第三章・嵐からの脱出

現われた右腕・1

 少女は体型が近い二階堂の服を与えられ、医務室のベッドに横にされた。シマダはそのベッドの縁に腰かけて、少女の手をそっと握りしめている。

 シマダの表情からは、先程までの冷淡さが幻だったかのように消え去っていた。

 シマダは落ち着きを取り戻した声で説明を始めた。

「サリーは私の一人娘だ。妻は病気でとうに死んでいるから……私にとって、たった一人の肉親なのだ……」

 室井が穏やかに尋ねる。

「その娘さんを、なぜこのスフィアに? しかも、今までどうやって隠してきたんですか?」

 シマダは答えなかった。

 少女は自分を取り囲むスタッフたちをぼんやりと眺めるばかりで、口を開こうとはしない。自分が置かれた状況が全く理解できていない様子だった。意識も混乱しているようだ。

 大西は少女を見つめながら言った。

「つまり『娘さんが連続殺人の動機だった』ということでしょう?」

 シマダははっと身を起こして、大西の厳しい視線をを見つめ返した。

 しかし、反論はしなかった。説明を続けようともしない。

 室井が仕方なさそうに大西を見た。

「シマダ君は話したくないようだね。やむをえない。さっき君が話してくれたことだが……もう全員に知らせて構わないね」

 大西はうなずいた。

「センターは待ってくれないでしょうからね。急ぎましょう。〝あれ〟を出してください」

 室井はスタッフを見渡した。

「大西君はセンターからの攻撃が開始される直前に、温室の土の中からこれを見つけ出したんだ」

 室井はズボンのポケットに押し込んでいたビニールのパッケージを取り出した。

 それを見たシマダは小さく息を呑んだ。

「どうして見つけられたんだ……? 埋めたのに……」

 大西が応えた。

「僕じゃない。見つけたのはロビイです」

 シマダの視線が大西に向かう。

「ロビイが?」

 大西は中森に質問した。

「ロビイは、見ている物の温度が測れると言ってましたよね?」

 中森がうなずく。

「赤外線センサーを装備していますから」

「もしも、進行方向の地面に極端に温度が低い部分があったらどう振る舞うでしょう?」

「え?」

「ほら、二階堂さんを襲った時です。ロビイは、急にバックして向きを変えたでしょう? なぜあんな無駄なことをしたのか、疑問に思ったんです」

「あれは、『止まれ』っていう私の命令に反応して……」

「そうじゃなかったんです。僕は、ロビイが急停止したすぐ先で、この袋を掘り出しました」

「それ、何ですか?」

 室井が答えた。

「携帯用の冷却剤だ。外部から衝撃を与えて中の袋を破ると、水と化学物質が混じりあって急速に冷たくなる。一般には、釣りなどによく使われている氷の代用品だ」 

 室井はそれを中森に渡した。

「確かに冷たい……ということは、ロビイはこの袋で冷やされた低温の地面を関知して、進行方向をを変えたと?」

 大西がうなずく。

「なぜ低温の場所があるのか、ロビイには理解できなかったでしょうからね。危険なものかもしれないと判断して、位置を移動したんじゃありませんか?」

「罠だと警戒したのか……」

「だから障害物があると分かっているのに、わざわざ別の進路に移動したんです。それでも、二階堂さんを殺そうという意志は変わらなかった。残念ながら、あなたの命令に従ったわけではありません」

 中森が、手の中の冷却剤を見つめる。

「確かに、そういわれれば……。でも、なぜこんな物が埋まっていたのかな……?」

 仁科が中森の手から冷却剤を取った。

「これと同じ物が、ここにも緊急用に備えつけてあります……めったに使うことはありませんがね。ロッカーから持ち出されたんだろうか……」

 室井が言った。

「大西君は、シマダ君がこれを隠したと確信していた。当然その理由も見抜いていた。私がそれを見せられた時はもっと冷たかったよ」 

 仁科は、隣に立っていた芦沢に冷却剤を渡した。

 冷却剤を握った芦沢が、あっと声を上げる。

「そうか、シマダさんはこれで手のひらを冷やしたんだ!」

 室井はうなずいた。

「その通り。シマダ君はVラボで着た白衣の中に冷却剤を隠し、ずっと手を冷やし続けていた。我々が次に地下倉庫のセンサーに登録されている掌紋を確かめることを予測していたからだ。冷却剤を使って手のひらから体温を奪っておけば、生体反応を感知するセンサーは正常に反応できなくなる。そのために地下倉庫のドアは、あの時に限って、シマダ君には開けられなかったのだ」

 中森がつぶやいた。

「ということは、シマダさんの掌紋はコンピュータに登録されているわけだ……」

 室井はうなずいた。

「さんざん話し合ったように、石垣君を殺したのは『地下倉庫を開けられる人物』だと考えていい。つまり、犯人はシマダ君である可能性が高まったわけだ。だが、これだけでは決定的な証拠にはならない。特に殺人が連続する理由が掴めない。そこで大西君があのトリックを考えついた」

 峰が大西を見つめてつぶやいた。

「トリック……?」

 大西はうなずいて、みんなに説明した。

「連続殺人の共通点は、右手が消え去っていることでした。犯人は腕を集めている――その考えはとりあえず否定されましたが、右手が謎を解く鍵であることは変わりないと思えたんです。そこで『逆の事態を起こしたらどうだろうか』と思いつきました」

 芦沢が言った。

「逆の、とは?」

「犯人が右腕を隠したなら、消えたはずの腕が現われれば何らかの行動を迫られるかもしれない――とね。少なくとも、動揺はするでしょう。だから僕は、じっとシマダさんの反応をうかがっていたんです。〝名探偵〟にはあるまじき当てずっぽうでしたがね。それでも、こんな予想外の結果が飛び出しました」

 峰は気味悪そうに身を震わせた。

「でもあなた、人間の腕なんてどこから持ってきたの……? あれ、本物みたいだったじゃない」

 大西は神妙に言った。

「本物なんだ、もちろん。死んだ鳥居さんには申し訳なかったけど、エアロックの扉を開けて腕だけを借りた。彼女の右腕は火傷を負っていたんで、左腕を切り取って……。どうせ一瞬見ただけでは右手も左手も区別できないだろうと思って……」

 峰は唇を歪めて顔をそむけた。大西が死体の腕に斧を降りおろす光景を想像したようだった。

 室井がつぶやく。

「我々だって、好き好んでそんなことをしたわけではない。鳥居君にはすまないと思っている……」

 大西がうなずいた。

「僕は『みんなを守る』って約束しましたからね。このまま膠着状態が続いたんじゃ、全員がセンターに殺されてしまう。一分一秒を争う時に手段にこだわってはいられなかったんです」

 そして大西は峰の手を取った。

「君のためにも、やらなくてはならなかったんだ。許してくれ……」

 峰は大西を見つめて、小さくうなずいた。

 中森が言った。

「それじゃあ、私に『ドアのプログラムを破れ』と命じたのは、全員をエアロックに連れていく口実だったんですね? 腕を目撃させて、みんなの反応を確認したかったわけだ」

 大西は言った。

「僕はシマダさんだけをマークし、室井さんが他のスタッフの表情を見極める手筈でした。もちろん、これほど劇的な結果が出せるとは期待もしていませんでしたがね」

 仁科は冷たくシマダを見つめていた。

「そうしてついに、殺人犯が正体を現した――連続殺人事件はめでたく解決したわけだ。これで我々は脱出に専念できる」

 大西はシマダを見つめた。

「そうなら嬉しいんですがね……シマダさん、話していただけますね? あなたはなぜ石垣さんを殺したんですか?」

 娘の手を握ったままじっと床に目を落としたシマダは、つぶやくように答えた。

「やはり隠し通すことはできなかったな……」

「犯罪は引き合わないものです。まあ、俗説にすぎませんがね」

 シマダは大西を見つめた。

「私が欲のために石垣君を殺したと思っているのかね?」

「違うんですか? それならなおさら、事実を打ち明けるべきです。あなたが大事になされている娘さんのためにも……」

 シマダはベッドの横たわる娘を見た。

 少女は、助けを求めてすがるような視線を父親に投げかけていた。おびえきって声も出せない子猫のように、かすかに震えている。

 シマダは小さくうなずいた。

「君の言う通りだな……全ては、娘を守るためだったのだ……あいつは……石垣は、サリーを殺すと脅迫したんだ……この私に向かって『娘を殺す』と……だから……」

 シマダの娘の意識は、それでも次第にはっきりしてきていた。英語のアクセントが混じった日本語で弱々しくつぶやいた。

「父さんは、私を守ろうと……でも、ここはどこ? 私は、なんでこんなところにいるの……? この人たちは、誰なの……?」

 意志の力を振り絞って、現実に立ち向かおうとしていた。

 シマダは哀しげに娘を見つめた。

「何も説明しなかったからな……。何もかも、私の責任だ。しかし、どうしても必要なことだったのだ。おまえの命を守るためには、避けて通れぬ試練だった……」

 娘が目をつぶる。必死に記憶をたどっているようだった。

「私……何も覚えていない……。いつものように、自分の部屋のベッドで眠っただけなのに……」

 シマダがうなずく。

「その後に父さんが麻酔を注射して、ナカトミが日本へ運んだ」

 娘は目を開いた。

「日本……? ここは、日本なの?」

「私の責任だ……何もかも……」

 大西は、答えをうながすように言った。

「シマダさん、あなたは石垣さんを殺したことを認めるんですね?」

 シマダは大西の目をしっかりと見返した。

「認める。石垣君は私が殺した。しかし信じて欲しい。あれは正当防衛だった。そして、石垣君以外のスタッフは、決して殺していない」

 娘が上体を起こしてつぶやく。

「父さん……人殺しを……?」

 シマダは娘を抱きしめてうめいた。

「許してくれ。そうするしかなかったんだ。おまえには何の責任もない。だが、そうする他におまえを守る方法はなかった……」

 シマダは涙をこらえている。

「父さん……でも……分からない……なにも分からないよ……」

 娘の震えが激しくなり始めた。

 シマダは娘を抱く手に力を込めた。

「許してくれ……」

 それでも娘の震えは強くなる一方だった。

「父さん……」

 シマダが振り返って仁科を見た。

「鎮静剤はあるか?」

 仁科はうなずき、ロッカーに向かった。使い捨ての注射器を取って封を切ると、横の冷蔵庫を開けて中の鎮静剤の瓶に針を刺す。

 その間に、室井の妻がアルコールの小瓶を出し、シマダの娘の腕を消毒する。

 娘は激しく浅い呼吸を繰り返していたが、逆らわない。

 仁科が注射を打ったときも、娘は抵抗しなかった。

 仁科は言った。

「ごく微量ですから、ご心配なく」

 シマダは、娘を抱きしめたままうなずいた。

「ありがとう」

 娘の震えは、わずかに収まったようだった。

 大西が冷静にシマダを見つめた。

「さて、謎解きの続きです。あなたの言い分を信じるかどうかは、詳しい話を聞いてからです。他の皆さんの意見だって聞かなければなりません。とにかく、ようやく殺人を認める人物が現われたんです。僕はこれで、やっとスタートラインに立てました。石垣さんがなぜ殺されたかがはっきりすれば、全ての殺人の経緯が明らかになるかもしれません。さあ、教えてください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る