疑惑の増殖・2

 三人がコア・キューブを出た時、休憩所に残っていたのは室井裕美と峰だけだった。二人は向かい合う丸太のベンチに分かれて座っていた。

 それを知った室井は、妻に向かって怒鳴った。

「なぜ勝手な行動を取らせたんだ⁉」

 室井の妻は寂しげに肩をすくめて、穏やかに答えた。

「あなたの権威が軽く見られている証拠ね。柴田さんが席を立った後は、みんなばらばら。だってそうじゃない、誰が殺人犯だとも分からないのに、じっと顔を合わせてなんかいられないわ」

「だからこそ監視し合わなければ……」

 峰が室井の言葉を封じた。

「お互いを疑うのに疲れたんです。みんな、神経が擦り切れる寸前……。さっきも、つまらないことでののしり合いになってしまって、それでこんな結果に……。私ももう、鳥居さんを笑う気にもなれません。少しだけでも休ませてください」

 室井は、すっかり生気を失った峰をじっと見つめてから自嘲気味につぶやいた。

「追い詰められているのは私一人ではない……とわかって、安心したよ。で、みんなはどこに行った?」

 峰はうつむいたまま答えた。

「さあ?」

 室井の妻が応えた。

「鳩村さんたちの他は、バラバラに出ていきましたから」

「天野君も一人でか?」

「ええ」

「中森君とは?」

「険悪でしたわ。天野さんは、彼がコンピュータを壊したと信じ込んでいるようで。中森さんが近づいても、逃げるようにして出ていきました。元には戻れないような気がする……」

 室井は、疲れ果てたようなため息をもらした。

「私らが仲人をすることになると思っていたのにな……」

 室井裕美はうなずく。

「なんだか、別の世界の出来事みたいに思えるわね……」

 大西が峰の前に腰を降ろした。

「峰さん、あなたはなぜここに残っていたんですか?」

 峰は大西を見て、か弱げに微笑んだ。大西への警戒心が消え去り、自分の弱みを見せまいとする努力も放棄している。

「あなた方が何を話しているのか気になって。生れつき好奇心が強いのよ。それとも……自分が助かりたいだけかな」

 大西は真面目にうなずいた。

「誰だって、こんな奇妙な場所で死にたくはありませんって」

 仁科がつぶやいた。

「また全員を集めなけりゃならない。無線器を切っていなければいいんだが……」

 室井が首を横に振った。

「いや、峰君の言うことももっともだ。やるべきことはやった。医務室に立てこもらなければならない時まで、スタッフは自由にさせておこうじゃないか。こう息苦しくては、たいして先のことではないだろうからな」

 大気中の酸素の欠乏は今でも彼らの呼吸を浅くさせている。

 それでも大西は、室井を鋭く見つめた。

「僕は反対です。もし次の殺人が起こったらどうするんですか?」

「むろん〝あの二人〟は監視するさ。しかし、全員を見張り合わせる必要はないだろう。また殺人が起こると決まったわけじゃないし、みんな自分の身辺は警戒しているだろうからね。どうせ、数時間後には身を寄せ合って互いの吐いた息を吸わなけりゃならない。私も、心底、疲れた……」

 仁科がうなずいた。

「とりあえず、二人だけ呼び出してみましょう」

 仁科は無線器を取って何度か呼出しをかけた。だが、二人からの返答はなかった。

 室井が言った。

「呼出しにさえ応えない気か……。最低限の約束事だというのにな……」

 仁科は仕方なさそうにベンチを立った。

「他のスタッフに妙な疑いを起こさせると事がややこしくなりかねません。まさかとは思いますが、リンチなんかに発展したら手がつけられませんから。私がこっそり二人を探してきましょう」

 室井が妻の顔色をうかがいながら答えた。

「すまないが、頼んだ。どうやら私では彼らをうまく扱えそうもないのでね」

 うなずいた仁科がコアに入ると、峰が室井に向かって言った。

「あの二人って……柴田さんと天野さんですね?」

 室井が峰を見つめ返した。

「なぜそう思う?」

「微生物班の人間だから。彼らには何か秘密がある」

「他のみんなもそう感じているのか?」

「いいえ。それぞれが、自分が嫌いな人が犯人だと言い合うだけ。特に中森さんと芦沢さんは険悪でした。さっきも掴み合いになってしまって……。お互いに相手が犯人だと思い込んでいるんです。あの二人は性格が似ているところがあるから、いがみ合うと余計に手がつけられなくて……。でも私は、やっぱり微生物班が怪しいと……」

 室井は言った。

「その点は早急に明らかにする。それまでは、大げさに言いふらさんでくれたまえ」

「もちろんですが……。何か分かったことがあるんですか?」

 室井にも確たる返事はできなかった。

「いや、別に……」

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