3:コミュニティー・佐久間と伴田

2036年1月25日 昼過ぎ

廃墟のような学校

かつては学校だった建物の裏口から校舎内に案内され歩く2人の男、2人はボタンが一つ取れた草臥れたジャケット、シワだらけで裾が擦れほつれているズボンにドロが乾いた様な汚れた靴、もう1人は佐久間であった。ここは、レビスのコミュニティーと呼ばれる施設で、佐久間は感染者の記事を書こうと取材に来ていた。校舎は古い建物のようで所々朽ちた部分もあり、佐久間達の住んでいるエリアとは違い廃墟のように見える。通路を暫く歩くと、並んだ教室の中は布で覆われ、良く見えない。「もう直ぐです。」と佐久間は言われ、少し歩くと“職員室”とプレートがある部屋に着いた。

「こちらです。」と男がいい、ゆっくりと去る。「失礼します、佐久間です。」と名乗りながら部屋に入る。中に1人の男が待っていた、室内の様子より男の佇まいに目が離せず真っ直ぐ向かう佐久間。「どうぞ、お待ちしてました。」と男が静かな声で言いながら、椅子に掛けるようにゆっくり手を出す。その柔らかく器を包むように揃いカーブを描く指先や手の所作が印象的だった。「あ、はい。」と佐久間は男の前に座った。男の表情はあまり感情は見て取れないものの、決して険しい物ではなく穏やかで誠実な印象である。目や口元の皮膚は膿や血が乾燥したように鱗のようになっていた。顔色は土気色で生気はあまり感じられない、案内した男の顔は失礼かと思いあまり見なかったが、目の前の男は流石に目を逸らすのも失礼と思い、見ずにはいられない。髪はブラシを入れた様子があるが、まばらに抜け落ちている。よく観察すると、ほつれや擦れ皺があるが洗ってあり不潔な感じは無い服装、靴は佐久間が履いている靴より手入れがされている。廃墟のような空間と肌の朽ちた印象とは違う、身なりや佇まいに男の教養と育ちの良さというある種の品を感じた。

「取材を受けていただき、ありがとうございます。録音大丈夫ですか?」佐久間は緊張しながらも平静を装い軽く会釈をし言った。「こちらこそ、結構ですよ。」男は佐久間の顔をしっかりと見つめた、あまり感情が見えなかった顔の目元に一瞬だけ柔和な笑を見せ「外部の人に会うのが久しぶりだからか、なんだか懐かしい気がします。」と伴田が言う。「え、そうですか?。私もこちら学校跡なんで、学生時代に戻ったような懐かしさがあります。」と笑顔で受ける、佐久間はカバンからノートを取り出し、スマホのレコーダーアプリを立ち上げ恐縮しながらテーブルに置く、(はぁ)っと緊張を吐き出すように軽く一息つき「早速ですが、年齢と感染した経緯を教えていただけますか。」とテンプレートのような質問から始める。「今年、52歳になります。発症してもう3年になりますか、、、妻が発症し襲われまして、感染しました。」奥さんに襲われたという話しの重さに比べ、男は淡々と言った。「あの、、、奥さんも、こちらに?。」と佐久間が尋ねると、佐久間を静かに見つめ少し間を開けて男が言った「。。。殺しました、私が。」。佐久間は「えっ。」っと迂闊にも声を漏らし、自分の想像力と配慮の無さを後悔しながらも、あまりに淡々とした答えに驚きながら、表情に出るのを隠そうと焦る。佐久間の慌てた様子を察し配慮するように一瞬笑みを見せて「でないと、私が殺されてましたからね。」と男は記憶を丁寧に思い出すかのような、遠くを見る面持ちで語り出した。「良く頭が真っ白とか言うでしょ?私の感じだと真っ黒かな、、、その時は罪悪感とか恐怖とか感情がぐるぐると忙しく巡って、妻の横に長い事居ました、、、多分何時間も居たんですね、気づいたら自分も発症してまして、、、。それで、我に帰ったというか、保健センターに妻の事伝えて、で、急に怖くなりましてね。」男は視線を泳がせ、一呼吸し続ける。「やっぱり自分が人をね、しかも妻を殺した訳ですから。冷静では無かったんでしょう、それで逃げて、自殺も考えたのですが家がカトリックでね、、、。最終的にこのコミュニティーが受け入れてくれました。」男は一挙一動がゆっくりとしていて、まるで僧侶の話しを聞いているような静けさを感じた。佐久間は瞬きも呼吸も忘れ聞き入っていた、話そうとするが奥歯を固く噛みしめていて最初の言葉に軽く躓く、「、、、ぁ感染した家族を手にかけるという事は、珍しく無いような気もしますが、、、すみません失礼な質問ですが。」男は少し微笑み軽く頭を垂れ言った「確かにそうですね、裁判でも温情ある判決も良くあるようですが、いざ自分がその状況になると、冷静に妻の死体を見ると、自分も必死だったので、ま、損傷が激しくて。」男の口調には悲しさを乗り越え、達観した深みがあった、話す内容の壮絶さより、佐久間は男の声に気持ちが向いた、少し低く響く声、喉まで炎症があるのか、すこしザラつく声に聞き入った。「どうしました?。」佐久間の集中が切れている事を感じ男が言った。「えっと、それで今までに治療を受けようと思わなかったんですか?」佐久間は自分の感情変化に少し戸惑い、質問の流れを少し変える。「そうですね、なんか妻を自分が殺して、自分も発症して、このまま生きててもね。。。冷静になった時に思ったんですが、この病気のサバイバーが結構差別されるじゃないですか?、あ、あと治療費が高額なのもあって。」その後、小一時間ほど会話は続いた、男からの質問はなく、ただただ佐久間が質問し男が答える。取材では当たり前かもしれないが、どこか教えを乞う生徒のような気分になり、佐久間はこの男の事が妙に気になっていた。

「今日はありがとうございました、これ謝礼になります。」佐久間は封筒に入った札を渡す。「ありがとうございます。あの、名前聞かなくていいんですか?。」すこし恐縮し受け取りながら男は言う。「え、聞いても?。」人権の扱いについて厳しい昨今、聞けなかったので少し驚いた。「その気遣い自体、差別だと思いますよ?伴田です。」少し笑いながら伴田は言った。「すみません、、、ともださん。」気まずさを隠すように苦笑いする佐久間。「少し待っていてください。」と伴田は佐久間に言うと部屋を出た、佐久間が窓からの眺め見ながら伴田との会話を反芻していると、伴田が戻ってきて佐久間に「あの、これ良かったら、どうぞ。」と一冊の本が差し出した。表紙や裏表紙を眺め「難しそうだ、、、‘’李白詩選‘’ですか。」と佐久間は興味深げに言った「李白です、好きなんです。荷物じゃなければ、、、。」と柔かなの声で伴田が言う。「いいんですか?、、、あっ、でも読めるかな?、、、ありがとうございます。」苦笑いしながら、頭を下げ佐久間は礼を言った。「じゃあ。」と会釈をし礼を言う伴田に「あ、また来てもいいですか?。」と佐久間は言った。伴田はゆっくりと佐久間を見詰めると懐かしそうな面持ちで「喜んで。」答えた。佐久間は少し嬉しくなり「ありがとう。」と手を出す、手を見て無言の伴田に気がつくと「あ、大丈夫です。握手は免疫が、、、すみません、なんか免疫とかって、、、あの、、、。」と申し訳なさそうに佐久間が言うと伴田が「正直ですね。」と微笑みながら、ゆっくりを手を重ね握手をした。伴田の手は渇き冷たくざらついていた。



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