第5話 レミリアとノルン③
ミベルサ大陸の南東はディンギア地方と呼ばれている。北東のソセロン地域と同じくこの周辺は多くの部族が相争う未開の地として知られていた。
そんな状況を嫌って、海を渡ってコルネーに向かう者も多い。例えばレビェーデ・ジェーナスなどの一派はその典型例である。
陸路ではホスフェとのみ接している。単純な地理面では北側でフェルディスと接しているが、フェルディスに行くためにはナッケド山脈を越えなければならない。これは現実的に無理であろうと思われていた。
その繋がっているホスフェとは交易のやりとりもある一方、軍事的な諍いもあった。ディンギアは諸部族が争っているような場所であるため、少し勢力が強くなれば、ホスフェの平地に攻め込み、略奪することを目論む。
今もまた、ディンギアのある部族がホスフェ周辺まで勢力を伸ばして、示威活動を示していた。
ホスフェ南部にあるフグィの市長ビルタ・ティクリは元老議員バグダ・テシフォンと漁師ギルドのリーダーであるグライベル・ビーリッツの間に立って活動することが主であり、当然、防衛に際してもこの両者の意見を仰ぐことが多い。
バグダ・テシフォンは前年にグライベルの息子ラドリエルに勝ち、三期目の元老院議員を務める男であり、現在44歳。漁業と武器産業が中心のフグィにおいて、一方の武器産業の実力者である。
バグダにとってはディンギアの攻撃は、自分の基盤である武器産業の需要が高まるという点では利点はある。しかし、ディンギアの面々は精強であるので、迂闊に戦うと被害も大きい。となると、漁師ギルドの協力も受けなければならない。漁師に武器を渡して、海岸から攻撃してもらおうというのである。
このため、フグィの両雄は、選挙の度に相争う関係にはあるものの、相手がいなくなると色々困るということで比較的友好的な関係を築いていた。
「今回もよろしく頼みます」
市長が二人に頭を下げて、状況を説明する。
「今回もいつものように……と行きたいところなのですが、ここ一、二年のフェルディス帝国の圧力もありまして、兵士の多くがオトゥケンイェルの方に取られております。そのため、兵力的に不安があります」
「オトゥケンイェルで兵役に就く方が、俸給がいいらしいからな」
グライベルが溜息をつく。周辺人口を含めると70万人ほどいる首都オトゥケンイェルに対して、フグィは15万程度である。資金力という点ではどうしても劣るものがある。
「はい。海はともかく、陸の方で兵力が足りるかどうか…」
「とはいえ、奴らに貢納金を払って攻撃を免除してもらうというのは論外だ。それをすると、二度目、三度目があるからな」
バグダの言葉にグライベル、ビルタも頷く。
「仰る通りです」
「何とか兵力をもう少し集めたいものですな」
一抹の不安を抱えつつ、初日の作戦会議は終了した。
その日、グライベルの息子ラドリエルもまた、街の様子を見て回っていた。
ディンギアからの襲撃は数年に一度くらいのペースで行われているので、慣れている雰囲気はある。しかし、当然ながら緊張感もある。
夕方近くまで様子を見た後、近くの酒場に入った。行きつけの酒場で、そこで濃い目の酒を一、二杯だけ飲んで終わらせるのが常であるが…
「うん?」
日頃は静かな酒場が妙ににぎやかである。中を見ると、背の低い少年がいて、その傍らに少女がいた。その周囲に人だかりができている。
「あれは何だ?」
酒場の主人に尋ねる。
「今日、初めて来たお客さんなんですけどね。私達から今の状況を聞いて、こうやったら簡単に勝てるのにと話をしはじめて、みんなが聞き入っています」
「……何?」
聞き捨てならない話である。「こうやったら簡単に勝てるのに」というのはつまり、今までの戦い方にケチをつけているということであろう。四年前、自身も戦地に行ったことのあるラドリエルとしてみれば、戦闘経験もなさそうな少年に「簡単に勝てる」など言われるのは噴飯ものの話であった。それを面白そうに聞いている面々も気に入らない。
「おい」
人込みをかきわけて近づいていく。かきわけられた側は最初抗議するような様子を見せたが、相手がラドリエルと知り、大人しく道を開ける。
「あ、どうも」
「何やら、簡単に勝てるなどと言っているらしいな」
「勝てますよ」
「ちょっと最初から聞かせてもらおうか」
ラドリエルは正面の席に座った。少年の隣にいる少女が面白そうに笑う。
紫の瞳の少年は一瞬目を見開き、近くにあった水を飲む。
周りの者の空気を察したようで、すぐに頷いた。
「いいですよ。まず、ディンギアというのは遊牧民が争っていて、みんな馬に乗っているというのは間違いないですね?」
「間違いない」
「フグィは漁師が非常に多く、海から漁師が矢を射かけている。陸を突破されないために毎回立派な土塁を築いているというのも事実ですか?」
「ああ、間違いない」
「土塁の整備と維持に高い費用がかかっているのも間違いないと」
「そうだ」
「正直過ぎません?」
「は? 正直?」
ラドリエルは一瞬、面食らった。「正直」という予想外の言葉が飛んできたからである。
「いや、相手の侵攻を防ぐのに、ご丁寧に軍事施設を作って、きちんと迎え撃つというのはいいことだと思うのですけれど、もっと身の回りのものを使えばいいのにという説明をしていたんですよ」
「身の回りのものだと?」
「例えば、船の廃材をひっくり返すだけで、馬の足止めになりませんか?」
「むっ…」
「馬がスムースに動けなければ、相手の戦力は大いに削げるんですよね? であれば、廃材などを陸側にばらまいて、相手の動きを止めて攻撃すればいいんですよ。そうすれば、街のゴミも減りますし、相手の戦力がそがれて一石二鳥だろうという話をしていただけです。あとは、漁師さん達が海から矢を撃つというのはいいのですけれど、全員が海というのも効率が悪いので一部を陸に割いてしまえば、兵力削減にもなると思うんですよね」
「……」
確かに相手は海側から攻めてくるわけでもないので、海の兵力は必須というわけではない。陸側の兵力が少ないのであれば、海に向かう者の一部を回すというのは作戦としてはアリである。漁師のプライドを抜きにすれば。
「漁師は海のプライドがあるという話も聞きましたけれど、それは釣りであって戦闘ではないですよね。漁師の我儘を聞きすぎるのも良くないということも話をしていました」
「むう……」
「それなら陸の新しい兵も大勢はいらないだろうし、浮いたお金でもう少し設備も作れるし、あるいは街自体の政策を変えて人を呼びやすい街にできるのになぁと思った次第ですよ」
「……名前を聞いてもいいか?」
「はい?」
「名前を教えてもらいたい」
ラドリエルの質問に、少年は嫌そうな顔を見せる。
「初対面の人に、いきなり名前を教えろとか聞くのも随分不躾ではないですか?」
「あっ……。すまない、私はラドリエル・ビーリッツと言って、この街の漁師ギルドのリーダーの息子だ」
「そうなんですか。私はノルベルファールン・クロアラントと言いますが、名前が長いのでノルンと呼んでください」
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