第13話

───心理学を学び始めたという真奈美。



本業の歯科衛生士の仕事をしながら勉強をして資格を取ったというのだから、きっと大変だったに違いない。


「へぇ、心理学かぁ。私もたまに心理学を元にした啓発記事とか読んだりするけど、『確かに!』ってなること多いし、読んでるだけで楽しいね!」



…と、とりあえず素直な思いでそう返した。


しかし、嫌な予感はすぐに目に見えるものへと姿を変えるのだ。

真奈美からの楽しそうな返信になって…。



「そうなの!サエちゃんにも心理学の良さがわかるみたいで嬉しいっ。『究極の大人の趣味』って感じだからさ!お陰様でフラットに生きてます。(笑)それに、子育て中の人たちから相談受けることも多いんだよ。だからさ、何をどうすれば楽になれるのかも自然とわかるようになったんだよね(笑)」


そうだったのか。

なるほどね。


「そうなんだ。確かに子育てに行き詰まったりした時とか、カウンセラーさんに相談することで元気づけられたり励まされたりするだろうね」


……とまぁ、そんな平穏なやり取りはそう長くは続くわけがなかったのだ。

真奈美の心理学への熱い志しは、留まることを知らずに一方的に私の元へと届けられ続けた。


そう、それはまったくもって聞き捨てならないセリフとなって…!



「それでね、いつかは心理学の力で周りの人を幸せにするサポートがしたいんだ。みんなが自分らしく、自由に生きていけるように。周りの人たちが結婚に失敗して離婚したりとか、不幸になっていくところは見たくないからね。」



………………。


………。


…はぁあ?!!



───ちょっと、待って待って待って?!


本気で言ってるの?



えっと…


どの口が言ってるんでしょうか。


私が結婚する時に、『幸せにはなれないと思う』と言った真奈美。


散々嫌味を言われた記憶が一気に蘇った。


そして、以前仲が良かったけど訳あって絶縁した元友人のことを『デブ』だの『歯並びが悪いブス』だのと見た目のことばかり貶していた真奈美。



───そんな人に、周りを幸せになんてできるの?



…ああ、今のあなたは昔のあなたとは違うのよね?きっと。そうなんだよね?!



でもあなた、つい十数分ほど前に『幸せだ』と言っている私に向かってそれを思いきり否定しましたよね?!(笑)


え、それが心理学的な手法なの?

敢えて嫌味を言ったり否定したりして、正解へと導いてくれてるの?


それとも、話している相手がただの友人の一人である私だから、仕事モードじゃないだけ?



……わからない。



私は心理カウンセラーじゃないし、ただの主婦だから。


でも…



真奈美の放つ言葉にこんなにも嫌な感情が湧いているということは、そういうことなんだろう。



──ああ、突っ込まずにはいられないよ。


だって……真奈美あなたの性格、私はよく知っているから。


言ってやるよ。

心を込めて。



「それはすごく立派で素敵な夢だね。でも、他人の幸福度を勝手に自分軸で測ってわざわざそれを否定の言葉にして不安を煽るような人にそんなこと、本当にできるの?少なくとも、私はあなたとこうして会話していて気持ちが安らいだり、前向きになれるような要素は一つも感じないけど。それとも、人によって接し方も言葉も使い分けてるってこと?夢を持つことは素敵なことだし、私も応援したいよ。でも、口先だけで中身が伴っていない人のことは素直に応援できない。」



───気がついて欲しい。


真奈美、あなたは昔からそういう面があったよ。


虚栄心が強くて、自分の本質を無視しながら格好ばかりつけたがるところが。


お互いに独身だった頃、突然『私、アメリカに行こうと思ってるんだ。』と言いだした真奈美。


なぜいきなりアメリカ…?と不思議に思っていたら、真奈美の身近な友達がアメリカに渡っていろんな経験を積んでいることで刺激されたことが後でわかった。


そして、もちろん真奈美がアメリカに行くことは…なかった。


若さゆえの『憧れ』や『背伸び』…だろうか。


とにかく、私の前で自分を大きく見せたがる性格は昔から変わっていないようだった。


──そう、『自分のことを否定されることを極端に嫌い、プライドが高くて負けず嫌い』なところもまったく、変わっていなかったのだ。


この辺りから、真奈美からの返信に明らかな攻撃性を感じ始めた。



「人が頑張ってることを否定しないで!まぁでも、そうなっちゃうよね。(笑)私とサエがんだと思うから!(笑)でもね、サエみたいに育ち盛りの子供育てながら独立起業してる人もたくさんいるんだよ。IT関係だったり、美容関係だったりいろいろね!やる気と行動力さえあれば、出来ないことなんてないんだよ。みんな、子供のために仕事も頑張っててすごいんだよ!

サエも早くいい仕事に出会えたらいいね!」



──真奈美の言ってることは間違いじゃない。

理屈として物凄く通っているのだ。


でも…



ただの専業主婦の私にわざわざそんなことを説くのって、明らかな他意を感じるんだけど。



私が持っていないものを持っている人を例に挙げて、比較して『私の方が劣っている』と遠回しに示唆している。

始めから、ずっと。



そう、たとえば…



───私が真奈美に、


『結婚してる私と独身の真奈美が違いすぎるから理解し合えないのは仕方ないよね(笑)でも、私の周りの独身の人たちはフルタイムで仕事しながら婚活頑張ってるよ!

マッチングアプリとか、結婚相談所とか利用してる。

それで35過ぎて結婚した人もいるから!

やる気と行動力さえあれば、結婚だってできるんだよ。

仕事もしつつプライベートも充実してる女性って生き生きしてるよ!

真奈美も早く結婚できるといいね!』


…なんて言ってるようなもの。


どう?


余計なお世話すぎて、イライラしない?

ほっとけよって感じだよね。


こういうの、なんていうか知ってる?


『クソバイス(クソアドバイス)』っていうんだよ、覚えといてね。


アドバイスすることで自分の立ち位置を上に置いてるだけ。



それと、『人が頑張ってることを否定しないで!』って一丁前に怒ってるけどさ。


その前に私に同じことしまくってるあなたが言えることなの?(笑)



───マウントを取る人の最大の特徴の一つとして、『人のことは平気で否定したり見下したりするけど、逆に同じことをされると凄まじく激怒する』という点が挙げられる。


要するに、自己中の極みであり、逆にやられたら倍返しが基本なのだ。


そうすることでしか、自分のプライドを守れない。


…と、こんなふうに真奈美の人間性を理解できている今ならば、何を言われても冷静にスルーできていただろう。


しかし、この時の私は…



『仕事をしていなくて子育てしかしていない自分』というものに、どうしても引け目を感じていたのだ。


それだけに、真奈美の言葉は深く胸に突き刺さってしまった。


『そうか。みんな子育てしながら自分の夢を持って頑張ってるんだね。じゃあ、特にやりたい仕事も夢もなくて、唯一の子育てですらストレス抱えてる私は一体なんなの?真奈美の言う通り、ただの愚かな不幸者なの?』



次第に、そんな劣等感が自分の存在価値を薄めていき、自己肯定感が下がっていく。



───不安でたまらなくなった。


自分自身に対する、漠然とした焦りと不安。


もう、頭の中を埋め尽くすのはそんな自分をごまかすためだけの言い訳しかなかった。

そしてそれは、言葉にして真奈美へとぶつけることを私の脳に命令した。



「そっか、夢のために頑張ってる人ってすごいね。私はまだ当分は考えられないかも。子育てでいっぱいいっぱいっていうのもあるし、今はまだ子育てに専念していたいから。」


そんな私のミスは、またもや真奈美にその揚げ足を取られる始末となるのだ。



「いっぱいいっぱいって…そんなに?たとえば、子育てのどんなところがキツいの?素朴な疑問。」



『いっぱいいっぱい』というのは手一杯という意味であり、何も『子育てに悩んで疲れて苦しんでいる』というわけではない。



こちらの何気ない発言に突っ込まれることは昔から変わっていなかったし、私には『面倒臭くなってつい素直に答えてしまう』という癖みたいなものがついてしまっていた。


真奈美に対してだけ、だけど。


「いっぱいいっぱいって言っても、そこまで深刻なことじゃないよ。(笑)子供たちが勝手に外に遊びに行く年になってきたし、やっぱり無事に帰ってくるまで心配だなーって程度かな?長男が転んで血だらけになって帰ってきたこともあるし。まぁ、そんなこと言ってたら思春期なんてどうすんのって話やけどね。(笑)」



面倒くさい。


私は真奈美からのアドバイスや説教なんて、求めていないのに。


ただ、初めから対等な立場で雑談ができればそれでよかった。


しかしそんな思いが真奈美に伝わるわけもなく、その返信はさらに私の自己肯定感を下げていく一方だったのだ。



「親が子供のことを心配するのは当たり前やけど、『心配しすぎ=信用してない』ってことやから心配しすぎちゃダメだよ?子供は『親から信用されてない』って感じたら反発して、外で悪いことするようになるから。子供の立場になって物事考えたことある?ないでしょ?」



………なぜ、こんなにも不快な気持ちになるのだろうか。


真奈美は何も間違いを口にしてるわけじゃないのに。

子育てに関して、いろんな意見や考え方があってもなんらおかしくはない。


それなのに、なぜ、私は…。



───子供を3人育ててる自分が、出産も子育ての経験もない真奈美から偉そうに子育てのアドバイスをされたから?



…いや、違う。



だって、私はそんな理不尽な差別の目で人を見たことがないから。


もし仮に、自分の子供の保育園の担任の先生が未婚で子育ての経験がなかったとしても、それだけの理由で『この人には安心して子供を任せられない』なんて思わない。


たとえ子育てしたことがなくても、子供に寄り添ってしっかり成長を見つめてくれる先生ならば。



「いわゆるってヤツにならないように!(笑)」



続けてそう言われた瞬間、私はこの不快な気持ちの原因を理解した。



───そうか。


『何も知らない奴が偉そうに、人をバカにしながら上から目線で求めてもないクソバイスをして調子に乗ってるからムカついてるんだな、私。』



そんな苛立ちはついに、私の理性を取っ払ってしまった。


そして…


次に私から飛び出した言葉は、のちに深い罪悪感に苛まれることになるほどの、負の感情だった。



「なんで子供もいないのに、そこまで偉そうに子育てのこと語れるの?子育ての苦労なんて、実際親になってみないとわからないと思う。」



送信した直後、ハッとした。



私は…



───言ってはいけないことを言ってしまった。


実際にこの時の私は、真奈美が『結婚していなくて子供もいない自分』に深い劣等感を抱いているとまでは考えていなかった。


でも、やはり未婚で子供がいない30代後半に差し掛かった同い年の女性が、言われて気分を害する言葉には違いない。



そして案の定、真奈美も例外なくその攻撃性に拍車がかかることとなるのだ。


『倍返し』が基本のマウンター。


自分で言った言葉に口を塞いでいる暇もなく、精神を追い詰める言葉たちが凶器となって私の心を抉り始める…。


この不毛で果てしないレスバトルの末に行き着く先を、この時の私はまだ予想もできなかったのだ───。

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