ガラスの要塞・2

 コア・キューブの三階に照明がともされた。

 バルコニー上の〝ジャングル〟は、まだ充分に活性を保っている植物でおおわれている。大半が熱帯性の種類で成長が早く、太陽光線をふんだんに浴びて大量の酸素を吐き出すことを期待されていたのだ。だが太陽が嵐に隠されている今は、その機能は停止しているに等しい。

 コア・キューブのバルコニーを『湖』の側に向かった大西は、足もとの通路に蔦をのばしている植物を靴で脇に寄せながら、周囲を観察した。

 バルコニーの突き当たりは高さ1メートルほどの金属製の柵で囲われている。柵の上から3メートルほどの高さの部分に入り組んだ支柱の結合部分があり、そこにも無数の蔦が絡んで垂れ下っていた。その蔦は支柱を伝わって大西が立つ場所まで続き、グリーンのドームのようにバルコニーを包み込んでいる。

 長身の大西は、頭にかかった蔦を手でどけてつぶやいた。

「こんなに厚い草におおわれていたんじゃ、人を殺しても気づかれなかったのも当然だな……」

 大西の背後に寄り添うように後を追ってきていた峰が言った。

「台風のせいで温室は暗かったし、雨がうるさくて音も聞こえないしね……。犯人の足跡とかを探すの?」

 プラスチック製のバルコニーには、直接土は置かれていなかった。周辺に繁茂する植物は、通路脇に隙間なく並べられた大型のプランターから枝葉をのばしているのだ。肉眼で確認できるような足跡が残っている可能性は低い。

 自分が保安部員だったことを明かして峰に対して心を開いた大西の口調は、自然にうち解けたものに変わっていた。

「そんな都合のいい手がかりがあれば助かるんだけどね……。僕には警察みたいな科学捜査はできないし、今は何の道具もないから」

「でも、調査が専門なんでしょう?」

「それなりのやり方があるんだ。企業秘密……だけどね」

 にやりと笑った大西は、通路の両脇のプランターを覗き込みながら進んだ。むりやりに引きちぎられたような植物がないかどうかを確かめている。

 しかし、格闘の痕跡は発見できなかった。大西は柵に近づくと、通路上に乱雑に放置された土の袋をまたいだ。

 かがんだ峰が袋を脇に寄せる。

「誰かしら、こんな袋を放り出しておいたの……」

 土の袋は全部で三つあった。全てに十キログラム入りの表示が入ったラベルが貼られている。それが、慌てて運ぶ途中で落とされたかのように、柵の近くに無造作に散らばっていたのだ。その袋だけが、整然と管理された〝植物園〟にはそぐわない変化だった。

 足を止めて振り返った大西はうなずいた。

「邪魔だね」

 大西の後ろには、中森と芦沢がついてきている。さらに仁科と二階堂が続く。

 二階堂は仁科の背後に影のように隠れていた。まるで精巧に出来たからくり人形のように、歩いてはいるものの魂が備わっていないように見えた。

 室井裕美は、その二階堂から目を離さずに見守っている。

 大西と目を合わせた中森が言った。

「ここの管理は芦沢さんの担当ですよ」

 芦沢がつぶやいた。

「私は知らない……。誰かが倉庫から持ち出したんだ……」

 中森は鼻先で小さく笑った。

「どうだか……」

 大西はにらみ合う二人をじっと観察した。

 しかし大西は土の袋にはそれ以上の関心を示さず、後に続いてくるスタッフにも聞こえるように声を大きくした。

「足跡らしいものは見つかりませんね。争った跡も血痕もありません。天野さんが血を抜かれていたことを考えれば、殺人現場はここではないでしょう」

 中森が芦沢から視線を外して言った。

「確かに、どこかの部屋でドアに鍵をかけてから殺したと考えるほうが現実的だ。しかし単に死体を捨てるだけだったら、どうして『湖』に落としてみんなの注意を引く音を立てたんだ? いくら雨の音がうるさくたって、落とした時に自分が目撃される危険だってあったわけでしょう? 実際に、その直後にみんな殺人に気づいたわけだし。どうしても死体を殺した部屋から出さなければならなかったのなら、プランターの陰にでも隠しておけばいいものを……」

 大西はかすかに微笑んだ。

「その疑問が有力な手がかりになるでしょう。でも、犯人が水音を立てたのは、きっと〝それを望んだ〟からだと思いますよ」

 芦沢が大西を見つめる。

「というと『天野さんを殺したこと』をスタッフ全員に知らせたかった……とか?」

「結論は簡単には出せませんがね」

 言いながらバルコニーの縁に進んだ大西は、柵に手を置いて下を覗き込んだ。真下が、天野の死体が浮かんでいた『湖』だ。

 柵から手を離した大西は、手のひらに付着した血に気づいた。

「血だ……天野さんはこの位置から落とされたに違いない」

 仁科が心配そうに言った。

「大西君、早く手を消毒した方がいい。ウイルスに感染するかもしれないぞ」

 大西は平然と答えた。

「僕は心配してませんよ。傷だらけの足で湖に入った中森さんが無事なんですから」

 仁科は不満そうだった。

「すぐに症状が現れるとは限らない。その血液内に高濃度のウイルスが存在すれば――」

 大西は仁科の言葉を遮った。

「調査はすませてしまいましょう。消毒はそれからです。ぼやぼやしていると、また犯人に先を越されてしまいます」

 仁科も黙るしかなかった。

 室井が傍らに進み出た。柵の上部に血痕を探しながら言った。

「ここにも血がついている……まだ完全に乾いていないようだな……。おや、これは何だ? 手摺りに傷がある」

 大西は室井が指さした場所をじっと眺めた。

 手摺りを横切るようにして、数本のすり傷が走っている。さらに注意して見ると、五、六〇センチほど離れた場所にも同様の傷が残っていた。

 大西は手摺りの角の傷を指でなぞった。

「かなり深い傷ですね。手摺りの素材は何ですか?」

 答えたのは、室井の傍らから身を乗り出していた室井の妻だった。

「コアの金属部分には普通のアルミ合金を使っているはずです。その傷、まだ新しいみたいね……」

 大西は室井の妻を見つめた。

「何でつけられた傷だか、分からないでしょうか?」

「さあ、傷跡を見ただけではね……。でも、殺人に関係ありそうね」

 うなずいた大西は振り返ると、改めて背後を観察した。その目が、スタッフの陰に隠れた土の袋に止まる。

「確かに、大いに関係がありそうです」

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