ガラスの牢獄・2

 中森は『農地』に建てられた倉庫からロビイを休憩所に連れ出し、プログラムの細部を調整をしながら、傍らで作業を見つめる大西に説明を終えた。

 大西は目を丸くしたままだった。

「本当に『勝手に土の袋を運ぶ』なんてできるんですか?」

 中森は、当然だというように笑った。身になじんだマシンに集中することで、恐怖を意識せずにすんでいるようだ。

「もっと高度な作業だって一人で考えてこなしますよ。だから改めてプログラムを手直しすることはないんですけど、一応のチェックはしておかないとね。こんな大事な時に間抜けなボケをかまされちゃたまりません」

「でも、機械を信じきる気にはなれないな……。ロビイって……手動でも動かせるんですか?」

「もちろんです。大気圏外や原子炉の内部のような隔離された環境に送り込んでも制御できるよう、遠隔操縦システムも用意されています。ま、今回はそこまで必要ないでしょうけどね」

 休憩所には鳥居を除いたスタッフ全員が集まり、中森の作業を見守っていた。

 挙動を疑われていた芦沢は、スタッフに囲まれてベンチでうなだれている。

 大西は感心しながらもつぶやいていた。

「しかし、なんだって『ロビイ』なんて可愛らしい名前をつけたんです? 見た目はミニチュアの戦車みたいなのに」

 中森は小さく声を上げて笑った。自分が殺人の容疑者から遠ざかったことで落ち着きも取り戻している。

「日本人の性格でしょう。工業用のロボットが工場に進出してきた当時は、工員が『百恵』だとか『淳子』だとかっていう愛称で呼んでいたそうです。同じ頃海外では、自分たちの職場を奪うかもしれないロボットにストライキを打って抵抗していたんですからね。ロビイの名づけ親は、実は室井さんの奥さんなんです」

 大西の意外そうな視線を受けた室井裕美は、少女のように微笑んだ。

「子供の頃に見た映画から取ったんです。『禁断の惑星』っていう、ディズニーのスタッフが作ったSF。私にとっては、科学者を目指すきっかけでしたから」

 大西は唐突にうなずいた。

「あ、そうか『フライデイ』でしょう⁉ 僕は『宇宙家族ロビンソン』で見てました。ほら『警告、警告……』ってやつ!」

 室井裕美も小さくうなずいた。

 彼らは、自分たちがあえて明るく振る舞おうとしていることに気づいていた。

 休憩所からは、破壊された畜舎と崩れ去った『森』が嫌でも目に入る。しかも、爆発後の臭気と酸素欠乏による息苦しさは影のようにしつこくつきまとっている。

 誰もが、浅い呼吸をせわしなく繰り返しているのだ。

 そのプレッシャーをはねのけて理性を保ち続けるには、たとえうわべだけでも笑いが必要だった。

 ロビイの調整を終えた中森が立ち上がった。

「直接見守りながらの作業ですから、コマンドは音声で入力するようにしました。スタッフの声を命令と混同するといけないんで、私の声紋だけに反応するように設定したんです」

 中森は最後にバッテリーの残量をチェックした。

 大西はしかし、ロビイを気味悪そうに見つめていた。

「声でも動かせるんですか?」

「会話だってできますよ。好奇心が旺盛な奴だから、突っ込まれて返事に困ることも多いですがね」

「機械に話しかけるというのは、どうも苦手だな。フライデイみたいな格好をしてれば別かもしれないけど……」

「やる気になれば、今すぐ人間型のロボットは作れます。ナカトミの商売敵じゃ、二足歩行型をイメージキャラに使っているぐらいですから。ロビイを合体させればいいだけです。でも、重要なのは頭脳でね。実用的な観点からみても、ロビイの形の方が優れているんです」

 通路の幅は約三メートル。ロビイが待機する場所からシェル面までは百メートルほどの距離があった。突き当たりに鉛ガラスをはめ込んだドアがある。

 休憩所のベンチでは、室井は隣に座った妻を見ながらうなずきかけていた。

「もはや、やるしかない。たとえ殺人犯の目的をかなえることになろうと、だ」

 室井の妻も小さくうなずいて夫に手を重ねる。

 しかし室井の表情は冴えない。すでに一年半の苦労は無駄に終わったとあきらめてはいても、シェルの破壊という事態には自らの肉体を傷つけるのと同じほどの重さがあった。

 長い溜め息をもらした室井の気持ちを察したのか、妻の手にわずかに力がこもった。

 大西がロビイから目を離せないまま、中森に尋ねた。

「『ガラスを破壊する』って言いますけど、具体的にはどうやるんですか?」

 中森が答えた。

「まずは、ロビイの後部を支柱に接触させて本体を固定して、ガラス面をマニピュレータで押します」

「それぐらいで割れるのかな……?」

「割れはしなくても、案外、ガラスがたわんで枠から外れるかもしれません。やってみるまで、結果は分かりません。ま、相手が普通のガラスなら壊せないことはないでしょう」

 大西は小さく肩をすくめた。

「図体は大きくても、僕、けっこう心配性なものでね……あ、さっきも言いましたっけ」

 中森は大西を力づけるような微笑みを浮かべてから、ロビイに命じた。

「ロビイ、所定の場所についてくれ」

 ロビイは若い男の声で滑らかに答えた。

『中森さん、何か悪いことがありましたか?』

 中森ははっと息を呑んだ。

「なぜそんな質問を?」

『あなたの声に、強いストレスを感じます。仁科さんのカウンセリングを受けることをおすすめします』

 実際に中森は心の奥で、シェルが破れなかった場合のことを考えて怯えていたのだ。大西が思わず口に出してしまった心配は、すなわちスタッフ全員の恐怖だった。

 中森は動揺を隠すために深呼吸をしてから言った。

「ありがとう。君の仕事を見届けたら、先生に見てもらうよ」

『お大事に』

「では、始めてくれ」

『了解しました』

 そしてロビイは静かにキャタピラを回転させて走り出した。周囲を囲んでいたスタッフがわずかに身を寄せて、ロビイの通り道を開ける。

 ロビイは言った。

『ご協力ありがとうございます』

 大西は苦笑をもらした。

「行儀のいい戦車だな……。それにしても、すごい性能ですね。声を聞いただけで心の中まで見透かしてしまうだなんて……」

 中森はロビイの後ろ姿を見つめながら溜め息をもらした。

「管理センターは、ロビイに『心理分析ソフト』を組み込んだといっていました。スタッフの精神的ケアのためです。声紋分析技術を高度化させた、最新の嘘発見器の技術の応用です。でも、こんな時には全然ありがたくないですよね。人間のやせ我慢ぐらい、見ないふりをすりゃあいいのに……」

 ロビイはスタッフの中を抜け出すと、一気にスピードを上げてシェルに向かった。

 室井が怯えを振り払うように、毅然と言った。

「私たちも急ごう」

 彼らがシェルに走り着いた時には、ロビイはすでにシェルに牙を立てる準備を終えていた。

 ガラス面から約四メートル離れた場所に、太さ五センチほどの円柱形の支柱が立っていた。高崎の死体に倒れかかっていたのと同じ種類のものだ。支柱は、四メートルほど上でシェルの骨格にビス止めされ、ドームを支える構造の一部になっている。ロビイは金属柱に〝尻〟を押し当て、胴体の両側から二本のマニピュレータを伸ばしていた。三本の爪に分かれた先端部は、すでに軽くガラス面に触れている。

 シェルの外は相変わらずの豪雨だった。ガラス面に滝のような雨が流れていく。厚い雲は一向に晴れる気配を見せず、空を覆い尽くしたままだ。

 大西は支柱を手で押しながら中森に尋ねた。

「頑丈そうですね。何か特殊な金属でできているんですか?」

 中森は軽く肩をすくめた。

「実はこれが金属かどうかも私たちは知らないんです。知っているとすれば室井さんだけでしょう」

 室井も首を横に振った。

「私の専門は宇宙人間工学だが、建築部門のハード面には関与していない。材料の組成は機密になっていてね。別のチームが開発したもので、私も知らされていない。だが『ナカトミ金属』の基礎技術部門が総力を上げた、業界でも最先端の発明品だという噂は聞いた。こいつを一本外して商売敵に売り込めば、一生楽に暮らせるかもしれない」

 冗談めかしたその答えは真実のようでもあり、機密を守るための言い訳のようにも聞こえた。

 大西は仕方なく中森に質問を続けた。

「ロビイは、どれぐらいの力が出せるんです?」

「そうね……人間がマニピュレータに挟まれれば胴体がちぎれる恐れがあります。普段はそんな事故が起きないように圧力センサーでパワーを制御しています。でも、さっきそのレベルを最大まで上げました。こっちの命がかかっている時に力の出し惜しみなんかしていられませんからね。とはいえ、ロビイはしょせんロボットです。人間と違って、自分が壊れるまでは頑張りません。不可能だと判断すれば勝手に止まってしまいます。それでもロビイの腕も企業機密の特殊合金製ですから、ちょっとやそっとじゃ音は上げませんよ。今、ロビイと相撲をとるのはやめておいた方がいい」

 大西は中森の解説が進むにつれて後ずさっていった。

「僕は子供の頃から相撲には興味がなくてね……」

 中森はうなずいて、背後で見守るスタッフ全員に言った。

「みんな、離れて。ガラスが弾け飛ぶと危険です。木の陰に隠れて見ていてください」

 室井が自分に言い聞かせるように、弱々しくつぶやいた。

「大丈夫だ。必ず壊れるさ……」

 中森はロビイに身を寄せてささやいた。

「いい子だから、目一杯頑張るんだぞ。『ゴー』と言ったら、思いきりガラスを押せ。ここを壊さなければ、スタッフみんなの命が危険にさらされる。頼りにしてるぜ」

 ロビイは質問した。

『マイクロスフィアのシェルを破壊するのが目的なのですね?』

 中森はわずかに意外そうな表情を見せた。作業の目的はすでに説明してある。それを確認してくることなど、これまではなかった。

「ロビイ、何か不満があるのかい?」

 ロボットが不満を感じるとすれば、それはプログラムのどこかに中森が知らされていない〝命令〟が潜んでいることを意味する。たとえば『施設を破壊する可能性がある作業は拒め』と書き込まれているなら、ロビイは脱出の助けにはならない。

 しかし、ロビイは答えた。

『そんなことはありません』

 中森は安堵の溜め息をもらした。少なくとも、ロボットには嘘をつく能力は与えられていない。

「それなら力を貸してくれ。シェルに穴を開けないと、遠からずみんな死んでしまう。おまえも一人ぼっちになるかもしれないんだぜ。だから遠慮は要らない」

『一人は嫌いです。了解しました』

 中森はうなずいて退くと、バナナの木にしがみつくようにしていた大西の脇に身を隠した。そして、大声で叫んだ。

「ロビイ、始めろ! ゴー!」

 ロビイは静かに、しかし力強く出力を上げた。キーンという甲高い音が胴体からもれはじめる。身体の前に構えられたマニピュレータが少しずつ突き出されていく。ガラスは見る見る大きくたわみ、それを固定する骨格が軋む。ガラス面を流れ落ちる豪雨の筋が、複雑に歪んだ。

 中森は叫んだ。

「もっとだ! もっと踏張れ!」

 が、ロビイから発する音は次第に低くなり、ガラスのたわみも呆気なく元に戻った。

 ロビイが言った。

『これ以上はバッテリーの無駄です。シェルは、この方法では破壊できません』

 中森は叫んだ。

「おまえの力でも破れないガラスなのか⁉」

 ロビイが応えた。

『これは通常のガラスではありません』

 一瞬息を呑んだ中森が、ゆっくりと質問する。

「ガラスでないなら、何なんだ?」

『名称や組成は私の記憶にはありません。しかし、強度はシェルの他の部分に使用されているガラス状の透明板材と同一です。私の回路には「ドアには鉛ガラスを使用している」と記録されていますが、これは明らかに入力ミスです』

 中森は硬直してうめいた。

「うそだろう……」

 ロビイの答えを聞いていた大西が茫然と振り返った。

 そこには、真っ青に血の気を失った室井が立ち尽くしている。

 大西が言った。

「室井さん……どういうことなんですか……?」

 室生は放心状態のままつぶやいた。

「なぜだ……? なぜ違うんだ……? センターは私を騙していたのか……?」

 大西は事情を理解した。『ドアには破壊可能なガラスを使用した』というのは、センターが意図的に流した偽情報だったのだ。

 峰がつぶやく。

「そんな……。それじゃあ、どうやって外に出ればいいのよ……?」

 スタッフ全員が我を失っていた。豪雨を浴びながら新鮮な大気を吸う瞬間を待ちわびていた彼らは、自分が蟻地獄に捕まった虫も同然だったことを思い知らされたのだ。

 室井がうめき続ける。

「まさか……センターが嘘を……? 脱出できないようにしていただなんて……」

 マイクロスフィアの建築素材は多くが高度な企業秘密だ。特に外界と接するシェルのガラス面とその支持金属には、厳重な機密保持体制が敷かれている。それはシェルが真空の宇宙空間と生命圏を分離する殻であり、宇宙建造物を実現するための要になる素材だったからだ。

 スタッフはシェルの素材を単純に〝ガラス〟と呼んでいたが、理由は見た目が似ているからにすぎず〝それ〟が実際に通常建築に使われるガラスと同じであるはずはない。その分子構造を記録したデータは、彼らの手が届かない管理センターのファイルに厳重に仕舞い込まれている。スタッフ全員の頭に、センターが作ったマイクロスフィアのパンフレットのキャッチコピーが思い出されていた。

『シェルの素材と構造は宇宙空間での隕石の直撃にも耐えられる――』

 隕石をも跳ね返す機密素材を破壊できなければ、彼らは絶対に外へ逃れることができないのだ。

 大西が言った。

「中森さん、次はどうするんですか?」

 はっと我に返った中森が大西を見つめる。

「どうしようもないですよ……梯子を外さててしまったんですから……。センターは始めから私たちを出す気なんかなかったんだ……」

 大西は不意に声を荒らげた。

「だから何です⁉ うずくまって泣きわめけとでもいうんですか⁉ それでも、やれることはやるべきです!」

 峰が大西の傍らに進み出て言った。

「大西さんの言うとおりよ。たとえ脱出不可能に見えても、全ての可能性を試してみなくちゃ。お願い、私たちの命を救って」

 中森の目に、わずかな光が蘇った。

「緩慢な圧力で破壊できないなら、瞬間的に衝撃を加えるしかないですが……。それでシェルが破れる保障はありませんよ。それに、いったいどうやって……?」

 大西が言った。

「ロビイをドアに激突させるのは?」

 中森はうなずきながらも心配そうに答えた。

「可能性はあるけど……あの子、納得するかな……。ま、相談してみるか」

 中森はロビイの脇に進み出ると命じた。

「ロビイ、通路に出なさい」

『了解しました』

 通路の端に移動したロビイに、中森はかがんで語りかけた。

「ロビイ、休憩所からこの通路を全速で走ってドアに体当たりしてみてくれるか?」

『シェルを破壊するためですか?』

「強い衝撃を与えてみたいんだ」

『私の計算によれば、全速で衝突してもシェルを破壊することは不可能ですが?』

「実際に確かめてみたい。全員の生命がかかっていることだからだ」

『私の計算は信頼していただけないのでしょうか?』

「僕らは人間だから、君ほどあきらめがよくない。あれがガラスではないと教えられても、すぐには納得できない。自分の目で確認しないとね。シェルに激突した場合、君の身体はどうなる?」

『フォークリフトの先端で衝突すれば、おそらくシステムに異常をきたすことはないでしょう』

「では、試してくれるか?」

『ご命令なら、試します』

「やってくれ」

『了解しました』

 中森が立ち上がると、ロビイは素早く通路に走り出てコア・キューブに接するまで退いた。

 それは、金属の固まりであることを忘れさせるほどしなやかな動きだった。ガラス面までの距離は約百メートル。二百キロの巨体が加速度をつけて激突すれば、計り知れない運動量を叩きつけることになる。

 スタッフ一同は期待を込めてロビイを見守った。

 ロビイが休憩所で向きを変えたことを確認した中森はスタッフに命じた。

「どんな結果になるか見当もつきません。もっと離れていてください」

 全員がジャングルの奥に身を潜めると、中森もそれに続いた。

 そして、叫んだ。

「ロビイ! 走れ! 全速でぶちかませ!」

 ロビイはためらわずに走り出した。そのスピードはバックした時よりも数段速かった。あっという間にスタッフの目前を通過してドアに激突する――。

 しかしロビイは衝撃音とともに無残にはね返された。一度完全に宙に跳ばされたロビイは重い音をたてて通路に落下した。ガラス面は雨つぶを跳ねとばしながら振動し、楽器に用いるノコギリに似た不気味な音を残した。

 シェルの表面にはかすかな傷が一筋ついただけだった。

 中森は通路に走り出し、ロビイに駆け寄った。

「大丈夫か⁉」

『システムに異常はありません』

 中森はロビイの先端をさするようにしながら言った。

「すまなかったね、無理なことをやらせて。どうしても試してみたかったんだ」

『お役に立てなくて申し訳ありません。しかし、今後は私の計算を信頼してくださるようお願いいたします』

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