危機の増殖・1

 シェルの外には次第に多くのセンター要員が集まっていった。数台の軍用ジープが彼らを運んできたのだ。

 中森がつぶやく。

「ハマーかよ……。まるっきり軍隊じゃないか」

 さらに大型の工作機械らしいものを積んだトラックがシェルに横づけされると、そこから三人が降り立った。彼らは身振りを加えながら防護服の内部にセットされた通信機で話し合っているようだった。

 室井がシェルに向かって進み出た。

「彼らが何を企んでいるか確かめなければ……」

 大西が後を追いながら言った。

「どうせ、僕らに聞かれては都合が悪い相談です。でなければ、真っ先に責任者と連絡をつけようとするはずです。スタッフ全員を殺す覚悟がなければ、自分たちが送り込んだ保安部員の僕まで殺そうとするはずはありません」

 それでも室井は歩き続けた。

 外の一人が、近づく室井に気づいたらしかった。傍らの人物の肩を叩いて注意をうながすと、スフィアの内部を指さした。

 センター要員たちの動きが止まった。全員がシェルの中を見つめたらしい。闇に浮かんだ彼らの姿は、黒魔術によって動き出した泥人形のようにまがまがしい。

 だが室井は、胸を張ってシェルの前に立った。センター要員たちとの間は五メートルも離れてはいない。しかし、相手には銃弾はもちろん声さえも届かず、吸っている空気までが全く別なのだ。その隔たりは月と地球の距離にも等しかった。

 室井の後ろ姿をじっと見つめていたスタッフも自然に進み出ていた。強力な磁力に引きつけられるかのようにシェルに歩み寄っていく。

 室井は力の限りに叫んだ。

「君たちは何をする気だ⁉ 私たちをここから出せ!」

 室井の傍らに彼の妻が立った。そしてその横に芦沢が――。

 スタッフ全員が横一列に広がって、外のセンター要員たちと対峙した。

 大西がつぶやいた。

「向こうには聞こえないんでしょう?」

 峰が拳を握りしめた。

「だからって黙っていられないわ」

 うなずいた中森が叫んだ。

「エアロックを開けろ! この人殺し!」

 二階堂がうめいた。

「だめなのよ、どうせ……私たち、ここで殺されるんだわ……鳩村さんみたいに……」

 室井の妻が鋭く命じた。

「弱気になっちゃ駄目よ。あんな連中に殺されてたまりますか」

「だって、だって……」

 二階堂はすすり泣きをはじめた。幼児の泣き声に似ていた。放っておけば号泣に変わることは間違いない。

 仁科が二階堂の肩を掴んで身体の向きを変えた。頬に平手を叩きつける。

「泣いている場合ではない。戦うんだ!」

 呆気に取られた二階堂は茫然と仁科を見つめてから、催眠術にでもかかったようにこくりとうなずく。

「はい……」

 室井が仁科に言った。

「何も殴らなくても……さっきはあれほどかばっていたのに……」

 仁科は落ち着いていた。

「ショック療法です。いつまでも甘えさえてはいられない。ここで誰かが崩れれば、奴らの思う壷です」

 うなずいた大西は、新たに現われた二台目のトラックを指さした。

「いよいよ、〝敵〟のご本尊が現われたようですよ」

 再び稲妻が周囲を照らし出す。

 トラックから降り立った男たちは防護服は着ていなかった。黄色いゴムのレインスーツが激しい雨をはね返している。彼らは透明なフードを被っただけで顔を露出させていた。先頭の男の冷酷な表情もうかがうことができた。部下らしい背後の二人が自動小銃を持っていることがはっきり確認できた。

 芦沢が言った。

「何だって銃まで……本当に軍隊なのか?」

 大西が言った。

「一年ほど前、BTIが島に侵入したことがあります。スフィア内部の無線電波を外部に中継する装置をシェルに取り付けようと企んだんです。何とか追い払いましたが、相手は海兵隊上がりのチームで、こっちも数十人の負傷者を出しました。それ以来、ああして装備が強化されたんです」

「だってあんな銃、日本じゃ法律違反でしょう。自衛隊ならともかく」

「グアムから密輸したんです。ロケット砲まで準備したという噂も聞きました」

「まさか……」

「冷戦以後、闇の武器市場は商品がだぶついていますからね。金さえ充分出せば、核兵器や細菌兵器だって手に入るかもしれない。あの程度の小火器なら、通販でオーダーするようなものです。メーカーも、アメリカ、ロシア、中国と好きに選べます」

 室井が外の男をにらみながらうめいた。

「あいつ……センターの所長か……?」

 大西が応えた。

「そして、僕の上司です。須賀昭博。ナカトミの総合保安部の副部長ですよ」

 仁科が驚きを隠せずに大西を見た。

「マイクロスフィアは保安部が直接管理していたのか⁉」

 大西はうなずいた。

「ナカトミの最先端技術を集めた極秘研究部門ですから。研究そのものは、金と人材を注ぎ込めば黙っていても進みます。所長が研究の詳細に通じている必要はないでしょう? 機密の漏洩を防ぐことの方が重要視されていたのです」

 須賀は大西の真正面に立った。

 大西はじっと所長の顔を見つめ返した。

 須賀は大西に何事かを語りかけたようだった。声は聞こえない。

 しかし、大西には須賀の唇が読めた。

 大西はつぶやいた。

「ちくしょう……馬鹿にしやがって……」

 峰が大西の腕にしがみついて言った。

「分かるの? 何て言ったの?」

「僕のことを『能無し』だとさ。『マイクロスフィアは閉鎖する』と言った。保安部はスキャンダルが拡大することを恐れているんだ」 

 室井が叫んだ。

「閉鎖とはどういうことだ⁉ 私たちをどうする気だ⁉」

 大西は力なく言った。

「答は分かっているじゃありませんか。スタッフ全員を殺してから、火事でも起こして『事故だった』と言い訳する計画です。こうまでされたのに、まだナカトミを信じたいんですか?」

 室井はうめいた。

「しかし……しかし私たちは、何も害になることはしていないのに……」

 大西は無表情に言った。

「僕らが生きていることが、すなわち最悪の障害なんです。もはや、スフィアに警察の捜査が入ることは避けられません。スタッフには家族だっています。連続殺人が起こったことはいつまでも伏せておくわけにはいかないでしょう。そうなれば極秘のウイルス研究が発覚して、ナカトミは社会的な制裁を覚悟しなければならない……。だからセンターは、証人を一人残らず消してしまいたいんです。もはや〝不幸な事故〟を演出する他に機密を、そしてナカトミ・グループを守る方法はないんです」

 室井はさらに、何かにすがりつくようにつぶやいた。

「だが、なぜこんなにたくさんのセンター要員が? 共犯者が増えれば、我々を殺したことが誰かからもれる危険が増すのに……」

 大西は冷静だった。

「奴らはみんな、須賀の子飼いの部下ですからね。人殺しだって初めてじゃないかもしれない。須賀は言いなりにできる部下だけを選んで管理センターを固めていたんです」

 峰がつぶやいた。

「それにしたって、皆殺しにまでしなくても解決策はあるでしょうに……」

 大西はその言葉にうなずいた。

「うん……言われてみれば、反応が過剰すぎることは確かだ。僕も、ここまであからさまに攻撃を仕掛けてくるとは思わなかった……」

 峰がつぶやく。

「銃まで持ち出してくるなんて……」

 そして、大西はシマダに尋ねた。

「あなたのウイルス研究の本当の目的は何だったんですか? エイズの治療法開発だけではなかったんでしょう? あなたはナカトミの首脳部をこれほど怯えさせるほどの、決して公にはできない種類の研究を進めていたはずだ。何なんですか、それは?」

 シマダはシェルの外から目を離さずに答えた。

「君の期待を裏切って申し訳ないが、私が手がけていた研究にはナカトミを逆上させるほどの危険性はない。しかし、『拡張制限酵素』によって、さまざまな方面で精密な遺伝子操作を行なう可能性が膨らんできていたのは事実だ。ナカトミが私に隠れて、それらを発展、実用化させることをスタッフの誰かに命じていたなら――」

 シマダは不意に言葉を失った。

 所長の両側に立った男二人が、一斉に自動小銃をシマダに向けたのだ。それは明らかに『不用意に口を開けば死が早まる』という警告だった。

 大西は腹立たしげにつぶやいた。

「てめえら、そこまでする気かよ!」

 大西は右の拳を下から突き出し、上司に向かって中指を立てた。

 宣戦布告だった。

 そして〝敵〟も大西の意図を了解した。

 男たちは小銃を撃った。シェルのドア越しにかすかな銃声が届く。

 銃口から炎とともに吐き出された弾丸はシェルに当たってはね返った。それでも〝敵〟の強固な意志は、スタッフの胸をえぐっていた。

 室井は観念したようにつぶやいた。

「交渉の余地などない……ということか……」

 大西は銃弾の痕さえ残していないシェルを見つめながらうめいた。

「無駄なことを……。本当に撃たなくたって、貴様らの考えてることは充分に分かったよ」

 峰が大西にしがみつく力を強めた。

「全面戦争ね……」

 大西は峰を見つめた。

「受けて立ってやる。奴らをねじ伏せる方法はきっとある。ナカトミが公にされることを恐れている秘密は、このスフィアの中に――僕らの手が届く場所にある。僕は必ずそいつを探り出してみせる。なんとしても、僕らを殺すことが奴らに不利になるように状況を変えるんだ……」

「できるの?」

 大西は力強くうなずいた。

「やる。君を守るためにも、必ず」

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