OTAFUKU

ねこじろう

第1話 満面の笑み

お多福……

鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面。(wikipediaより)

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それは、まだまだ寒さが衰えない2月のある日の夕刻のことだった。

私はいつものスーパーで買い物を終え、マンションに帰りつくところだった。

見慣れた8階建てのマンション入口の前に立ち、扉を開こうとしていると、何処からだろう、ドスンという鈍い音と軽い地響きがした。

何だろう?と何気に右側に視線を移し、一瞬で戦慄した。

自転車小屋前のアスファルトに、女が倒れている。

白いブラウスに、紺のスカート。

体はうつ伏せで、口角を上げて微笑みを浮かべた白い顔を90度に傾けている。

呆然として見ていると、女の頭部辺りからみるみるどす黒い血が広がってきた。

─たいへん、救急車呼ばないと!

慌てて携帯を出すと、119をタッチしていた。

後から分かったのは、倒れていたのは、うちの上の階である6階に住む主婦のEさんで、どうやら自宅のベランダから飛び降りたということだった。

ご主人は開業医で、有名私立中学に通う娘が一人いて、ご自身もマンション自治会の役員をしていた方で、なぜそんな方が飛び降りなんかしたのか?私には理解出来なかった。

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その日の夜の食卓でのこと。

主人にその話をすると、「どんなに恵まれているように見える人でも、闇というのはあるものだよ」と、ありきたりの意見を言う。

それに対して、主人の隣に座る中学生の息子が物知り顔で、こう言った。

「それ多分、『お多福女』だよ」

「お多福女、、、何だそれ?」

主人が息子の顔を見ながら尋ねる。

「この間ネットの掲示板で見たんだけど、お多福女というのは、幸せな人にしか見えない奴で、見ちゃうと、猛烈に死にたくなるんだって」

「何だそれ?」

主人がそう言って、グラスのビールを吹き出しそうになった。

「知らないよ、掲示板にそう書いてあっただけ」

と怒り口調で言うと、息子は立ち上がり、さっさとリビングを出ていった。

公立高校入試の合格発表を一週間後に控えていた息子の神経は少々逆立っていたようだ。

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ちょうどそれから、数日経った日のこと。

朝の掃除と洗濯を終え、食卓テーブルに座りテレビを見ていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

扉を開くと、若い健康そうな男女が微笑みながら立っている。

紺のフリースにジーパン姿の長身の男が「こんにちは、僕たち、先週からこの階に引っ越してきた新婚ほやほやの二人です。よろしくお願いします。」と言って白い歯を見せる。

すると隣に立つ茶髪でショートカットの小柄で可愛らしい女の子が「あの、これ、つまらないものですが、、、」と、たどたどしい口調で、きちんと包装された箱を手渡そうとした。

恐縮しながら受けとると、二人はぎこちなく一礼して立ち去った。

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─私にも、あんな頃があったのよね、、、

私はテーブルで頬杖をつき、目の前に置かれた熨斗のついた白い箱を眺めながら、若かった頃のことを思い出し、一人ほくそえんでいた。

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その日もありきたりの日常が淡々と過ぎて、いつものスーパーで買い物を済まして、夕刻、マンションのエントランスに向かおうとした時だった。

マンション入口前に救急車が停まっており、辺りにはちょっとした人だかりが出来ている。

そこにいた知り合いの住人に聞くと、男女が二人、担架で運ばれたらしい。

─事故か何かかな?

気になりながらも夕飯の準備のために、部屋に戻った。

翌日、同じ階の住人に聞いたところによると、驚いたことに、運ばれたのは、あの新婚の二人ということだった。

詳しくは、昨日の午後、うちの一個下の階の角部屋に住む女性が、ベランダで洗濯物を取り込んでいる時、ふと上方に視線を移すと、人の足先があるのが見えたそうだ。

不審に思い、手すりから乗りだし、上方を仰ぎ見て仰天したらしい。

男女が二人並び、ゆらりゆらりと揺れていたそうだ。

しかも、二人とも満面の笑みを浮かべていたということだった。

警察の話では、二人はベランダの手すりにロープを結び、首を吊っていたということだ。

─ということは、昨日の朝方、私のところに挨拶に来た後、数時間後には首を吊ったということになる。

それにしても一体なぜ、あの幸せそうな二人が?

その時、私はふと息子が言っていた「お多福女」のことを思い出し、その日の夜、それとなくもう一度、息子に聞いてみた。

「あんまりはっきりとは覚えてないんだけど確か、人が一度に受け取れる幸福の量というのは決まってるらしくて、それを越えて幸せになってしまうと、『お多福女』が現れるみたいで、そいつを見てしまうと、猛烈に死にたくなるんだって。」

息子はそう言うと、さっさと自室に行ってしまった。

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そして公立高校入試合格発表の日。

幸運なことに、息子は合格だった。

その日の夜、我が家の食卓テーブルには、ケーキと、息子の大好物のハンバーグ、が並べられた。

おめでとうと三人で乾杯をして、しばらく経った時だ。主人が照れ臭そうにしながら「おい、これ」と言って、私に小さな箱を渡す。

開けてみると中には、小さな指輪が入っていた。

「結婚して、今年で20年。いろいろあったが、お前には本当に感謝してるよ」

そう言って主人は珍しく赤面して、うつむいた。

「ありがとう」

私は主人からの予想外のサプライズに、こみ上げる喜びに耐えきれず、いつの間にか涙を流していた。

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翌日は燃えるゴミの日だったから食後、私はマンションのゴミステーションにゴミを持っていった。

集合ポストから郵便物を取り、誰もいないエレベーターホールで一人、エレベーターの到着を持つ。

やがてチーン!という心地よいベル音とともに、ゆっくりと金属の扉が開いていく。

そしてうつむいた顔を持ち上げた瞬間、私の全身は総毛立った。

エレベーター奥にある姿見。

そこには、黄色いエプロン姿の私。

その肩越しの暗闇に、ポツンと顔があった。

それは、、、

時代遅れの桃割れの髪型。

まるで白粉でもふったように色白で額はかなり広く、下膨れで、眉のないミジンコのような細い目を嬉しそうに緩めて微笑む、女の顔だった。







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