4. 乗り越えたその先
私は高校入学後の10代後半から、発作とは無縁の生活を送れるようになりました。
たとえパニックの予兆を感じたとしても、抑えられる―――この安心感はとても大きかったです。
普通のことなんですけれど、私にとっては大きな進歩でした。
「パニック障害」という言葉を知った時、当時の私なりに原因を考えたことは何回かありました。
――今までの自分の症状はこれだったのか?
――なぜ症状を起こすようになったのか?
でも、きまって途中で考えるのをやめていたんです。
ひとつは、小さな私がパニック発作を起こすようになったきっかけは「世間一般の家庭でありがちで、どこの家庭でも起こりうるような不幸な出来事」だと思っていたからです。
家庭内暴力をありがちな出来事だと片付けるのは、ミもフタもない、語弊がある言い方ですよね。
弱者を痛めつけるだけの暴力は、許されないことだと今も私は主張したいです。
けれど、例え私がその出来事を周りに大声でアナウンスしたとしても「なんだ、そんな事か」と反応が返ってくるだろうと、十代の頃でも簡単に想像ができたんです。
あともうひとつは、自分の中の「異常性」を見つけるのが怖かった。
物心つく前から自分の中で起こっていたことにずっと違和感を感じ続けていた私は、それが何であるのかを知るのが怖かったんです。
まるで腫れ物に触るように、考えることを避け続け――本当につい最近になって、「知ることを恐れていたもの」と向き合う勇気が持てるようになったのだと思います。
当時の私は「パニック発作を起こすようになった原因」について、「自分自身の心の弱さだった」と自分で結論づけていました。
――私より、厳しい境遇にいて、辛く悲しい思いをしている人達が、きっと沢山いる。
――幼い頃のトラウマなんて、なんてことのない小さな出来事なんだ。
そう考えて、胸にくすぶり続けるモノを心の底に埋めていくことばかりに一生懸命になっていました。
幼いころの私を、こころの隅に追いやって「無かったこと」にしたかったんです。
その後、私は普通に社会人になりました。
私が大人になる頃には「パニック障害」という言葉は一般的になっていたかと思います。
社会人になりたての頃のエピソードで、今も時々思い出す女の子がいます。
同じ職場の同僚で、同じ年頃だったのでよく話すことがあったんですけど…一度だけパニック障害を患っていることを話してくれたことがありました。
症状については会社に報告済みだけれど、仕事に支障をきたすことがあって困っていると…苦笑いしていました。
確かにそのころ、その子は会社を休みがちだったんです。
彼女は、特に私にアドバイス等求めていなかったと思います。
けれど、私はひどくぶっきらぼうに――「パニック障害は自分で自分を慰めれば治るよ」と言いました。
私はもちろん、過去に自分がパニック発作を患っていたことを話したことはなく、彼女は意図を図りかねたように曖昧に返事をしただけでした。
その後、ほどなくして彼女は職場を辞めていったんです。
私が彼女に行った言葉で辞めたわけではないと思うし、例え他の言葉を伝えていたとしても結果は変わらなかったと思います。
けれど、その辛さが少しでもわかるなら、他にかける言葉があったのではないのかと――。
今も後悔が残る思い出です。
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