第9話

 次の日、昨日と同じように部室を訪ねると、山内はバンドのメンバーと談笑しているところだった。その中には、昨日エレベーターで彼と親しげにしていた例の茶髪の美女もいる。

「佐野じゃないか」

 山内は僕の来訪に気がつくと、気さくに手を挙げて迎えてくれた。「こいつは佐野って言って」と、周囲に僕を紹介し始める。

「で、今日はどうしたんだ? やっぱりバンドやりたくなったのか?」

「そうじゃないんだ。実は昨日、山内に訊きそびれてたことがあってね」

「ああ、確か俺を探してたとかなんとか、言ってたなあ。それか?」

「まさにそれなんだ」

 他の人の前では話しにくいことだから。僕は山内を部室から連れ出した。同じフロア、自動販売機の横のスペースで、それぞれがスツールに腰を下ろす。へらへらと山内が笑う。

「みんなに訊かれて困るような秘密なんて、ないと思うんだけどな」

 缶コーヒーを差し出すと、彼は「サンキュー」と軽く返事をして受け取った。彼に倣い、僕もプルタブのフタを空けて中身を飲む。微糖の独特なほろ苦さが口内に広がった。

「僕はある人からある依頼をされてね、それで昨日、山内を訪ねたんだ」

「じれったい言い方だな。訊きたいなら、何でも訊けばいいだろ」

「わかった。じゃあ、遠慮なく」そういえば、それ以前に確かめなければならないことがあった。「あの茶髪の子とは付き合ってるの?」

「茶髪? ああ、まあな。結構可愛いだろ?」

「うん。そうだね。そう思う」

 改めて彼女の容姿を思い出してみる。茶髪で背が高い。おっとりして地味目なヒカリとはだいぶタイプが異なるようにも見えた。

 山内曰く、彼女との出会いは約三カ月前のことであり、告白は自分からしたのだと言う。僕はそのエピソードを、時折相槌を打ちながら聞いていた。

「で、そんなことを訊いてくるように頼まれたのか? もしかして、その依頼人ってのは、俺の彼女のことを狙ってるとか?」

「それはないかな」

「まあ、一応そいつに言っといてくれよ。残念だけど、諦めてくださいって」

 諦めてください、か。山内にその気はないにしても、少々残酷な言葉に聞こえた。

「山内、残念だけど、僕が本当に訊きたかったのは、君の今の彼女に関することじゃないんだ」この状況で切り出すのはいただけないが、いずれは言わねばならぬことだ。その遠慮のせいか、僕は山内から視線を逸らしていた。「ヒカリって女の子のことについてなんだ」

 視界の外で彼の肩が跳ねるのが伝わった。

「お前」山内の声は、震えていた。「何が知りたいんだよ」

 様子を窺うと、彼は顔を強張らせていて、両手は缶コーヒーをきつく握り締めていた。

「山内が今、何を思っているかが知りたいんだ。山内はヒカリのことを――」

「ふざけんな!」

 彼のその叫びは僕の台詞を遮るどころか、フロア中を駆け抜けて、こだましていった。じんとした残響が耳に残る。

「なんなんだよ、お前は! 今さらそんなことをほじくり返しやがって!」

 固いもので突然頭を殴られたような感覚に、目が回った。それほどまでに山内の声は荒々しく、余裕のない色をしていた。

「佐野。お前は一体、ヒカリのなんなんだよ!」

 かっと目を見開き、山内はこちらに詰め寄ってくる。僕は再び目を逸らす。僕とヒカリの関係性は……。慌てて探すも、山内が納得できるような返答は、生憎持ち合わせていない。だからと言って、「赤の他人だ」と突っぱねてしまうのは、違う気がした。

 山内の呼吸は荒かった。泣いていた。彼は両手に持った缶コーヒーに額を押しつけて、嘆いていた。「なんなんだよ、くそ」後悔にも似た悲鳴が聞こえてくる。

「どうして今さらになって、そんなこと言うんだよ。仕方ねえだろうが。しょうがないことだろうが。だって、そうだろ?」同意を求めるような、掠れた声が届く。「ヒカリは、死んだんだから」

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