ヴィクトリア・フォン・ラシアン侯爵令嬢視点

 突然ですが私の名前はヴィクトリア・フォン・ラシアン。ラシアン侯爵家の一人娘です。将来的には何処からか婿を迎え、父の跡を継ぐことを宿命づけられていまして、その為に厳しくも大切に育てられてきました。

 幼い頃は純粋にそれを嬉しく、幸せなものとして享受していました。それがプレッシャーとなってきたのはいつからだったのでしょうか。私にかけられた将来への期待が見えるようになって、それが父や母や家人の皆さん、付き合いのある他の家の方といった、ありとあらゆる方から向けられていることに気付いたのはいつだったのでしょうか。記憶にはないですが、もしかしたらキッカケなどなかったのかもしれません。

 じわりじわりと父母からの眼差しが、じわりじわりとメイドや執事達からの眼差しが、私の背中にのしかかっているように感じられるようになったのです。それでお腹に違和感を覚えるようになったのが10歳の誕生日を迎える直前のこと。

 そこへさらなるプレッシャーが襲ってきました。


「ヴィクトリア、君のお見合いの相手が決まった」

「ど、どなたですか?」


 その時にはもう、私は嫌な予感がしていました。プレッシャーにプレッシャーをかける方が来るであろうと。そして、その予感は的中したのです。

 嬉しくはないですが。


「エヴァン・キンダス・ウンド第3王子殿下だ」

「おおおお、おうじ、でんか?」


 キリキリキリキリ。私のお腹がまるで石臼を回され、締め付けられるような感覚になりました。ハッキリ申せば、お腹痛い。

 私の表情は歪んだものとなっていたでしょう。しかし、父はそんな私の顔を見て不思議そうに首を傾げるだけでした。


「おや、嬉しくはないのか? お姫様みたいになれる。やったー♪ と飛び跳ねても良いのだぞ?」

「そ、それは」


 何処の幼子ですか? そうやって純粋に喜べるのは5歳か6歳といった、非常に小さな子供まででしょう。私はもうすぐ10歳、子供ではないのです。あ、子供ですか。じゃあ小さな、子供ではないのです。

 嗚呼、プレッシャーが感じられて、お腹が痛い。


「だって、もし失礼でもあったものなら大変でしょう? 失敗でもしようものなら、その場で打ち首になったりしませんか? 殺されちゃったり、しませんか?」

「ハハハハ。ないないないない、そんなこと。陛下も殿下も普通の人間だ。良い方達だ。今まで会った人達と同じように、気楽にやればいいんだよ」

「そ、そんなこと」


 ある訳ない。ある訳ない。ある訳ない。ある訳ない。

 父はこれまでの実績があるからこそそう言えるのであって、ただの娘でしかない私にそれは適用されません。もし万が一失礼があって、不快な思いをさせたならば死刑になるに決まっています。このお見合いは生か死か瀬戸際のテストだったのです。

 その結果、私は大失敗をしてしまいました。挨拶の場で嘔吐してしまったのです。

 ヴォエエエエエエエエ…………








「何をしているのだ?」

「ドゲザです」

 お見合いで盛大な失敗をやらかした私は、帰宅した父を見るとすぐさまドゲザを敢行しました。ドゲザとはその昔、異界からやって来た勇者が伝えた謝罪の心を最大限に示す伝説的な作法です。

 父はそんな私を見て、一つ溜め息をついてから言いました。


「誰も怒ってなんかいないよ。失敗の一つや二つ、誰にだってある。エヴァン殿下からも怒らないであげて下さいねと仰られたくらいだ。私も別に怒ってなどいない。だから、小言など何も言うつもりもない」

「愚昧な娘に対しこのような寛大な措置、誠に有り難うございます」


 私は深く、深く、頭を下げました。王家の皆様の前で嘔吐してしまうなんて、死罪になってもおかしくなかった筈なのに、王都追放もなければ、牢獄に入れられて百叩きといった懲罰もない。それは父をはじめとして、多くの人が心を砕いてくれたからに違いありません。

 父はさらに一つ溜め息をついて、私に訊いてきました。


「念の為一つ訊いておくが、エヴァン殿下に会うのが不快だったということはなかったよな?」

「はははは、はい。そのようなことは一切ございません。エヴァン第3王子殿下は噂通り、いえ噂以上に見目麗しい方で、さらに振る舞いも非常に紳士的で素晴らしいお方。そのような方に対して不快に思うことなんてありよう筈がありません。寧ろ、この私が汚い顔を晒してしまっていないか、一つ一つの所作に間違いはないか、殿下と並び立って不適格と後ろ指をさされるようなことはないか、ご不快に思わせてしまう部分はないかとあれこれ考えたくらいですから」


 私は連射魔法のように次々と喋っていました。エヴァン第3王子殿下は城に勤めるメイド経由で、非常に見目麗しい方だと噂が流れておりました。しかし、百聞は一見に如かずと言うのでしょうか、実際に会ってみるとそんな噂を真に受けて想像した姿よりもさらに見目麗しい姿をしていらっしゃいました。庶民的に言えばヤバイ、イケメン度えぐ過ぎて死ぬ、でしょうか。

 だよなぁ。そう言いながら、父も頷いていました。あの年齢であれ程の逸材は中々ないと言いながら。

 その意見には大いに同意でした。良き令嬢と巡り会って、幸せになって頂ければ良いとさえ思っておりました。しかし、父は私に仰られました。


「また、エヴァン殿下と会う機会はある。次、頑張れ」


 え、次がある? また、私とエヴァン殿下が会う機会を設ける?

 それを聞いて、私は察しました。嗚呼、私は赦された訳ではないのだなと。保留だったのだと。私が庶民だったからすぐさま死罪だったかもしれませんが、私の身分が下手に高いものだったから処分に対して慎重になったのでしょう。

 ただ、再度失敗してしまえば今度こそ死罪は免れない筈です。完璧にやらなければいけない。完璧にやらなければいけない。完璧にやらなければいけない。

 痛むお腹を抑えながら再度エヴァン殿下とのお見合いに臨んだ結果、私はまたしても大失敗をしてしまいました。

 ヴォエエエエエエエエ…………








「先立つ不孝をお許しください。私はお父様、お母様が望まれる最低限の令嬢にさえなれませんでした。全ては愚かで、不出来な私が悪いのです。このような結果になっても、王家に対して悪く思われぬようお願い申し上げます」

 私はあれこれ文面を考えながら、紙に書き記していきました。何処まで私の時間が残されているか分からないので、出来ることを出来る内にやっていこうと考えていた為です。

 そんな私の後ろに影が。


「何をしているのだ?」

「遺書です。いつ死罪になっても良いように」

「そんなもんにはならんし、させないよ」


 後ろからの影、父は私が書いていたものを取り上げ、迷いなくくしゃくしゃと丸めて捨て、それをメイドが受け取ってすぐさま処分してしまいました。ああ、今のところそこそこ上手く書けていましたのに。と言うか、それ以前に娘の部屋へ勝手に入る父親って如何なものでしょうか?

 そんなことを考えていた私に、父はまた溜め息をつきながら言いました。


「ヴィクトリア、君はあれこれと考え過ぎだ。それも悪い方向悪い方向にね。王家は別に君を罰しようだなんて考えていない。それも死罪? 寧ろ、私は何故君がそのような罰を受けると考えてしまったのか知りたいくらいだ」

「わ、私が失礼をしてしまったからです。二度も!」

「じゃあ、君は我が家のメイドが同じことをしたら死罪にするのかい? 例えば君のドレスを誤って汚してしまったメイドの首を落としたり、鞭を打ったりするのかい?」

「そ、そんな恐ろしいことしませんよ!」

「王家も同じこと。私達のような民は王家を支えて働く人間であって、一方的に支配される人間ではない。王家側もそうやって自分を支えてくれる民のことを大切に思ってくれているし、いたずらに罰そうとはしない。ましてやすぐさま死罪にするなんて恐ろしいことをしないよ。そんな恐ろしいことをする王家など百害あって一利なし。支える価値などないからね。それをご存じだからか、エヴァン殿下は今回も私に向かって『娘さんを責めないで下さい。悪いのは私ですから』と何度も何度も仰っていた。だから、気にするな。厚意の上に乗ってしまうようだけれど、気にしてもしょうがないからね」


 父はそう言って、会話を強制的に終了させました。

 死罪にはならない。父にそう言われても、しばらく私は不安な日々を過ごしておりました。誰かが我が家を訪れるとそれが私を逮捕する為の人間だと思って震えたり、夜眠ると次の日の朝を迎えられないのではないかと不安を抱いたり、そんな日々を過ごしておりましたが、特に変化のないまま日は過ぎていきました。

 そんなある日のこと、私を友が訪問してくれました。彼女の名前はカイエトゥール・フォン・マクタ。私と同じく侯爵家の令嬢です。








「突然今日会いたいだなんて、どうかしましたの?」

「もしかしたら、もう会えなくなってしまうかもしれない。じゃあ、そうならない内に会っておこうと思いましてね」

 突然会いに来たカイエトゥールさん、カイエさんに今日の用事を訊きましたら、カイエさんはただ会っておきたかったのだと言いました。それはまるで、重病を負って死を間際にした老婆のようでした。

 どういうこと? それもまた訊いてみますと、王家の人に失礼を働いてしまったので、いつ罰を受けるか分からないとのことという、何か聞いたことのある話でした。詳細を伺いますと、内容もまた同じ。


「エヴァン第3王子殿下とお見合いをしたんですよ。とりあえず会ってみようかってだけだったんですが、会ってみたら想像を遥かに超えた超絶美少年で吃驚仰天。こんな国宝級美少年を前にして失礼があってはいけない。そのようなことをしては万死に値する。そう思っていましたら緊張に緊張を重ねてしまって、お腹が痛くなって、その中にあるものが大逆流。耐えようと試みましたけれど、抵抗虚しくそれは大噴水になってしまいまして。嗚呼、私のような愚昧な小娘は死罪となってしまうでしょう。ならば処刑となるその前に、友である貴女に会っておこうと思ったのです」

「…………私も」


 カイエさんの話を聞いて、私も手を上げました。そして、私も私の失敗談を彼女に聞かせたのです。2回もやってしまったことも含めて。

 私達は同じ立場でした。自分の失敗で家族に迷惑をかけたくないという想いまで一緒でした。なので、2人のどちらかが王家の人と会うことになったならば、もう1人もまた反省しているのだと訴えて、減刑を願おうと約束をしました。死罪よりは王都追放で、それも叶わないならばせめて家族に迷惑がかからない形にして頂こうと。

 そう考えていたのですが、私達小娘が王家の人達と会う機会は中々訪れず、機会のないまま数ヶ月が過ぎました。


「何も出来ませんでしたね」

「そうですね」


 それから1年、2年と過ぎてもその機会はありませんでした。それどころか、罪人として連れて行かれることもありませんでした。

 その頃には死罪にならなくて済むのでは? 私もカイエさんも次第にそう思うようになっていました。とは言え、反省の気持ちに変わりはありません。会ったら謝罪しよう。会ったら謝罪しよう。そう思い、カイエさんと2人でそう言い合っていたのですが。

 さらに1年、2年と過ぎてもエヴァン殿下と会う機会はなく、貴族学院に入学する歳になっても会うことはなく、新入生挨拶で出ると思ってもそれすらなく、挨拶は私に回ってきました。


「会えませんね」

「そうですね」


 私とカイエさんはそう言い合って、また落ち込みました。やはり私達は赦されていないのだ。会う資格、謝罪する資格すらないのだと。

 そんな私達がエヴァン殿下は貴族学院に入学すらしなかったこと、王家を離れて冒険者をやっていると知るのは、また別の未来のお話。

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