双子の密室・3
再び温室の休憩所に集まったスタッフの間に、議論を続けていた。
シェルには横殴りの豪雨が叩きつけられ、温室は地下の廊下よりも薄暗く感じた。太陽光が不足しているために植物の光合成能力は低下し、息苦しさも改善されていない。それでも周囲には緑があり、広い空間が開けている。スタッフにとってはわずかばかりの救いだった。
大西が中森に尋ねた。
「地下倉庫のドアを掌紋を使わずに開ける方法はないんですか?」
中森は首を振った。
「ないでしょう。とにかくあのセンサーは、掌紋という複雑な図形を認識して反応するように設計されています。生体反応を分析できる性能まで備えているなら、奴を騙すことはほとんど不可能です。現実に生き残った者でドアを開けられたのは室井さんだけでしょう? 他のスタッフの掌紋が登録されていなかったことははっきりしています」
「だから、直接コンピュータのプログラムをいじるとか……」
大西は不意に口をつぐんだ。
それが可能だとしても、実行できる知識と技術を持つ者は今や中森の他にはいない。大西の質問は、中森が犯人だと糾弾するに等しかった。
中森は大西を見つめた。
「私ならできる……と?」
大西は一瞬うろたえたが、それが可能性の一つであることは間違いない。腹を決めて言った。
「できませんか?」
中森は肩をすくめた。
「できるかもしれませんね。充分に時間をかければ。学生時代はそんな遊びに熱中していましたから。正直言って、私たちはそれが原因でMSPに参加した……もっと正確に言うなら〝捕らえられた〟ようなものですしね……」
「どういうことです? それに『私たち』って?」
中森はシマダの顔色を見ながら答えた。
「柴田さん、いや、シマダさん……あなたは、石垣がナカトミにどんな弱みを握られていたのか知っているのでしょう?」
シマダは無表情に応えた。
「知っている」
中森は小さくうなずいた。
「じゃあ、今さら隠しても意味はありませんね。『私たち』というのは、むろん私と石垣です。インターネットで意気投合した私たちは、大学院の頃はよく組んでいたずらをしていたんです。自分たちの技術を競うために、あっちこっちの企業のシステムをハッキングして回ったりしてね。ところがBTIジャパンのセキュリティーに引っかかって、二人とも告訴が避けられないという状況に追い込まれました。そんなことになれば当然就職はふいで、最悪の場合は塀の中の住人です。今だって一歩外に出れば、いつ裁判所に突き出されるか分からないんです。それを救ってくれたのがナカトミで、手強い財閥がバックについたことで私たちはかろうじてお目こぼしにあずかっていたわけです。その代償にMSPへの参加を強要されたことを考えれば、二年間の懲役と変わりないような気もします」
大西はうなずいた。
「なるほど。じゃあ当然、あなた方にとってはコンピュータのセキュリティー破りは身に馴染んだものだったわけですね?」
「私の才能は石垣にはかないませんがね。ドアセンサーぐらい、奴なら私の倍は素早く腑抜けにできるでしょう。それにしたって二、三時間はじっくりプログラムを検討しなけりゃなりません。暗証番号解読ソフトのような特殊なプログラムも必要です。手品のように一瞬でセキュリティー・ガードを破ることは誰にもできません」
大西は思わず溜め息をもらした。
それ以上追求しても水掛け論になることは明らかだ。
仮に石垣か中森がプログラムを修正した痕跡を残していても、それを発見できるのは中森の他にはいない。中森が嘘をついても見破る方法がない。この点にこだわればこだわるほど、状況は〝魔女狩り〟に近くなっていく……。
芦沢が視点を変えようとして言った。
「石垣さんが殺された後に死んだのは、天野さんと鳥居さんですよね。二人のどちらかの掌紋が倉庫のセンサーに登録されていて、石垣君を殺したという可能性は?」
答えたのは室井だった。
「可能性だけならどんなことでもありうる。それこそ、この私が連続殺人犯だという理由だってこじつけられるかもしれない。しかし、そんな奇抜な空想を裏づける証拠はどこにもない。私には、石垣君がセキュリティー・システムのガードを破ったと考えたほうが納得できるがね。彼女たちに人が殺せるとも考えられない……」
室井の言葉には力がなく、疲労困憊していることが誰の目にも明らかだ。もはや、MSPの責任者としての自覚も消滅寸前だった。
芦沢は不満そうに言った。
「女だから人を殺さない――なんて、何の説得力もありませんよ」
室井は反論すらしなかった。
仁科が言った。
「こんな考えはどうでしょう。石垣君と鳥居君はひそかに手を組んで、ここで何かを企んでいた。鳥居君がかつてBTIの社員だったとするなら、背後でBTIが暗躍している可能性もあります。その結果が高崎君の死や畜舎の爆破だったとしましょう。ところが彼らは倉庫で仲たがいし、石垣君は殺されてしまった……。鳥居君は何食わぬ顔でスタッフの中に戻り、さらにBTIから命じられた『謎の計画』を進めて、天野君を殺した……」
大西が首を横に振りながら言った。
「もしも鳥居さんがそれほど冷徹な殺人鬼だったなら、自ら命を絶つほど精神に異常をきたすなんて、なおさら納得できません。皆さんも彼女の状態はご覧になったでしょう?」
仁科は大西を見つめた。
「他に筋が通る解釈があるのかね?」
大西は肩をすくめた。
「見当もつきません。でも、無理に理由をこじつけても、納得できないことに変わりはありませんから。ところで中森さん、地下倉庫のドアの開閉には個人名は記録されないんですか?」
中森はうなずいた。
「実は、石垣君が死んだ直後にこっそり探してみたんですがね。データバンクのどこを探ってみてもドアの開閉記録は見当らないんです。見つかったのはエアロックのファイルだけでした。もっともエアロックは掌紋センサーも個人コードも使わないんで、開いた時間が記録されるだけですが」
「DNA情報を引き出した記録やメンテナンス・コードの件はあんなに簡単に分かったのに?」
「私にも不思議なんですけどね……。とことん調べたいならセンサーを分解する必要もあります。でも、そこまでするべきかどうか……。地下倉庫のドアは、そもそも非常時以外は開けてはいけないものだったわけですから、記録を作らないのも仕方ないのかもしれませんよ」
大西はさらに質問した。
「Vラボのドアも記録は残らないないんですか?」
「そうなんです。不用心な気もしますがね……」
シマダが二人の会話に割って入った。
「迂闊にファイルを作ると、ウイルス開発にに無関係なスタッフがデータを覗いてVラボの存在に気づく恐れがある。それを防ぐために、データバンクには記録が残らないようにシステムをデザインさせたのだ」
うなずいた大西は、さらに中森に質問した。
「センサーそのものを物理的に操作した可能性は? つまり、キーなしで車のエンジンをかけるようなことはできませんか?」
「ずいぶん気をつけて見ましたけど、前面のカバーを無理矢理開けたような痕跡はありませんでした。外からは簡単に開けられない構造ですから、そんな手を使ったなら傷一つ残さないというのは不可能です。でも本当に心配なら開けてみましょうか?」
「中を見たって、僕には何が何だか分からないに決まっていますよ。それより、掌紋のデータは消せるんですか?」
シマダが大西を見つめた。
「私がデータを消したと考えているのか?」
大西ははっきりとうなずいた。
「それも可能性の一つです。あなたには、ナカトミの最高機密であるVラボを開く権限を与えられていた。なのに秘密でも何でもない地下倉庫が開けられないというのは不自然な気がしましてね」
「見当違いもはなはだしい。Vラボを開けられたのは私だけではない。五人ものウイルス・スタッフが全員その権限を持っていたのだ。彼ら全員が地下倉庫の扉まで開けられるなら、誰でも入れるのと同じだ。それなら始めから鍵などつけない方がいい」
「それもそうですがね……。中森さん、どうでしょう? 掌紋のデータは簡単に消せますか?」
中森はシマダの表情を見ながら答えた。
「方法はあるでしょう。でも、どうやったら登録したデータを解除できるのかは、じっくり調べてみないと分かりません。ドア操作のプログラムはエアロックのプログラムを共用しているらしいのですが、細部まで分析するには徹夜しないとね。そうしたところで、データを消去した証拠が掴めるとは限りませんし……」
大西もあきらめる他はなかった。
「結局、地下の密室を開ける鍵はどこにもないのかな……」
不意にシマダがつぶやいた。
「鍵はある。室井さんの掌紋がね」
室井は驚きを隠せずにシマダの目を見据えた。
「私が犯人だと言うのか?」
シマダはじっと室井を見つめていた。
「少なくとも、石垣君を殺した可能性は残る。倉庫を開けられる唯一の人物であることは確かなのだからな」
室井はシマダをにらんで腰を浮かせた。
「馬鹿なことを言うんじゃない! どちらの場合も、私はずっと他の誰かと一緒にいたんだ! 人を殺せるはずがない!」
シマダは動じなかった。
「だから、あなたが直接手を下したとは言っていない。しかし誰かと共謀して、あるいは脅迫されて手を貸したことは考えられる」
「何を血迷っているんだ⁉ 私はあの時、地下倉庫にだって下りていない!」
シマダは冷静に室井を見つめていた。
「〝あの時〟あなたがサロンにいたことは、確かに他のみんなが証明している。だが私は大事なことを見落としていたのだ。『倉庫が開かれたのが殺人が起こる直前でなければならない』という理由はどこにもない。ドアは何時間、いや何日も前から開いたままになっていても構わない。スフィアが正常に機能している限りは、誰もあの地下室に降りる必要はないのだからな」
気まずい沈黙の中で、芦沢がうめいた。
「なるほど……言われてみればその通りだな。なぜ今まで気づかなかったんだろう……」
大西は中森に尋ねた。
「本当にそうなんですか?」
中森は倉庫の青写真を思い浮べながらしばらく考えた。
「確かに言えます。倉庫の荷物を大量に運びだす際には、自動的にドアが閉まる仕組みにしておくといちいち掌紋で開けなければなりませんからね。実際に室井さんは扉を閉める時にも掌紋を使いました」
室井はぽつりと言った。
「ついに、本当に『私が犯人だ』という説まで飛び出したか……。迂闊に軽口を叩くものではないな」
シマダは真顔で室井を見据えていた。
峰がうんざりしたようにつぶやいた。
「相変わらず、誰も信用できないってわけね……」
その時、口数が少なかった二階堂が言った。口調は落ち着きを失っている。
「でも、私と鳩村さんが天野さんの死に関係していないことははっきりしてるわ。私たち『森』の中で彼女が落ちる音を聞いたんですから。犯人はあの時、確実にバルコニーの上にいたのよ。血を抜かれていたはずの彼女が自分で飛び降りられるはずはないもの」
鳩村は、自分の腕にすがる二階堂に手にそっと自分の手をかぶせた。
「二階堂さん、落ち着くのよ。誰も私たちが犯人だなんて言っていないわ」
室井が二人を見ながらうなずいた。
「やはり、天野君の死を犯人探しの出発点にする他はなさそうだな。鳥居君を一応除外して考えれば、あの時互いの監視を逃れていたのは芦沢君、中森君、そしてシマダ君の三人だけだった。仮に私が誰かと共謀していたと仮定しても、天野君を殺せたのはこの三人の他に考えられない」
芦沢が答えた。
「それは認めますがね……でも、私は殺してはいませんよ」
中森が小さく言った。
「私だって……」
シマダもうなずいた。
「私も天野君を殺してなどいない」
大西は溜め息をもらした。
「まあ、人殺しが『私がやりました』と言うはずはないでしょうから……。そうなると、天野さんが殺された現場を調査して犯人を推理する他ないでしょう。案外、鳥居さんが犯人だったと分かるかもしれませんしね。とにかく天野さんを殺した犯人を突き止められれば、他の犠牲者についても謎を解く手がかりが得られるかもしれません」
峰が厳しい口調で言った。
「でも、スフィアが人体に危険になったことに変わりはないわよ。しかも、時間を追うごとに環境は悪化していく。それをどうにかするのが先じゃない?」
大西は穏やかに峰を見返した。
「どうせ、最後は医務室に立てこもるんでしょう? それまで二、三時間の猶予はください。医務室の中で人殺しが起きる可能性だってあるんですから」
鳩村が両手で口を覆った。
「気持ちの悪いことを言わないで!」
大西に同意したのは、室井だった。
「不愉快だが、事実だ。酸素の量は限られている。それを少しでも長く使おうとするなら、頭数は少ないほうが得だ。しかも犯人は自分の正体が暴かれることを恐れているはずだ。生き残って外に出た後は、証人が少ない方が都合がいい。それらを考え合わせれば、まだ殺人は起きると思った方が無難だ。犯人探しは道楽ではなく、死活問題と言っていい」
峰もうなずく他はなかった。
「大西さん、ごめんなさい……。気が立っていたんで、つい……」
大西は白い歯を見せて微笑んだ。
「いいんですよ……。怒られるのには慣れているから」
「でも……」
その瞬間、大西の視線は凍りつき、叫んだ。
「危ない!」
大西はベンチを蹴って峰に向かって飛び出した。
不意に大西に飛びかかられた峰が、恐怖の叫びを上げた。
「何よ⁉」
大西はそのまま峰の肩を抱くようにして突進し、通路脇の植物の間に倒れこんだ。
その直後、峰が座っていたベンチに巨大な物体が激突した。まるで飢えた猪のように通路を爆走してきた金属の塊――それは、中森が電源を切ったはずのロビイだった。
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