サイバネティクス・クライシス・1

 恐怖の叫びが渦巻いた。

 ロビイのフォークリフトの先端が、スタッフに襲いかかる。倒れた大西の足が浅く切り裂かれた。さらに峰が座っていたベンチを土から引き抜いてはね上げ、室井夫妻の間に落下させる。

 それでもロビイは止まらなかった。

 犠牲になったのは、逃げ遅れた鳩村だった。鳩村は二階堂をロビイの進路からはねとばし、自分は反対側に走ろうとした。が、通路から外れた彼女は、湿った泥に足を滑らせて膝をついた。鳩村はコア・キューブの壁を背にしながらロビイを見つめ、立とうと焦った。

 腰が抜けて、足に力が入らない。

 ロビイはスピードを緩めながら鳩村の動きに合わせてかすかに進路を振った。視覚センサーの焦点は、鳩村の身体が発する赤外線にロックされていた。

 そしてロビイは、一気に加速した。二〇〇キロの金属塊が、ようやく立ち上がった鳩村に衝突しする。

 鳩村は声を上げる間もなく、腹にフォークリフトを突き刺された。その先端はコア・キューブに激突し、プラスチックの壁を貫いた。膨大な運動量を塞き止められたロビイの後部が反動ではね上がる。リフトの上部が鳩村の顔を直撃した。悲鳴のような金属音に、鳩村の顔面が砕ける不気味な音が交じった。

 ロビイがキャタピラを地面に着けた時、鳩村は顔を押し潰されて痙攣していた。

 それでもロビイは止まらなかった。キャタピラを逆転させて鋭く反転すると、リフトの先が鳩村の胴を横に断ち切った。

 最初に下半身が崩れた。次に上半身が落ちた。顔の上半分は、鮮血と脳漿を飛び散らせたまま壁に張りついていた。

 二階堂が絶叫した。

「鳩村さん!」

 その場ですばしこく先端を振っていたロビイが、茂みの中で立ち上がった二階堂に先端を向けた。音響センサーが感知した領域を、視覚センサーが詳細に解析していく。

 ようやく状況を認識した中森が力の限りに叫んだ。

「ロビイ、止まれ! 動くな!」

 ロビイは中森の指令を無視して、再び加速した。本体の左右から、折り畳まれていたマニピュレータが繰り出される。

 芦沢が二階堂に向かって茂みをかき分けながら叫んだ。

「逃げろ! 走れ!」

 二階堂はその場に座り込み、動けなかった。

 ロビイは、マニピュレータを突き出したまま突進した。キャタピラの背後に、湿った土が巻き上げられる。金属の爪の先には、硬直した二階堂がいる。

 中森が叫ぶ。

「止まれ!」

 ロビイは、従順なイヌのようにぴたりと止まった。

 一瞬、あたりは静寂につつまれた。シェルを叩く雨は激しいままだが、まるですべての音が消え去ったようだった。全員が息を詰める。

 芦沢の足も止まっていた。

 中森はつぶやいた。

「言うことを聞いた……」

 間違いだった。

 ロビイは再びモーターのうなりを上げると、マニピュレータを畳んで鋭くバックした。ほんの2メートルほど横に位置をずらすと、改めて二階堂めがけて突進していく。

 だがその先には、低木の茂みがあった。ロビイは、平坦な地面を外れて、自ら障害物がある進路を選んだように見えた。

 それでも、二階堂を殺そうとする『意志』は揺らいでいない。

 二階堂も動けないままだ。

 ロビイは厚い茂みに衝突した。行く手を阻まれて泥の上でキャタピラを空回りさせる。低木の城壁を破るには、助走が短すぎたのだ。

 芦沢が二階堂に近づく。

 ロビイは二階堂の生命を奪おうともがき続けていた。いったん畳まれたマニピュレータが、二階堂の顔面に向かって鋭く突き出される。

 同時に芦沢が、低木に足を取られて倒れた。だが必死にのばした指先は、辛うじて二階堂のトレーナーをつかんでいた。思い切り引っ張る。

 二階堂の身体が傾いた。

 チタン合金製の三本の爪をぴたりと合わせたマニピュレータは、大きく見開かれた二階堂の目の脇をかすめた。

 こめかみから血がにじむ。

 芦沢の手が届かなければ、二階堂は脳を貫かれていたのだ――。

 はっと我に返った二階堂は、悲鳴を上げた。

「いやあああ!」

 振り返って這い逃げる。

 魔術をかけられたように動きを止めていたスタッフが、我に返った。

 室井が怒声を上げた。

「中森! 電源を切らなかったのか⁉」

 中森が泣き叫ぶように答えた。

「冗談じゃない! 絶対に切ってます!」

「なら、なぜ暴走する⁉ 人を殺そうとしている! 君が命じたのか⁉」

「私じゃない!」

 ロビイは茂みを乗り越えようと、キャタピラの回転を低速に変えていた。あくまでも二階堂を餌食にしようとする執念がにじみ出している。じわじわと押し進む金属の巨体に、茂みの枝が次第に押し倒されていく。

 ロビイの背後には、茂みから抜け出した芦沢が駆け寄っていた。

 芦沢が叫ぶ。

「馬鹿やろう!」

 芦沢はロビイの上に飛び乗って素手でしがみついた。その目には狂気に近い、思い詰めた光りが宿っている。

 中森が叫ぶ。

「やめろ! 無謀だ!」

 しかし芦沢の耳には、その声は届いていないようだった。

「低能ロボットめ! なんてことを!」

 ロビイは芦沢を振り落とすために、足場の確かな通路に後退した。

 大西がうめく。

「無茶な……」

 ロビイはその場で鋭く回転を始めた。自分の背中に張りついた邪魔者を弾き飛ばそうと目論んでいる。

 その時初めて、芦沢は自分の行動が常軌を逸したものであることを悟ったようだった。泣きだしそうな顔で叫ぶ。

「中森! なんとかしろ!」

 近くに走り寄った中森が、ロビイの胴体の脇を指さした。

「そこのスイッチを切って!」

 ロビイは回転しては止まり、また逆に回る。芦沢はロデオさながらに金属の馬にしがみつき、スイッチを手で探って押した。

 ロビイは止まらなかった。

「切ったんだぞ! なのに、こいつ……なんで動けるんだ⁉」

 中森は茫然とうめいた。

「やっぱり……切り忘れたはずがないんだ……誰かが外からコントロールしている……畜生、圧力センサーを正常に戻しておけば、こんなことには……」

 ロビイはさらに回転を続けた。しがみついた芦沢の右手が偶然に視覚センサー――高感度CCDカメラを覆い、視力を奪われていたのだ。その動きは激しかった。もし芦沢が振り落とされれば、ロビイはその上にのしかかるだろう。二〇〇キロの巨体の下敷きになれば命はない。

 そうでなくとも、自由度の大きいマニピュレータはロビイの後部にまで届く設計になっている。圧力センサーの制限を外されているマニピュレーターの先端で突き刺されれば、人間の骨程度は容易に砕かれる。

 中森の背後にシマダと仁科、そして室井夫妻が集まっていた。

 仁科が言った。

「ロビイが人を殺すなんて……」

 中森は断言した。

「管理センターが殺させたんです。今のロビイはセンターに操作されている!」

 室井が中森を見つめた。

「なんだと⁉ センターは生きているのか⁉」

 中森は言った。

「説明は後です。奴を止めなくちゃ」

 芦沢が恐怖の叫びを上げた。

「早く! 振り落とされちまう!」

 中森はロビイがマニピュレータを折り畳んで収納したまま、芦沢に向けて動かす気配がないことに気づいた。そして〝腕〟の操作回路が視覚情報に制御されていることに思い当った。

 注意して見ると、しがみついた芦沢の手が視覚センサーのレンズを覆っているのが確かめられた。ロビイは赤外線の感知装置も装備しているが、その位置もCCDカメラのすぐ横にある。

 芦沢の手は、偶然にもその両方を無力化していたのだ。

 ロビイはカメラからの情報で常に目標物の位置を確認していなければ、マニピュレータを動かすことができない。

 中森は通路の脇から湿った泥を握り上げ、ロビイの背後ににじり寄った。

「この泥を視覚センサーに塗って! マニピュレータを殺せる!」

 すれ違いざまに芦沢の左手に渡った泥は、センサーのレンズに擦りつけられた。そして、力尽きた芦沢は振り落とされた。

 ロビイは一瞬、動きを止めた。

 そして、芦沢が這って逃げる方向へゆっくりと向きを変えた。

 中森が背後で足を踏み鳴らした。

「ロビイ! こっちだ!」

 ロビイは素早く反転した。中森の声と振動で生体の存在を感知したのだ。

 中森は子供に語りかけるように言った。

「ロビイ……私が分かるか?」

 返事はない。

 中森はこみあげる怒りに両手を固く握りしめた。

「くそ……ロビイを化け物にしやがって……いったい、何のために……」

 ロビイは、突然中森に向かって突進した。

 中森は叫びながら横にとんだ。

「みんな、動かないで! 音響センサーはまだ生きています! 息を殺していてください!」

 中森はさらにロビイの動きを確認しながら、大きく手を叩き始めた。

「こっちだ、ロビイ……こっちに来るんだ、ど阿呆め……なんだってセンターなんかの言いなりに……ほら、こっちだ。私はこっちだぞ!」

 生き残ったスタッフは息を詰めて、ロビイを誘導する中森を見守った。

 ロビイは素早く先端を振りながら、ときたま突然加速する。中森は何度か足をフォークリフトの先端にぶつけながらも、間一髪でそれを避けていた。全身から汗が噴き出している。足をもつれさせて倒れれば、ロビイに踏み潰されるのが目に見えていた。

 緑に包まれた温室は、金属塊との腹の探り合いに命を賭けるコロセウムと化していた。

 それでも中森は冷静にロビイの動きを予測し、誘導し、次第にスタッフから引き離していった。

 中森はロビイの出方をうかがいながらも、ちらちらと背後に視線を投げかけた。通路から草本類が茂るブロックに踏み込む。足もとの土はしっとり湿っていた。そこにロビイを誘い込めば、キャタピラのグリップを失わせて行動力を鈍らせることができる。視覚を失っているロボットにとっては、低木の茂みも行動の障害になる。

 中森は叫んだ。

「こっちだ! こっちに来い!」

 さらに茂みの奥へと退いていった。

 他のスタッフは固唾を飲んでその対決を見守り、誰一人声を立てなかった。

 ロビイも、唯一感知できる中森の声を追うしかなかった。土の柔らかさを感じ取ったセンサーがキャタピラのトルクと回転数を微妙にコントロールし、草を踏みしだいて進む。その俊敏さは、中森が期待したほどは衰えない。

 中森はさらに背後に目をやった。すでに死んだ魚たちが浮かぶ『湖』の岸にまで追い詰められていた。

 中森は小さくつぶやいた。

「やるしかないな……」

 もはや、ロビイが何者かに〝殺人〟をプログラムされたことは疑いようがない。ロビイは本来、人間を傷つける命令を受けつけない。プログラムに仕込まれた安全対策をかいくぐって〝殺意〟を抱かせるには、高度なハッカーのテクニックが必要なのだ。スフィア内でそれができる人間は、もはや中森の他にはいない。

 中森は当然、自分が疑われていることを承知していた。

 中森はロビイの反応を見つめながら大声で叫んだ。

「みんな聞いてください! 返事はしないで! ロビイはセンターから遠隔操作されています。操っているのはセンターの誰かです。回線は切れてなんかいなかったんです。私たちを孤立させるトリックだったんです」

 室井が言った。

「信じられん!」

 一瞬ロビイは止まり、振り返る気配を見せた。

 中森はさらに声をはりあげた。

「返事をしないで! 私はプログラムを書き換えてません。〝殺意〟はスフィアの外部から送り込まれたんです。センターとの回線は必ず生きています。そこから無線で命令を届けたんです。遠隔操作用の周波数を用いれば、外部からスイッチを入れて新たなプログラムを実行させることができます。何もかも、センターの仕業です。センターは私たちを殺そうとしているんです。ロビイは私がなんとか動きを止めます。それが終わったら、すぐセンターとの光ファイバーを切断してください。いいですか! 絶対に切断するんですよ! 理由は分かりませんが、センターは私たちを殺そうとしているんですから!」

 言いながら中森は、一歩退いた。その足が『湖』に踏み込まれる。ロビイとの小競り合いで負った傷から血が流れ出し、水面に広がった。

 スタッフは通路に出て身を寄せ始めた。

 仁科がささやいた。

「中森君……何をする気なんだ?」

 小刻みに震える峰の肩を支えた大西が、小声で答えた。

「奴を水に叩き落とす魂胆でしょう……」

 峰がはっと息を呑む。

「そんなことをしたら死んじゃうかもしれない……。湖にはどんなウイルスが混じっているかも分からないのに……」

 大西はうなずいた。

「だから、ああやって危険を知らせているんです。万一自分が死んでも、僕らが助かる道が残るように。ロビイの事は彼が一番知っているんでしょう? 自分が人殺しを命じたのではないということを証明するには、命を賭けるしかないんです……」

 中森はすでに両足を『湖』に沈めていた。魚が浮かぶ水面は膝の高さにあった。岸からは二メートル以上離れている。

 芦沢がつぶやいた。

「しかし無意味だ。ロビイは完全防水なんだから……」

 大西は茫然と芦沢を見つめた。

「本当に?」

「水中作業もできるように設計されています」

「そんな……」

 彼らは、ただじっと中森を見つめる他に何もできなかった。

 中森はロビイに向かって叫んだ。

「こっちだ!」

 中森の動きが素早さを欠き始めたことは、ロビイも感じていた。しかし、視覚を奪われた状態では、彼が『湖』に入ったことまでは〝理解〟できなかった。赤外線センサーも塞がれているので、中森の足元に湖水の低温領域があることも判別できない。それでもロビイは、ここで一気に命令を実行すべきだと決断した。キャタピラの回転が上がり、ロビイは突進した。

 そして、先端を『湖』に落とし込んだ。

 ロビイは瞬時に〝罠〟を悟った。が同時に、水は自分にとって危険ではないことも認識していた。ロビイは中森が発する音を求めてさらに進んだ。その巨体の半分が水中に没する。

 スタッフが息を殺して見守る中、中森は意外な行動に出た。ロビイに向かって真っすぐ進みはじめたのだ。そしてフォークリフトが身体に触れる寸前、中森はそれを踏み台にしてロビイの上部に飛び乗った。

 中森の動きを察知したロビイは、芦沢を振り落とした時のように回転を開始した。しかし『湖』の底は軟らかい砂地で、キャタピラは空回りするばかりだった。

 中森が狙っていたのは、ロビイの右脇に接続されていたバッテリーパックだった。接続部分は特殊なパッキンによって水分の侵入を防いでいる。しかしバッテリーを固定したネジを緩めさえすれば、接点に水が流れこんでショートするはずだった。ネジを外すのにドライバーは必要ない。用具なしで作業ができるように、指先で回せるつまみがつけられているのだ。中森の狙い通り、バッテリーの下部はすでに水に浸っていた。

 中森はロビイの上に腹ばいになってバッテリーのネジをつまんだ。指先に力をこめて、水で滑るネジを回す。ネジは四本。そのうち三本をゆるめた時にロビイが動きを変えた。

『湖』の中で回転した際にはね飛んだ水が、視覚センサーに塗った泥を洗い流していたのだ。ロビイはセンサーを回して自分の背にまたがった中森を〝目視〟した。同時にマニピュレータが動く。

 ロビイの動きを感じた中森は、転げるようにして『湖』に飛び込んだ。

 マニピュレータが凄まじいスピードで突き出される。

 しかし、中森は間一髪でその攻撃を避けていた。目標を外したロビイのマニピュレータは自分のバッテリーに激突した。残った一本のネジが衝撃で緩む。湖水が接点に達した。

 ショートしたバッテリーから火花が飛び散る。中森は一瞬の電撃で気を失った。

 ロビイも動きを止めた。

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