最終話

それから…

1年ほどが経過し、何度か子育て専門のカウンセリングを受けながらも私は徐々に回復していった。


ご飯も食べられるようになって体重も元に戻ったし(または太ったともいう)、朝まで眠れるようになって、心配してくれていた夫にも安心させてやれた。


子育てにイライラは付き物だけど、前ほどはイライラすることもなくなった。


そう、ありのままの自分を…


私自身が、私を受け入れてあげることで驚くほど安心でき、穏やかになれたのだ。


───外で人と一緒に働くのが苦手だから、自宅でできる仕事を探して始めた。


───文章を書くのが好きなので、それを活かした趣味と仕事を手にした。


───私のことを本当に思って声をかけてくれる友達にも、きちんとその気持ちを返していきたいと強く思った。


そして、笑うことが今まで以上に増えると、子供たちの笑顔も増えたような気がする。



そんなある日、なんとなく久しぶりにSNSを開いた。


スマホの中のアプリを整理し、使っていないアプリを削除している時に、日頃利用しているものとはまた別の方のSNSに手が止まったのだ。


久しぶりにログインしてみると、友達リストに入っている人たちの新しい投稿がズラリと一覧で出てきた。


そして私は…


その中で、真奈美と思わしきアカウントを目にしてしまったのだ。



『mana@心理カウンセラー』(※仮名)



アイコンも顔写真なのですぐに気づいた。


『ああ、リストから外すの忘れてたんだな。

まぁいいや、アプリ消せばいいし』



そう思い、アプリを閉じようとした。


…………。


なぜか気になり、スクロールして投稿画面に目を通した。


それは、現在の真奈美が成功していることを願って?


それとも───。



あの日、長男の学校で心の内を打ち明けた時…


カウンセラーさんは、『心理カウンセラー』としての真奈美についても言及した。


「…なるほどね。

ただの友達に言われたことならともかく、心理学を扱ってる真奈美さんに言われたからこそあなたはそこまで不安定になってしまったのね。」


そうだ。


私という人間のすべてを心理学的に分析され、自分が知らないようなマイナスな自分まで見透かされている気がして…怖かったのだ。


それだけに、『本当は真奈美の言っていることが正しいのかもしれない』と…ずっと自己嫌悪に陥っていたのだから。


そんな私に、カウンセラーさんは遠慮なく言った。


「この真奈美さんって方、心理カウンセラーとしてはあまり優秀とは言えないと思う。

あなたに対してカウンセリングをしていたわけじゃないんだろうけど、カウンセリングって一方的に意見やアドバイスを押し付けるんじゃなくて、対話が基本なの。

優秀なカウンセラーは、あくまで自分は裏方に徹して相手自身に『解決に向かわせる』のを目的としてるから。

そして、何よりも相談者との信頼関係を築くことが第一。

でも、真奈美さんの心理的に自分が相手よりも優位に立ちたがる姿勢は変わらないと思うのよね。

むしろ…自身の劣等感を押し込むために、話を聞いてアドバイスをすることで優位になれる立場…つまりはカウンセラーになった、とも考えられる。」


…なるほど、と納得できてしまうのは、私が真奈美の性格をよく知っているからだろう。


「それから、妊娠・出産から子育てって…女性にとっては最もデリケートな部分なの。

産後うつや育児ノイローゼはもちろん、虐待件数の多さがその深刻さを物語ってるでしょう?

だからこそ私たちカウンセラーはもちろん、助産師や保健師なども対象者のケアをする際に尚さら慎重に言葉を選ぶ必要があるんです。

もちろん、子育てに関する相談を受けるカウンセラーに子育ての経験がないなら、勉強しなきゃいけない。

そんな予備知識もなく立場もわきまえず、無責任に相手を自分の周りの『第三者』と比べて責めたり下げたりするようなことを言って追い詰めるなんて、もはや勉強不足以前の問題。」


カウンセラーさんは一瞬眉間にシワを寄せて言った。


「…自分の発言に責任が持てないなら、『心理カウンセラー』なんて名乗らないで欲しいくらいよ。」


───なんだか、複雑な気持ちになった。


心理カウンセラーとしての臨床歴が長いこの人に、一度も会ったこともない真奈美がここまで酷評されてしまうとは。


でも、心の中で改めて安心できた自分が確かにいたのだ。


『私の受け取り方がおかしいわけじゃなかったんだ』…と。


続けてカウンセラーさんは…


真奈美のこれから先について、持論をもって予想し始めた。


「真奈美さんがどんな動機で心理カウンセラーになったのかは知らないけど、ここまで大きな自分自身の問題を克服しないままカウンセラーなんて続けても…

1年、2年…何年か後に必ずボロが出る時が来ると思う。」


「ボロ…?」


「そう。

カウンセラーって、どうしても相談者から否定されたりひどく拒絶されてしまうこともあるのよ。

でも、否定されることを極端に嫌う真奈美さんの場合、受け入れられるかしらねぇ…。

もしかしたら…否定されたことへの防衛本能が働いて、相手にとって心の傷となり得るような対応をして、自分のプライドを守ろうとしてしまうかも。

それだけ真奈美さんの劣等感は強くて複雑だと思うから、思わぬところで自覚する羽目になるかもしれないですね。」



───劣等感。


それは、時には向上心となって自分自身を高めるバネとなり得る。

しかし、あまりにも複雑なコンプレックスになるとその反動で……


他者を見下して優越感が得られる、マウント行為へと繋がってしまうこともあるのだろう。


真奈美も同じ心理学を扱う者として、マウントという言葉の意味ぐらい知っているはずだ。


もしくは、個人的にマウントの意味やマウントを取る原因の具体例を知った時、そこで自覚は芽生えたのだろうか。


『私、サエにマウントを取ってたんだ。』…と。


…………。


私は、いい人でもなければ出来た人間でもない。


むしろ、気が弱いくせに根に持つタイプで性格が良いとは言えないかもしれない。


だから、綺麗事無しで正直に、この場で言います。


───私は、真奈美のような人間が心底大嫌いです。

許せません。


他人を見下したり、故意に傷つけて満足を得ようとするなんて最低のクズだ。


たとえそこにどんな過去のトラウマや複雑な生い立ちがあろうと、心の傷が存在していようと、同情なんて微塵もできない。


他人の優しさに甘えてるだけの、幼稚でワガママな子供同然だ。


あまりにも大人として、未熟すぎる。


だからこそ…



過ちに気づいて、自覚して欲しい。


自分の感情を守った代わりに、人一人をここまで精神的に追い込んだのだから。



そんな小さな願いを込めるようにして、私は真奈美のSNSの投稿画面の文字を目で追った…。



『職場にネガティブな存在がいる〜。

やっぱり全体の雰囲気悪くなるなぁ。(笑)

辞めればいいのに。

自分に合う職場が見つかるまで探し続けるっていう選択肢が、多分ないんだろうなぁ。(笑)

現状を変える行動力が乏しい人。

私はそうじゃなくてよかった!』


…………。


『職場に既婚で子持ちの若い歯科衛生士がいるんだけど、その人のことを影で悪く言ったりしてるのは40歳以上の独身とバツイチの女性スタッフ。(笑)

ごめん、痛々しいよ…(笑)』


…………。


───そして。


『前の職場では、女性同士でマウントを取り合うなんてよくある光景だった。

院長も人間力がまだまだ足りない人だったし、トップがダメならスタッフもまた然り。

まぁ、私は静かに目を細めて傍観してましたけどね。(笑)

マウントなんて、弱くて心の貧しい人間がすること!』



………………………。



この投稿文を書いた時の真奈美が

自分自身の心の問題に気づき、

そして克服した後の真奈美であることを密かに願い…



私は、そっとアプリを閉じて、その指で削除ボタンを押すのだ───。




               〜終〜




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