第12話 占い師②

 占い師は暗闇の中にいた。


 何があったのか、思い出そうとすると頭痛が走る。


 確か、船に乗り込み、その後、船に火がかけられるに及んで他の者と共に飛び込もうとした。しかし、逡巡している間に何かが頭に当たったような衝撃があり、そして、意識を失ったはずだった。


「…?」


 眩しい光を受け、思わず目を開いた。


 光のせいか、まだ頭が動いていないのか、視界がはっきりとしない。しばらくするとぼんやりと視界が広がっていく。


「おう、ようやく気づいたのか?」


 声をかけられた方向に、三人の男がいた。全員、オールを漕いでいる。


 そこで、ようやく、自分が船の上にいることに気づいた。


「びっくりしたぜ。いきなり海に浮かんでいたんだから」


「海?」


 確かに見渡す限り水面が広がっている。しかし、自分が落ちたのは海の近くではあったが、川である。これほどまでに広い水面ではなかった。


(流されたのか?)


 考えられることはそれだけであった。


「ここは、どのあたりなのだ?」


「ここか? ホスフェ南部の沖合だが…」


「ホスフェ南部!?」


 仰天した。ありえないと思った。


 エルニス川から海に出た場合、海流も風も南西に向かうから、コルネー南部の方へと流されるはずである。ホスフェ南部となると、全く逆側である。


「…いつ、私を拾い上げてくれたのだ?」


「いつ? 三時間ほど前だが?」


「今日は何日だ?」


「一月二六日だ」


 考えられない話であった。一日でホスフェの方に流されるというのは無理がある。しかし、この男達が自分を拾ってくれた後、猛スピードで…というのも一日では無理である。


(一体何があったのだ…。それに私が43歳で死ぬという話はどうなったのだ? 暗示が確かなら、あの時死ぬのだろうと思ったが…)


 あの時点で残り三日であったから、一日経過した今は残り二日となっている。


「あまり考えない方がいいかもしれんぞ。頭を打っていたわけだからな」


「…ああ」


 それは確かである。頭痛は頻繁に起きていた。


 ともあれ、拾い上げてくれたのだから、彼らに礼を述べた方がいい。一旦そう考えた。


「助けてくれて感謝する。私は…」


 名乗ろうとした時点で、自分の名前が思い出せないことに気づいた。


「何、海のうえで困った時にはお互い様よ」


 三人の男は快活に返事する。頷いて笑みを漏らしている間も考えるが、自分の名前は全く思い出せそうになかった。



 船は次第に陸地へと向かっていく。


「どこへ行くのだ?」


「ああ、フグィだ」


「フグィ……」


 ホスフェ南部にそうした街があることは地図で見たことがある。


(本当に、ホスフェ沿岸なのか……)


 一体、自分はどうしてこんなところまで流れ着いてしまったのか。そして、何故、それ以外のことは覚えているのに、自分の名前だけ思い出せないのか。


「……私の名前が分かるようなものは、何かなかったか?」


 問いかけると、三人がけげんな顔をし、ややあって、彼が抱えている問題に気づく。


「名前に関しては記憶障害になっているのか。そいつは困ったな」


「……他のことは覚えているのだが、唯一、名前だけは分からない」


「うーん、難儀だが俺達にはどうすることもできないからな。とりあえず、ビーリッツ様に預けるから、そこで何とかしてくれよ」


「ビーリッツ?」


「俺達、漁師達のトップにいる人だ」


「……分かった」


 それが何の助けになるかは分からないが、漁師達が好意で助けてくれていることは分かる。その好意をむげには出来ないし、ひょっとしたら、これもある種の運命なのかもしれないと考え、従うことにした。



 船が港についたころには夕方になっていた。


 三人は釣り上げた魚を市場に持って行った。数人の買主がそこに待っていて、売り買いの交渉が始まる。


 その合間に、一人の恰幅の良い紳士が入ってきた。


「おや、この者は?」


 彼は三人の隣にいる細身の占い師に興味を示した。


「実は、沖合を流れていて助けたのです」


 漁師が説明すると、男は真摯に驚いた様子を示す。


「それは、それは、君達は良いことをした。そして、貴方も非常に運が良かった」


「ただ、ビーリッツさん。この人は自分の名前を忘れてしまったようで」


「何と。それは大変だね。自分の住処も覚えていないのかね?」


「それは覚えております。拾われるまではプロクブルにおりました」


「プロクブル?」


 ビーリッツと呼ばれた男は、今度こそ驚いた。


「うむ……、ひょっとすると記憶が混乱しているのかもしれないな。どうかね? しばらくは私のところに来ては」


「そうしていただけますと有難いです」



 チャンシャンという名前を忘れた占い師は、ビーリッツに連れられて街の中心部にある屋敷へと連れられた。なるほど、漁師達が自分達のトップというだけあって、その屋敷は非常に大きなものである。


「戻ったぞ」


 と屋敷の入り口で呼びかけると、すぐに一人の若者がやってきた。父親と比べると年齢のせいか細身であるが、強い印象を残す顔立ちではない。少し前まで一緒にいたレビェーデやサラーヴィーよりは年上であろうが、より落ち着いた印象の若者だ。


「これは父上。料理の準備はもうできており……。うん?」


「ラドリエルよ、この者は沖合をさまよっていたらしく、しばらく我が家で預かることになった」


 呼びかけ方から察するに、二人は親子であるらしい。ラドリエルはニヤッと笑う。


「それはありがとうございます」


「うむ」


 二人のやりとりに占い師は首を傾げた。


(ありがとうというのは一体?)


 助けられたのは占い師である。それに対してラドリエルが礼を言う理由が分からない。



 ともあれ、ラドリエルは奥へと向かい、食事の準備を追加させる。


 すぐにもう一人分の料理が運ばれてきた。手はずの良さに驚くが。


「不意の来客はよくあることでしたな。おっと、貴方に私のことを説明していなかった。私はグライベル・ビーリッツと申しまして、このフグィの漁師ギルドの長をしております。ラドリエル、この人は自らの名前を忘れてしまったらしい。暫定的に呼ぶ、よい名前はないだろうか?」


「何と、名前を……?」


 ラドリエルは父の言葉にしばし考える。


「それでは、ひとまずアムグンと名乗るのはどうでしょうか?」


「アムグンですか……」


 どういう意図があるのかは分からないが、名前がないのも面倒である。便宜的にそう呼ばれることで合意した。


「分かりました。その名前にいたしましょう」


「ちなみに生まれはどちらで?」


「生まれはコルネーのプロクブルらしいが、その後の記憶については色々混乱しているらしい」


「ハハハ……」


 どうやら、コルネーの海岸から、ホスフェの沖合まで流されてきたらしいということは信じてもらえないようである。ただ、今やアムグンという名前をもらった彼自身、信じられない思いがあるから無理もない。


 この短い間に、どうやってそれだけの距離を移動したのか。皆目見当がつかなかった。

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