37:糸井と福本

3月10日 夕方

糸井の自宅

糸井が荷物を整理しているとチャイムが鳴る「福本さん、、、。」インターホンのディスプレイを見て少し驚く糸井。「少し良いですか?。」「どうぞ。」とロックを解除する。ドアが開くと満面の笑みの福本、「いやぁ、立派なお宅ですね。先生、一杯やりませんか?。」と手にした一本包みの風呂敷を持ち上げる。「私の追い出しに成功した祝いですか?。悪趣味だな。」と言うが「お上がりください、、、。」と礼儀として福本を招き入れる。糸井が福本に背を向けリビングに歩き出すとコン、ザサッと音がし「糸井先生、申し訳無かった。」と後ろから聞こえる、振り返ると床に額を付けた福本の姿があった。「私は、先代の黒川院長と黒川家の皆さんに恩があります。天下りで実権を奪った安生から病院を奪い返したかったんです。その為とはいえ、大変な迷惑をお掛けしました。許してください。」と首を差し出したまま福本が言う。「私を追い出しておきながら、何を言ってるんですか?。ふざけないでいただきたい。」と糸井は珍しく怒りを表したが、福本の握りしめられた手を見て福本の思いの強さを感じ、しばらく福本の姿を見つめていた。「頭、上げてください。」と糸井は落ち着けと自分に言い聞かせながら言う、福本は糸井の紳士的な対応に申し訳なさが募るが、糸井の配慮に感謝しながらゆっくりと頭を上げた、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と福本は視線を下げたまま礼を言った。

荷造り中で雑然としたリビングのテーブルに向かい合う2人、それぞれの前には空間に滲むように湯気を立てるティーカップが置かれている。「安生は糸井先生と咲真先生の研究を聞きつけて、私に調べるように指示して来ました。」「そもそも、なぜ安生が私たちの研究を知ってたんですか?。」と福本を問いただす糸井、「はい、、、。安生は自分の派閥ではない教授の部屋と殆どのミーティングルームに盗聴器を付けてます。」「なるほど、安生のやりそうな事だ、、、。あなたはそれを黙認、いや加担していた、、、。」と福本の真意を引き出そうと糸井は少し嫌味を交える。「はい、それはそのように思われても致し方ありません。事実、私は知りながら咎める事をしませんでした。」福本は沈痛な表情で糸井を見た。福本の心根を探るように糸井は福本を見返し、「分かりました、話を続けてください。」と福本に促す。福本は乾いた口を潤すように喉に力を入れ唾液を搾りだす、「はい、その盗聴で糸井先生達の研究を知ったんです。そしてご承知のようにレビス患者に対して人権を無視した人体実験をやっていて、それには厚生労働大臣が関与していると情報を捏造し、大臣を失脚させようとしてました。私は、安生の絶対的信頼を得る為とは言え、糸井先生の研究を盗み出しました。本当に申し訳ありませんでした。」と言うと深々と頭を下げる福本。福本をじっと見詰めている糸井、窓の外から楽し気な街の音が聞こえる、(ここまで話をし詫びるメリットが福本にあるか?、福本にメリットは無いどころか、捏造やら背任行為を行ったと自白してる、、、。)糸井は福本が真に詫びたいのだろうと冷静に思い、納得は出来ないが理解しようと怒りを飲み込んで謝罪を受け入れる事にした。「もう、詫びないでください。もう十分です、あなたを信用する事にします。」と糸井が強張った顔を解く、「あ、ありがとうございます!。」福本はようやく肩と背中の緊張が溶け、そして話を続ける「そして、その捏造について、安生と幹事長の会話を録音する事が出来きました。ただ、それだけでは幹事長が事実を握り潰す可能性があると懇意にしている弁護士から言われ苦慮していました。その時に糸井先生を辞めさせろという話が出て、私は止める事が出来ませんでした。その後に弁護士が検察上がりだった事もあり検察で安生の内偵が始まった事を聞きました、そしてあの安生の逮捕。逮捕容疑とわたしのリークで幹事長も安生を切り捨てました。それでようやく、念願だった安生を黒川から排除する事が出来ました。」福本は過去の苦悩と願いが達成された事などが入り混じり複雑な表情を見せた。その様を静かに見る糸井、「なるほど、経緯は分かりました。しかし、それを聞かされても、一体どうしろと言うんですか?。」と糸井は少し醒めた声で言う、「はい、まずは先生に謝罪をしたかった、、、。そして、勝手な話ですが、糸井先生に戻っていただけないかというお願いで参りました。」と福本は真っすぐに糸井を見ると話を続けた、「安生の件で厚生労働大臣と信頼関係が出来ました。大臣は老人医療について前向きで、糸井先生の研究を支援したいと内内に打診を貰ったんです。糸井先生の研究も以前より、やり易くなると思うのですが、、、。戻って来てはくれませんか?。」福本は強い思いを糸井に向ける。糸井は口元は柔和にしながら目を少し落とす、「折角のお話ですがお断りします。」という糸井に福本は動揺する、「何故です!、やっぱり、私を許してはくれませんか、、、。なら、それなら、私が病院を去ります。」福本の気持ちに感謝しなから糸井が口を開く、「いえ、境が居れば良かったのですが、私では能力不足です。厚生労働省が支援いただけるなら、優秀な研究者達を集めて研究をした方が遥かに成果を出せますよ。」糸井は穏やかに言った。「では、そのようなチームを作る事を視野に入れて、糸井先生にはリーダーとして。では、ダメですか?。」「私の出る幕ではないです。これまでは境の意志を継ぐという使命感でしたが、その意志を継ぐのは私でなくても良いんですよ。もっともっと優秀な人達が継いでくれれば良いと思います。それに、他にやりたい事を見つけたので。」糸井は少し遠くを見るような面持ちで福本に言う。「なら、それを病院で支援しますから、、、。何を考えてらっしゃるんですか?。」と少し身を乗り出し福本が言う、「ま、いいじゃないですか、、、それより飲みましょう。」と言うと福本が持ってきた一本包みの風呂敷の瓶を手にする糸井、「お!龍神丸、吟醸生酒、、、。いい酒ですね。」と風呂敷をほどき瓶を手に、今まで背負っていた荷物を降ろしホッとしたような笑顔で糸井は言った。

仕事を忘れ糸井と福本は、お互いの学生時代やら色んな話をし時には腹を抱え笑い、時には真剣に語り合い、酒を飲んだ。気が付くともう窓の外は静かで暗い。「糸井さん、また、絶対また飲みましょう!。」と酒に飲まれご機嫌な福本が帰る姿を見送る糸井も酔ったせいか赤く緩んだ子供のような笑顔であった。



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