せる措置をとる必要があるだろう。幸いホスフェは北のソセロンの連中ほどは強くない。一度、試してみるにはいい相手と思わぬか?」
「なるほど。そういう考えですか。それならば、私があれこれ言うことではありません。大将軍の思いのままになさるがよろしいかと思います」
リムアーノも納得したようで、奥を指さす。
「私も些末なことでございますが、宰相に用がありまして、これにて失礼いたします」
「うむ。来月以降、よろしく頼む」
ブローブは外へと向かっていった。
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