第18話

「マウントって…?」


マウント……山??マウントレーニア???


まったく意味がわからないその言葉の意味を、カウンセラーさんは教えてくれた。


■マウント、マウンティング


マウントというのは、一般的には動物が自分の優位性をアピールするために相手の上に馬乗りになる行為。


一昔前に、沢尻エ○カ主演で女同士の壮絶な格付け合戦を描いたTVドラマ「ファーストク○ス」をキッカケに広まり、人間社会に当てはめたマウントが認知され始めた。


■マウントと判断すべき例


何気ない会話をしているだけで、悪気なく出た言葉をマウントと取られてしまう例もある。

マウントなのか、そうじゃないかの見極めは実に簡単であり、相手の人間性、相手との関係性が判断基準となる。


・明らかに見下されている、格下だと思われている

・こちらの成功や幸福に対して、祝福や賛同をしない

・こちらの発言に対して、小さなことでも否定から入る

・自慢されることが多い

・自分を上げて、こちらを下げる発言をする

・「あなたのために言ってあげている(叱ってあげている)」という名目で、人格を否定されるレベルの批判をされたりする

・いちいち論破したがる

・機嫌によって対応がまるで違う

・相手によって態度を極端に変えている(男女、または上司や部下など)


以上のパターンがいくつかヒットする場合は、『マウントを取られている』と判断していいでしょう。


───ここまで説明を聞いた私は、真奈美が私に対してしていたことの意味を改めて認知した。


カウンセラーさんが話す『マウントを取る人の特徴』が、面白いほどに真奈美の特徴と一致するのだ。


そして私は…


一つ、疑問をぶつけた。


「マウントを取ってしまう原因や理由って何なんですか?」


それに対して、カウンセラーさんからは逆に質問が返ってきた。


「ちょっと聞きにくいんだけど……真奈美さんって、もしかして今も未婚でいらっしゃるんじゃないかな?」


そうなので、そう答えた。

すると…


「やっぱりね。あのね、ここまでマウントを取る原因や理由って…一つしかないのよ。」



───“それは…嫉妬。”


私も、嫉妬じゃないかと疑ったけど…

真奈美は、私と同じく既婚で子供がいる沙希に対してはマウントなんて取っていないみたいだった。

だから私は、『自分に何か原因があるからじゃないのか』と悩んだのだから…。


それについて、カウンセラーさんはまたもや核心をつくのだ。


「おそらく、その沙希さんは真奈美さんにとっては単なる『対象外』なんだと思う。例えば、沙希さんの性格が底なしにプラス思考で明るいとか…その反面、間違ったことにはバシッと反応を見せて言い返す強さがある、とか…」


…確かに、沙希はそんなタイプだ。


だからマウントの対象じゃないというわけか…。


カウンセラーさんによると、『マウントを取られやすい人の特徴』はこうだ。


■マウントされやすい傾向


・気が弱くてあまり言い返さない

・争い事が苦手、もしくは怖い

・性格が優しい

・自分にあまり自信がない

・優柔不断な面がある


……性格が優しいのかはわからないけど、ほとんど私のことやないか。


そうだとしても、それだけの理由で勝手にマウント対象に認定されて傷つけられた私の立場は?


…なんという身勝手な。


そして、そんな私に真奈美がマウントを取る目的を聞いてみた。


それは…


マウントを取って私の価値を低く設定することで、自分自身の価値を一時的に上げて優越感に浸りたいから。


しかし、その実態は…


マウントを取ること自体が、劣等感の裏返し。

そうすることでしか自分のプライドを守ることができないほど、気が弱くて自分に自信のない人なのだ。


しかし、ここで私は真奈美の発言を一つ思い出した。


『私は自分の生き方に自信があるから!』


そう言っていた真奈美。

それに、言われたことすべて改めて思い返してみても、自信満々だとしか私には思えないのだ。


自分に自信がない私にはとても言えそうにないことばかりだからだ。


そんな真奈美が、結婚もしていなくて子供もいないことをそこまでマイナスにとらえるだろうか?


そんなモヤモヤに対しても、カウンセラーさんは質問で返してきた。


「じゃあ、あなたは『自信に満ち溢れている人』を実際に見たことってある?」


そう訊かれて、私はしばらく考えた。


「見ていて『自信があるんだろうな』って思ったことならあるけど……」


カウンセラーさんの口から、真奈美の心の裏側が淡々と語られた。


「本当に『自分の生き方に自信がある人』って、自分自身に満足してるからわざわざ『相手より自分の方が上だ』と誇示する必要なんて、ないんです。」


確かに、そうだ。

自信があるなら、人を見下さないといけない理由なんてないんだ。


「だから、真奈美さんも自分に自信なんてないんだと思いますよ。そして……幸せではない。」


───幸せではない。


……真奈美が?


ふと、私の結婚式の日、涙を流していた真奈美の姿が記憶として脳内に甦った。


『でもね、サエ…本当に幸せなら、人と比べたりしないと思うよ…』


もしかしたらあれは、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。


人と比べて嫉妬してしまう自分自身に、真奈美が…。


真奈美は、本当は結婚もしたいし子供も欲しいんだ。


私が結婚した時、『私は結婚に夢が持てない』とも言っていた真奈美。


そして…


『私は、もしサエが「結婚して子供も出来て幸せ!」って幸せアピールをしてきたとしても、「それって未婚の私のことを不幸だと言いたいの?」っていう考えにはならないのよねー(笑)』


あれは逆に、『あなたに嫉妬なんかしてないから』っていう牽制だったのか。


そう思うと、なんだか…


真奈美も苦しんでいるような気がして、なんとも言えない気持ちになってきた。


そして私は、カウンセラーさんに自分の考えを話し始めた。


「もし、そうなら…真奈美だって、私を傷つけようとわざとマウントを取ってたわけじゃないんだと思います。

自分自身が辛くて、苦しくて、そのあまりに思ってもいないことを無意識にマウントっていう形にして私にぶつけてしまっただけで……悪気なんてなかったのかもしれないですし。

私だって、もしかしたら自覚がないだけで誰かにマウントを取ってるのかもしれないじゃないですか。」


そんな私の考えとは裏腹に、カウンセラーさんは少し表情を曇らせるのだった。

そして、返ってきたのは…



「残念だけど、それはないと思う。

真奈美さんとのLINEのやり取りを見せてもらったけど、一見、あなたの揚げ足を取って否定しているだけに見えて実際はかなり洗脳に近いレベルで精神的に追い詰めてるから。

初めに『本当に幸せなら人と比べたりしないから』とあなたに前置きしておいたうえで、以降は何度も自分の周りの第三者の存在を例に挙げてあなたと比較し、尚且つあなたを下げる発言ばかりしてる。

それも、『心配だから』とか『あなたのために言ってる』とかいう安全な言葉をうまく使って正論を述べているかのように見せて…ね。

結果的にこれは、あなたに最終的に『人と比べている自分は不幸だ』と思い込ませるための…巧妙に仕組まれた心理操作って言ってもいいと思う。」



ゾクリ、と悪寒が背筋を流れていった。



───こっっっわ。



普通、そこまで考えて自分の意思で故意に他人を貶めようとなどするだろうか。


それも、ただの嫉妬ごときで。


さすが、心理学を学んでいるだけのことはある…というわけか。


なぜなら、実際に私は自分のことを不幸だと思い、生きる気力さえ失っていたのだから。


続けてカウンセラーさんは言った。


「たかがマウント、されどマウント。

侮るべきじゃないんですよ。

実際に、長年職場の同僚から毎日のようにマウントを受け続けていて、最終的に精神病棟に入ったまま出てこなくなった人を私は知ってるから。

それだけ言葉の威力って強力なんです。

ですから、そんな人とは絶対に関わっちゃダメ。

エネルギーを吸い取られてボロボロになってしまう前に、絶縁できて本当に良かったと思いますよ。」


今まで深く考えたこともなかったことだった。

カウンセラーさんはさらに続けた。


「人はみんな幸せになりたくて、不幸にはなりたくないですよね。

もちろん、幸せになる努力と不幸にならない努力もしながら生きてる。

人はそれだけ、不幸が怖いんです。

自分のことを不幸だなんて思いたくないんです。

そんな自分が『不幸かもしれない』、『自分は不幸』なんだと思い込んでしまえば当然生きる気力がなくなったり、卑屈になって幸せそうな他人を妬んで攻撃するようになる可能性だってあるんです。」


そして、ある質問をされた。


「あなたは、幸せそうな人に対して湧いた嫌な感情を口に出して言いたいと思う?」



───そうか、そういうことか。


私は…自分のことが見えてなかったんだ。



そう気づいた瞬間、私の口からはスラスラと自分の意思が溢れ出したのだ。



「いいえ、思いません。

私、社会的に自立もできてなくて、そのせいで自分に満足していなくてあまり自信もないんですけど…

私は、傷ついたことで人の痛みを理解できました。

だから、自分の劣等感や辛い気持ちを優先して誰かに悪意を向けて傷つけたくなんか…ないんです。

こうして自分のことを見つめ返してみたら、私は決して『ダメ人間』なんかじゃないんだって…そう思えました。」



それを聞いたカウンセラーさんは、安心したように笑ってくれた。



人と人の間に勝ち負けなんてないけど…


この時、私は精神的に真奈美に打ち勝てた気がしたのだ。


そして、真奈美はもう私には関係ない。


私は何も、真奈美の価値観で真奈美の人生を生きてるわけじゃないんだから。


私は私が正しいと思うことを信じて生きていけばいいだけ。


なぜそんな簡単なことを忘れてしまっていたのだろう。



そして…


「あのね、一つだけ頭に置いといて欲しいことがあるんだけど…」


カウンセラーさんは、その日見た中で一番の明るい笑顔で私に言ったのだ。


「あなたがそこまで傷ついて自分を責めているのは、それだけ毎日一生懸命に子育てと向き合っている証拠なの。」


───その一言で、私の脳内が一瞬でクリアーになった。


それと同時に、両手が震え出したのを覚えている。


「大丈夫…世の中にはね、自信満々で完璧な子育てしてるお母さんなんて、きっとどこにもいないから。

愚痴の一つも出てこないお母さんなんて、私は見たことないよ。

だからこうして私の仕事が成り立ってるんだしね!」


私は…


恥ずかしげもなく、その場で声を上げて号泣してしまった。


───自分を取り戻せた。


『自分のことを惨めに思いたくないから、いろいろ頑張っちゃうんだね…』


…そうじゃないよ、真奈美。


私は…



幸せだから、頑張れるんだよ。



───こうして、私は心理学を扱う人からの言葉によって生きる気力を失い、


同じく心理学を扱う人からのまっすぐな言葉によって少しの自信を取り戻せたのです───。


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