第6話

 家に帰る頃には、辺りは既に暗くなっていた。僕の住処は比較的新しく、駅に程よく近い割には家賃の安いアパートの一室だった。階段を上り、ドアノブに鍵を差し込んで回す。金属の音が鳴って、扉が開く。

 あ、佐野さん。おかえりなさい。

 ヒカリが、期待の眼差しとともに出迎えてくれた。

「ただいま」

 僕は靴を適当に脱ぎ捨てると、座布団の上に胡坐をかいて向かい合った。

 なるほど。彼と会うところまでは上手くいったものの、肝心の用件は言い出せなかったんですか。失望しましたよ、わたしは。

「ちょっと見切るのが早すぎるんじゃないの? 大体、僕には僕の意思があって、何でもかんでもヒカリのためだけを思って行動できるわけじゃないんだからさ」

 渇いた喉にビールを流し込む。一日一缶の日課だ。安物で満足しているあたり、とりわけて酒好きな部類ではないのは明白だが、今さらルーチンワークを崩すのは、それはそれで決まりが悪い。

 僕の悪態を、冗談に決まってるじゃないですか、とヒカリは笑い飛ばした。赤の他人のわたしに協力してくれてるってことだけで、それだけでわたしは感謝してるんですから、とも。

「赤の他人、ねえ」

 僕は彼女を、薄水色のパジャマごと眺めてみた。当初は違和感を覚えていたヒカリという存在も、今ではすっかりこの部屋に馴染み、溶け込んで見える。

「他人って言い方は、なんだかなあ」

 淋しいなあ、とは直截言えなかったものの、ニュアンスとしては充分に伝わってくれたらしい。

 そうですね。他人、なんて遠い関係じゃないか。同居人ですもんね、わたしたち。

 その通りだと僕は頷く。ただ正確に言えば、家賃も光熱費もすべて僕持ちなので、実質、ヒカリは居候の身である。


 決して迷惑はかけませんから。

 二週間前、初めて僕の前に現れたヒカリは平身低頭で、そのくせしがみつくような視線で僕に求めてきた。しばらくでいいから、ここにいさせてください、と。

 僕はどこかで見覚えのあったその顔を見つめて、それがいつ、どこでだったのか思い当たるや否や、危うく声を上げそうになるくらい驚いた。どうしてこの子がいるのかと。そして瞬時に、彼女の抱える事情も察知した。

 ヒカリは首を傾げて訊ねてきた。

 わたしのこと、知ってるんですか?

「そりゃあもう。僕も君と同じ大学だから、余計にね」

 そうだったんですか。それはまた、奇遇ですね。

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