5. 浮かび上がったトラウマ


 ずっと忘れていた子供時代のトラウマが自分の中で再び表面化したのは、30代に入ってからです。


 ある日、ふとネットで子供の頃にパニック障害を患っていた人の話の記事を見かけました。

 そこには、小さな頃にパニック障害を患った人の脳は委縮する可能性がある。と書かれていたんです。


 それが本当でも、本当ではなくても私にとっては衝撃的で……ショックでした。


(このことについて真偽を確かめていません。それ以上、その事柄について追及する勇気がありませんでした)


 まさに、忘れていたパンドラの箱を開けてしまったような。

 知らなくてもよかったこと、考えなくてもすんでいたことを、改めて目の前に突き付けられたような感覚でした。


 この出来事がきっかけで、強烈なコンプレックスが自分の中にあることを自覚したんです。



 前項でも書いていた「これは普通ではないのかもしれない」という強烈な恐れがそこにはありました。


 私としては、パニック発作のこと「開き直って、受け止めていること」だと思っていました。

 けれど、まったくそうではなかったんです。


 この時の感情を、なんと形容していいのか、わかりません。

 自分というものの根幹がすごい力で揺るがされたような、そんな感覚がありました。


「幼いころからずっとパニック発作を抱えていたのだからその可能性はあるのではないか」と大人の自分が考える一方で、

 全力で拒絶する、受け止めたくない自分がいたんです。


 この時の衝撃は大きかった。

 もはや、今更何にショックを受けているのかわからないですけど、こころの底に埋めていたモノが一気に浮かび上がってきたんです。



 このあとしばらくの間、私のメンタルは崩壊しました。


 何に対して悲しんでいたのか、わかりません。

 何をしていても、涙が出る日々を送りました。


 あの時期は何だったのか……普通の精神状態ではありませんでした。

 こんな状態が約2週間ほど続いたんです。


(この時ばかりは精神科病院に行くことを本気で考えました。結局は行かずじまいで終わってしまいました)



 この出来事の後、私は初めて、ちゃんと過去の自分のパニック発作について考えようと思ったんです。


 この時感じたのは、過去の自分に対する「視点の変化」でした。

 大人になった私は、「子供時代の自分を慈しんであげたい」と。

 そう思えるようになったんです。


 今の、大人になった自分なら、あの、トラウマになった瞬間の自分を抱きしめてあげられるのに。

 そう思って、子供時代の自分に「触れられないだろうか」と考えるようになりました。


 実際に触れるなんて出来ないことはわかっていましたが、私を掬い上げてあげたい。

 ――ずっと心の奥底でうずくまったままでいる小さな自分を迎えに行くには、どうすればいいのだろう……


「私は私を救いたい」


 その手段を見つけ出したいと強く感じるようになったんです。

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