第2話 疑惑
初春のこと、、
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東京はS区のスクランブル交差点近辺にあるF商業ビル前は、平日の昼下がりにも関わらず物々しい雰囲気になっていた。
一階アパレルショップのショウウインドウ前の歩道に乗り上げる形で救急車が停められており、その周囲を取り囲むように人だかりが出来ている。
救急隊員たちが、白い布切れを被せられた者を乗せた担架を、開かれた後部ドアから車内に運び入れていた。
その傍らで、紺色のジャケットを着た警視庁捜査一課の新人刑事 朝生が色白の顔を紅潮させながら、グレーの背広姿の先輩刑事 毒島に話していた。
「このF商業ビル屋上から飛び降りたみたいです。
即死ですね。
性別は男性。
氏名は所持していた免許証から、大野正之。
年齢は58歳。
着衣はブラウンのジャケットに黒のスラックス。
目撃者の女性スタッフの証言によると、そこの一階アパレルショップのウインドウ前に立っていたら、突然上から、この男が落ちてきて、びっくりしたそうです。
そりゃ、そうでしょうね。
まあ恐らく、単なる自殺ではないかと」
あらかた説明を聞き終えた毒島が、咥えタバコの煙に顔をしかめながら、
「所持品は?」と聞く。
朝生は左手に持った黒い袋の口を開いて中を覗き込むと、
「え~~っと、
まず折り畳みの財布が一つ。
中身は免許証と現金21,050円とスーパーのレシート数枚。次にタバコとライター、
あ、それと封筒が一つです」と答えた。
「封筒?遺書か何かか?」
と、毒島の左の眉がピクリと動く。
「いえ、それが違うんです。
封筒の中身は宝くじの紙が一枚」
「宝くじ?」
毒島は少し驚いた様子で朝生の顔を見た。
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それから2日後の午後9時のこと、、、
東京はJR沿線駅のガード下にある屋台。
毒島と朝生は、カウンター前に座り、各々皿に盛られたおでんをつついていた。
客は二人だけだ。
カウンターの向こうには、角刈りにTシャツ一枚の鼻の赤いオヤジが不機嫌そうな顔で仕込みをしている。
電車が通り過ぎる度に、店内はカタカタ揺れていた。
「おい朝生、まだお前、あの飛び降りの件、悩んでるのか?」
毒島がそう言ってジョッキのビールを飲み干す。
朝生は、
「ええ、僕はどう考えてもおかしいと思うんです」
と呟くと、グラスに入ったワインを一口飲み、更に続けた。
「ギャンブルに狂って消費者金融に多額の借金をして女房にも逃げられた無職の大野という男が、たまたま買った宝くじが一等に当選した。
当選金額は10億。
普通そんな人間が、飛び降り自殺とかしますか?」
毒島が返す。
「だったら、どうして大野は宝くじを胸ポケットに持っていたんだ?
もし誰かがその宝くじを狙っていたのなら、宝くじを奪い、それから彼を屋上から突き飛ばすだろう」
「そうなんですよねえ」
朝生はそう言って悔しげに頭を掻くと、一気にグラスのワインを飲み干し、正面に立つオヤジに不貞腐れたように「おかわり」と言って空のグラスを差し出す。
それからまた毒島の顔を見て、
「実は僕、あの日大野が商業ビルに入ってからの足取りを、防犯ビデオと聞き込みで追ってみたんです」と言い、オヤジからグラスワインを受け取る。
「ほう、、、それはそれは、ご苦労様。
で、何か分かったか?」
「大野は昼過ぎにF商業ビル一階の旅行代理店に真っ直ぐ行くと、しばらく店内を彷徨いてから奥のカウンターに座り、最終的にドバイ行きのツアーを予約してるみたいなんです」
「へぇ、ドバイ!?
そりゃあまた、豪華だな」
「ええ、しかも飛行機の座席グレードはファーストクラス、宿泊するホテルは最上級ランク。
旅行代理店のスタッフが言うには、その時大野はニコニコ顔で凄く上機嫌だったそうです。
それからは屋上まで上がり、そこの施設でポテチつまみながら、まったりビール飲んだり、ゲームコーナーで遊んだりした後しばらくして、何故か突然柵をよじ登り、ひゅー、どすん!です」
「確かにあり得んな、、、」
「でしょう?
人生のどん底にいた男が一発逆転。宝くじが当たり意気揚々、その翌日デパートで海外旅行の予約する。
それから屋上へ行き、ビールでいい気分になり、恐らく普段はやらないゲームで遊ぶ。
その僅か数分後、飛び降り。
しかも落下直後を目撃したアパレルスタッフの証言によると、歩道に仰向けの大野は頭部がぱっくり割れた状態で満面の笑みを浮かべていたそうです。
いったい飛び降りまでの数分に、何があったんですかね?」
朝生は続ける。
「ところで先輩、『お多福女』って知ってます?」
「お多福女?何だそれ?」
訝しげに毒島が尋ねる。
「僕も最近知ったんですけどね。
ネット民の間では結構有名らしいのですが、
何でも人間が一度に受け取れる幸福の量というのはそれぞれ決まっていて、もし分不相応な幸せを受け取ると、突然『お多福女』が現れるらしいです。
桃割れ髪型に色白で下膨れの顔をしていて、ミジンコみたいな目を更に細め嬉しそうにしながら、、
その容姿はさながら『オカメ』そのものらしいですよ」
「で、そのお多福女を見たら、どうなるんだ?」
毒島がジョッキを口に運びながら、さらに尋ねる。
「死にたくて死にたくて、しょうがなくなるということです」
「何だそれ?」
毒島は思わずビールを吹き出しそうになった。
「まあ明日朝イチにでも署でもう一度屋上の防犯ビデオをよく確認しようか、と思ってます。
もしかしたらどこかに、あの『お多福女』が映っているかも知れませんよ、、、」
そう言って朝生が毒島の顔を見てニヤリと笑った時、突然、携帯のコール音が鳴り響いた。
毒島はジャケットの内ポケットからスマホを出すと、耳に当てる。
それからしばらく神妙な様子で話していたが、終わったのかスマホをポケットに戻すと、朝生の顔を見ると「すまんが、失礼するぞ。どうやら産まれたみたいだ」と言って立ち上がった。
「娘さん、とうとうおめでたですね。おめでとうございます!」
朝生はそう言って笑顔でジョッキを掲げた。
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屋台を出た毒島は、駅前でタクシーを拾い、そこから30分ほどのところにある病院で降りた。
時刻は10時を過ぎていて、既に表玄関は閉鎖されており、毒島は裏の非常出入口に回る。
警備員の説明を受け、入り組んだ薄暗い廊下を進んで行き、エレベーターに乗ると、ようやく4階奥にある個室にたどり着いた。
「愛弓、おめでとう」
入口に立つ毒島の第一声に、窓際のベッドに横たわる薄いブルーの病院着姿の一人娘の愛弓は、衰弱した顔を毒島の方に傾け、「ありがとう」と呟き、弱々しく微笑んだ。
毒島は窓際にある丸椅子に座ると、まず娘にねぎらいの言葉をかけ、その後しばらくは二人で親子水入らずの会話を交わしていた。
途中毒島が思い出したように言う。
「そう言えば晴れてパパになった義彦くんは、どうしたんだ?」
毒島の言葉に、愛弓は、
「あの人ね、さっき帰ったんだけど、
実は二年前に彼が友人と起こしたIT関連の会社がね、たまたま今日マザーで上場が決定したらしくてね。
そのお祝いの席に戻らないといけないらしくてね」
と言ってくすりと笑った。
「そりゃあ、ダブルでおめでとう。」
そう言って毒島は満面の笑みで愛弓の額に優しく手を乗せる。
彼女は微笑みながら、か細い手で彼の手に重ねた。
帰り際、別室の保育器に入った小さな命をじっと眺めながら、毒島はさっき娘から聞いた話を思い出していた。
なぜだろう、その時彼の心の隅には、謂れのない不安が立ち上り出していた。
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その翌朝のこと。
いつも通り出勤した毒島が捜査一課のドアを開いた途端、恰幅の良い体躯に紺のジャケット姿の次長が待ってましたとばかり近づいてくると、
「毒島くん、ちょっと」と険しい顔で言いながら、毒島を廊下に押し戻す。
「次長、どうしたんですか?」
怪訝な顔で尋ねる毒島には何も答えず、次長は仏頂面のまま、さっさと前に歩き出した。
慌てて後を追う毒島。
次長は、廊下突き当たりにある「情報分析室」に入っていった。
ここは、デジタル関連の証拠物を精査するための部屋だ。
正面の壁際にパソコンデスクがズラリと並ぶ8帖ほどのその部屋には、既に4、5人の同僚たちがいて、中央にある一台のパソコンの前に集まり、なにやらひそひそ話していた。
ただならぬ雰囲気を感じた毒島が同僚の背中をかき分け、そこに見たものは信じられない光景だった。
紺のジャケット姿の男が、パソコン前の椅子の背もたれに寄りかかるように座り、両手両足はだらしなくまっすぐ投げ出している。
男は首を左にガクリと項垂れており、左のこめかみの大きな空洞からは赤黒い血がポタポタと落ちていて、床には血だまりが出来ていた。
ダラリと垂らした右手の先の床には、12口径の拳銃が落ちており、僅かに白煙を吐いている。
「朝生、、、いったいどうして、、、」
毒島は呟くと、その場にガクリと両膝をつく。
次長は彼の左肩に手を乗せると、ゆっくり話し出した。
「今朝、署内で銃声が突然鳴り響いたので、皆で捜索してみると、ここで朝生が、、、
珍しく早出して、ここに座り、パソコンの前でこれを見ていたようだ」
そう言って次長は一枚のディスクケースを毒島に渡した。
ケースには「令和3年2月⚪日第1231号ケース‥‥S区商業ビル飛び降り案件資料」と書かれている。
「これは?」
毒島がそう言って次長を見ると、次長は険しい顔をしながら、
「この間の飛び降り案件の資料の一つらしくて、商業ビル屋上に設置してある防犯カメラ全部の事件当日の録画記録のようだ
よく分からんが、この映像を見ている途中に朝生は拳銃で頭をぶち抜いたみたいなんだが、お前何か、心当たりないか?」と毒島の顔を見る。
毒島は膝まずきがっくりと首を項垂れたまま無言でしばらく何かを考えているようだった。
その様子を見た次長が、
「そうか、じゃあ、後でディスクの映像を確認してみようか、、、」
と呟き、朝生の前のパソコンからディスクを取りだそうとすると突然、
「止めろ!!」
と毒島が遮るように大声を出し、次長を突き飛ばして、ディスクを抜き取り、思い切り床に叩きつけ、憎々しげに何度も踏みつけている。
同僚たちは、その様子を唖然として見守っていた。
すると、
R R R R R R 、、、
携帯のコール音が鳴り響いた。
毒島は慌てて胸ポケットからスマホを出すと、眼前に翳す。
画面には、「愛弓」と表示されている。
彼は震える指で画面にタッチした。
OTAFUKU ねこじろう @nekojiro
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