第10話 異動

 シェラビー・カルーグの率いる艦隊がプロクブル周辺のコルネー船団を壊滅させ、ミベルサ西部域の広い範囲の制海権を確保したという情報は、二月頭にはナイヴァルの都バシアンにも伝わってきた。




 バシアンの大聖堂において、総主教ミーシャ・サーディヤの父ネイド・サーディヤが渋い顔をしている。


「これはまずいな…」


 向かいにいる中年の男も頷いていた。ルベンス・ネオーベ、46歳。


 二人とも枢機卿という身分にあり、立場は同じであるが、立場は多少異なっている。ルベンスは名門出身の誰からも認められる立場である一方、ネイドは娘が偶々総主教に選ばれたから枢機卿となったのであり、娘の七光りという陰口もたたかれている存在であった。


 とはいえ、今、この時点では二人の立場は共通である。


「シェラビーは少し勝ちすぎてしまったのではないだろうか?」


「そうかもしれない」


 制海権という言葉がどの程度の意味をもつのか、実は二人ともはっきりとは分かっていない。しかし、シェラビーが他の枢機卿とは少し距離を置いているということは二人とも認識している。そのシェラビーが大きな戦果をあげたということは、端的に言ってしまえば気に入らない。


「しばらくシェラビーにはこちらの方での仕事を割り当ててはどうだろうか?」


 ネイドが提案する。ネイドがこういう形でルベンスに提案するということは、名目は一つしかない。ルベンスの娘で、シェラビーの妻となっているヨハンナと、二人の子供ミキエルとソフィーヤを使えということだ。


「その間に私が、サンウマに赴任して様子を見るということか」


「そのうえで、制海権というのがどれほどの意味をもつのか、見極めるのがいいだろう」


「……承知した。ヨハンナに手紙を書かせよう」




 二月も十日を過ぎた。


 サンウマに戻ったレファールはひたすら書類を書いていた。書類と言っても、ナイヴァルの公文書というようなものではない。


「戦前の約束通り、セラキーセ村の面々が早く婚姻できるよう取り図ろう」


 というシェラビーの要請の下、ひたすら履歴書と紹介文を書かされていたのである。


「何が悲しくて、自分以外の男の紹介文など書かなくてはいけないのだ」


 とぼやきながらも、それぞれから聞いたメモを元に書き続けている。


 その日の最初の文を半分ほど書き上げたところで、扉がノックされた。


「レファール、いる?」


 聞きなれた声で所在を確認された。


「開いていますよ」


 と答えると、サリュフネーテ・ファーロットが機嫌よく入ってくる。


 サンウマに戻って以降、サリュフネーテは三日に一度くらいの間隔でレファールのところに来ていた。といって、特に何かするわけでもなく、コルネーの話や雑談をするのみであるが。


 少し前までは一緒に来ていたメリスフェールは最近来なくなった。サリュフネーテが言うところによると「お灸をすえられて」大人しくなっていると言う。


 結果として、レファールは負傷もしなかったし、個人的には許してやってもいいのではと思ってもいるが、悪戯心で「重傷する」などと軽々しく言うと問題なのも確かであるので、口出しはしないでいる。


 もう一人の妹リュインフェアは、最近風邪をひいているらしい。そのせいでシルヴィアも看病で出てこないという。


「何をしているの?」


 サリュフネーテが机の上の書類に興味を向けた。


「あいつらの紹介文ですよ」


「あいつらって、ボーザ達の?」


「はい」


「何を紹介するの?」


「結婚相手を探すために、こういうかっこいい男ですって紹介するんです」


「えっ、みんなが結婚するの?」


「はい。シェラビー様と、今回の戦いで活躍したら相手を紹介してもらうって約束しておりまして、その約束を果たしてもらうわけです」


「ということは、レファールも結婚するの?」


 サリュフネーテは目に見えて慌てた顔をしていた。


「私はしませんよ。まだ18ですし」


 と答えると、ホッと息をついた。安心したように書いてあるものを覗き込む。


「レファール、手伝ってあげようか?」


「と申しますと?」


「簡単なことは私が書いて、レファールは難しいところだけ書くっていうのはどう?」


「なるほど。そうしてもらえると助かりますね」


「でしょ、でしょ」


 サリュフネーテは楽しそうに、書類を手にして隣の机で書き始めた。




 その翌日、シェラビーがレファールの部屋を訪ねた。


 表情は冴えない、というよりかなり不機嫌である。


 もっとも、その不機嫌な顔が、レファールの顔を見て驚いたようなものに変わる。


「……随分寝不足なようだな」


「はい。ボーザ達の紹介文を書かされておりまして」


「そんなに大変だったのか?」


「ええ、まあ……」


 レファールは誤魔化すような笑いを浮かべた。


 実際は、サリュフネーテが手伝ってくれたことで簡単に仕上がったように見えた。しかし、確認してみるとサリュフネーテが手伝ってくれたのはいいのだが、あまりにも可愛らしい字で書いていたため、これを後々追及されたりすると面倒そうと考え、全員分を一から書き直したのである。


「そうだな。その紹介文もバシアンに持っていこう。向こうの女性達に見せてくる」


「……バシアンに向かわれるのですか?」


 尋ねると、シェラビーはまた不機嫌な顔に戻り、「借りるぞ」と部屋の中の椅子に座る。


「俺が勝ちすぎたことに不安になっている者達がいるらしい。しばらく妻と子の面倒を見てくれと言ってきた」


「さすがに断るわけにはいきませんよね」


「そうだな。現段階では刃向かう行動をとるのはまずい。とはいえ、義父が来るとなるとハルメリカとのやりとりが色々面倒なことになるのも免れない。スメドアはセイハンとやりとりできるほど経験がないし、おまえもそれは同じことだからな。と言って、ラミューレは堅すぎる。何より」


 シェラビーはかぶりを振る。


「何よりまずいのは義父がいる以上、変に儲かるということを見せすぎてもまずいということだ。当面の間、積極的な交易はしづらくなる」


「大変ですね」


「ああ、大変だ。また三か月くらいは待ちの日々が来る。ああ、そうか。お前の部下にとってはその間、婚姻活動期間になるな」


 シェラビーはそこで顎に手をあてた。


「いっそ連れていくか」


「えっ、私もバシアンに行くのですか?」


 レファールの言葉に、シェラビーは不思議そうな顔をした。


「お前はまだ結婚するつもりはないのだろう?」


「はい」


「ならば、おまえが来る必要はないのではないか? ボーザもおまえと一緒でなければならないということもないだろう」


「……言われてみれば」


 セルキーセ村に派遣されてからというもの、かなりの時間を同じく動いていたので一心同体と思い込んでいたが、シェラビーの言う通り、どうしても一緒にいなければいけないということはない。


「スメドアとおまえは残しておきたい。あの義父が主体的になられると、守る時にも色々文句が出てくるかもしれないし、あとはシルヴィアのこともある」


「……確かにシルヴィア様のことは」


 義父の立場からすると、シェラビーの愛人というような立場にあたるシルヴィアの存在は好ましいものではないだろう。直接何かをする可能性は低いとしても、何かしらのことをしてくる可能性は低くない。


「そうだ。だから、おまえに頼みたい」


「……分かりました。しかし、私、まだ半年もいないのですけど、私にここまで任せて大丈夫なんですか?」


 18歳の敵軍から拾ってきた者に対して、弟と共に任せるというのである。大抜擢も大抜擢であった。


「今更何を言うんだ? そういうことは先頭の船に乗り込む前に言ってほしいものだな」


「あ、確かに……」


 この前の戦いでは先頭の船に乗り込んでいたのである。


 少しでも疑っているのであれば、とてもそんな場所を任せるとは思えない。


 確かに『今更な話』であると、レファールは苦笑した。

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