『森』の崩壊・2

 ドアが閉まると、芦沢がぽつりと言った。

「確かに、お互いを見張らせた方がいい」

 室井は哀しげに首を振った。

「そんなつもりではない」

「賢明な判断だと思います。殺人犯の目的は全く不明――ということは、単独行動には危険が伴う……」

 室井は語気荒く命じた。

「止めたまえ! 小説とは違うことがまだ分からないのか⁉」

 芦沢は動じない。

「そう、これは現実です。目をそらすより、実際的な対応策を探るべきです。だからこそ、高崎さんを殺した犯人を推理する意味があるんです。犯人が突き止められれば、エアロックが開くまで拘束できます。残った者は安心して救けを待てます」

 峰がつぶやいた。

「魔女裁判……」

 芦沢が答えた。

「確かに、そうならないように気をつけるべきですね」

 峰が言った。

「その言葉、忘れないでね。私、火あぶりはごめんですから」

 うなずいた芦沢は、わずかに口元をほころばせた。

「あ、それから、感謝しています。私も、鳥居君の体臭にはうんざりしていたんです」

「それなら、自分で何とか言えばよかったのに」

「その通りですよね。いつもあなたの行動力に頼ってばかりで、申し訳ない。あなたのように正直になれれば……私はいつもそう思っているんです。でも、日本人ってね……どうしても、してはいけない我慢までしちゃうんです。アメリカで育ったあなたが本当にうらやましい」

 峰はさみしげに肩をすくめた。

「そういわれても、ほめられた気はしないわ」

 芦沢は応えた。

「皮肉なんかじゃありません。あなたが疑われるのも、高崎のような卑劣な男と堂々と戦おうとしたからです。尊敬しています。もちろん、あなたが犯人だとは思っていませんしね」

「ありがとう」

 と、それまでうつむいていた柴田が不意に顔を上げた。

「私も中森さんを手伝ってきましょう」

 柴田は、室井の返事も待たずに立ち上がった。

 室井は、同意も、止めもしなかった。困惑気味に柴田を見つめるばかりで、急速に自信を失ったかのように見える。

 柴田は天野京子に言った。

「君も来たまえ」

 口調は穏やかだったが、それはまぎれもなく命令だった。言われた天野も、当然のことのように立ち上がる。

 室井は二人が部屋を出るのを黙って見守るだけだった。

 室井の権威はスタッフから軽んじられている上に、スフィアには〝もう一人の権力者〟がいたのだ。

 鳩村がつぶやいた。

「全く、わがままな人たち」

 二階堂が室井の顔を見ながら言った。

「アンタッチャブル……ですもんね」

 大西が首をひねりながら仁科を見た。

「柴田さんたち……嫌われているんですか?」

 仁科は溜め息をもらしてから説明した。

「好き嫌いの問題ではない」

「では、なぜ?」

「彼らの研究の性質のせい……かな。ここでは特に、土壌内や水中に棲む微生物の研究に力を入れている。一見無力に見える微生物の活動が、物質の循環に予想以上の役割を果たしていることが解明されてきたからだ。人間が宇宙に出た時、その能力は価値を増す。たとえば紫外線に高い耐性を示す微細藻類は、酸素の生産源として有用だろう。しかし微生物は人体に有害なガスや病原体を拡散する可能性が高く、閉鎖空間内で制御することが極めて難しい。そこでナカトミは、微生物の専門家を集めてチームを組んだ。バイオテクノロジー技術を応用して有害微生物の性質を変え、人類の味方につけようという発想だ。死んだ高崎君、そして天野君、石垣君の三人を、柴田君が率いていた。鳥居君も基本的には柴田君の指揮下にある。ところが彼らはコアの中の研究室にこもっていることが多くてね。温室を活動の場とする他のメンバーと生活のサイクルが合わない。それで、自然に室井さんの指揮から外れるようになってしまったんだ」

「それぐらいのことで〝アンタッチャブル〟と?」

「微生物班のスタッフは研究の内容を口にしたがらないんでね。ま、誰だって学問上の手柄は盗まれたくない。その上、スタッフはさまざまな研究機関から引き抜かれてきた寄せ集めだから、実験が終わってばらばらになった後が心配なんだ。元からのナカトミの社員は、私と室井夫妻の三人だけだからね。特に柴田君は口が重い。君も取材にはてこずるかもしれんな。まだ取材を続ける気なら、だがね」

 大西は豪胆な笑みを浮かべた。

「もちろん続けますよ。こんなに特殊な環境での殺人に遭遇するなんて、滅多にない幸運ですから。これで興奮しないなら、記者なんてやってません」

 しかし、室井は大西にきつく命じた。

「許せんな。少なくとも、警察の捜査が終わってナカトミの上層部が了解するまでは、この件は一切記事にはできない」

「そんな……」

 室井は議論を拒否するように断じた。

「とにかく、ここを出なければ話にならん」

 芦沢が言った。

「さっきからずっと考えていたんですけれど、犯人はどうして高崎の死体を焼いたりしたんでしょう? 仁科さん、正確な死因は何だったんですか?」

 仁科は、質問に答えられる程度に落ち着きを取り戻していた。

「後頭部に頭蓋骨骨折。それが決定的な死因だろう。焼死したわけではない」

 仁科の視線は峰に向かっている。

 芦沢も、仁科につられるように峰を見ながら言った。

「外れた支柱で強く打ったのではありませんか?」

「私は検死の専門家ではないから正確なことは言えない。しかし、位置関係から見て、考えにくいね」

 峰は仁科を見返してきっぱりと言った。

「私は殺していません」

 大西がすかさずうなずいた。

「僕も、峰さんが『殺してやりたい』と言ったのは聞きました。しかし、あの時すでに彼は殺されていたんでしょう? 峰さんが彼を殺したのだったら、そんな暴言を吐けるはずはありません。『自分がやりました』と白状するようなものじゃありませんか。それに、火が出た時は室井さんと一緒にいたんですよね?」

 峰は意外そうに大西を見つめた。

「私をかばってくれるの? それに、なかなか理論的じゃない。あなた、ただのマッチョじゃなさそうね」

 大西は肩をすくめて微笑んだ。

「理屈に合わないことだからですよ」

 峰は心からの微笑みを返した。

 芦沢が、大西の意見に対するわずかな不満をにじませながら続けた。

「まあ、犯人が捜査の裏をかくために、わざと疑われるような行動を取ることも考えられますがね……。でも今度の場合は、私も峰さんは無関係だと信じています。犯人は高崎を殴り殺してから右腕をもぎ取って、しかもアルコールをまいて火を放ったわけでしょう? ずいぶん複雑な殺し方ですよね。動機が発作的な争いだったなら、まるで筋が通らない」

 室井が叫ぶように言った。

「止めたまえ! 無意味な憶測だ!」

 異を唱えたのは、室井の妻だった。

「あなた、芦沢さんの言う通りよ。身近に殺人犯がいるなんて耐えられないし、危険も高いわ。センターが頼れないなら、私たちで解決の道を探るべきよ」

 室井は妻の目を見つめた。妻はじっと夫を見返している。

 室井はあきらめたようにうなずき、芦沢に向かって言った。

「魔女裁判の話ではないが、くれぐれも憶測に頼って個人を中傷しないように、気をつけてくれたまえ」

 芦沢は満足そうに微笑んだ。

「努力はしてみましょう。では、ボスのお許しが出たところで、まず第一の疑問――。高崎はなぜ殺されたのか? 犯人の動機に思い当たる節はありませんか?」

 峰が言った。

「あの高崎よ、みんな嫌っていたんでしょう? 傲慢で自己中心的、自分が天才だと思い込んでいる変人――仕事の腕は知らないけれど、好きになれるはずがない。しかも女の口説き方は最低。私に言い寄った文句は一語一句まで三流雑誌のマニュアル通り。それを暗誦し終わったら、今度は銀行口座の残高を自慢し出す始末よ。何でも『ニューヨークのマフィアの手先になって大儲けした』そうだわ。完璧な誇大妄想狂ね。そして、最後には暴力を振るう」

 鳩村と二階堂が目を合わせる。

 二階堂が言った。

「私、あの事件の後もしょっちゅう言い寄られていたわ。峰さんが言うとおり」

 鳩村が付け加える。

「当然、私がいないところで、ね」

 大西は言った。

「高崎さんはそこまで嫌われ者だったのか……。だからみんな、こんなに冷静に彼の死を話し合っていられるんですね」

 峰が言った。

「もちろん、人が殺されたことは恐ろしい。でも、死んだのが高崎だって事には心が動かない」

 大西は仁科を見た。

「男性からも嫌われていたんでしょうか?」

 仁科は躊躇なくうなずいた。

「何度か心理分析をやったことがある。もめ事ばかり起こすものでね。峰君の分析は大雑把にすぎるが、要点は突いている。仕事でなければつき合いたくない男だった」

「もめ事……?」

「女性関係はもちろんだが、特に石垣君と犬猿の仲でね。同じ研究に携わっていながら、常に衝突していた。といっても突っかかるのはいつも高崎で、石垣君の方は低俗ないたずらにもじっと耐えていた。石垣君が医務室に飛び込んでくるたびに私は彼をなだめ、高崎のカウンセリングを行なっていたんだ。毎週の恒例行事だといってもいい。それでも高崎は変わらない。うんざりだったよ」

 二階堂が鳩村に言った。

「私はあれが原因だと思うな。ほら、天野さんと中森君の……」

 室井が言った。

「個人攻撃はいかん」

 二階堂はわずかに口を尖らせた。

「でも、嫉妬は殺人の動機になるわ。〝あの事〟はみんな知っているんだし」

 大西は仁科に向かって身を乗り出した。

「何があったんです?」

 仁科は言った。

「一ヵ月ほど前のことだ。それまで中森君とつき合っていた天野君が、高崎君とも関係を持ってね。中森君と高崎君が殴り合う寸前までいがみ合ったことがある」

 大西は茫然とつぶやいた。

「関係って……ここじゃあ、そういうことが許されているんですか?」

 仁科は軽く吹き出した。

「当然だろう? 中学校の寄宿舎じゃあるまいし。科学者といえども生身の人間だ。互いの合意があるなら、セックスも必要だろう。避妊用のピルやコンドームも用意されている。ここでは娯楽は少なく、スタッフの多くは若くて独身だ。それに、実はこれも重要な実験テーマの一つでね。性の問題は海底や宇宙の長期滞在でも必ず生じる。どうすればセックスという極めて人間的な問題を安定的に処理できるか、閉鎖システムの要員にはどのような人格の者が望ましいか――MSPではそれを検討する基礎データも集めているわけだ」

「研究者自身がモルモットに……?」

「この種の調査を行なうことは契約書に明記されている。しかし、記事にはしないでくれたまえよ。心理学的な研究を乱交パーティーと一緒にされてはかなわん。そのためにマイクロスフィアは、原則的に非公開にされているんだから」

「それにしても驚いたな……」

 そして大西は、女たちに視線を移した。

 二階堂と鳩村は露骨に嫌悪感を現した。

 二階堂は言った。

「だから困るのよね、外の人は。何も知らないくせに興味本位の勘繰りばかりで……。特に、軽いマスコミの連中は、ね」

 うなずいた鳩村は、立ち上がって室井に言った。

「私、中森さんを手伝ってきます」

 二階堂も後に続いた。

 戸口で振り返った二階堂は言った。

「芦沢さん、私を魔女にはしないでね」

 ドアが閉まると、席を立とうとしなかった峰に大西の視線が止まった。

「また嫌われてしまったみたいです」

 峰は全く動揺を見せずに、挑むように微笑んでいた。

「私は勘繰られても平気。セックスは嫌いじゃないけれど、相手は選びますから。あの人たちと違って、レズビアンの趣味もないしね」

「本当かな……」

 仁科が釘を差した。

「性に関しての約束事は一つ。相手の言葉を信じるということだ。むろん、信じたふりをするだけでもかまわないがね。それを忘れると、君のように嫌わる。もっとも、分かってはいてもなかなか守れないことだ。その点では、ここも外の世界と変わりはない。異性への独占欲や嫉妬が殺人の動機になることも充分に考えられる」

 芦沢が首を横に振りながら言った。

「嫉妬が動機だなんてありえません。なぜ腕を切断し、別の腕を持ってきたのか――説明できないじゃありませんか。これだけ手間をかけた以上、必ず理由があるはずです」

 仁科もうなずいた。

「確かに。腕は金属棒か何かで何度も叩きつぶして切断したらしい。訳もなくそんなことをするはずはない」

 大西がつぶやいた。

「『犯人は高崎さんの右腕が欲しくて殺人を犯した』と……?」

 芦沢がうなずいた。

「それが一番合理的な結論でしょう。あるいは、死体の右腕を見られたくなかったのか……」

 室井が首をかしげる。

「腕を見られたくない? どういう理由があればそんな状況が生まれるのだ?」

 芦沢は肩をすくめた。

「知るもんですか。ただ、何らかの理由で右腕を切断する必要があったなら、死体を焼いた目的も説明できます。すなわち証拠の湮滅。全身を焼いてしまえば、他から持ってきた腕が高崎の身体の一部ではないことを一時的に隠せます。私は、死体に左腕が添えられていたのは犯人の重大なミスだったような気がするんです。犯人は、あくまで切り取る腕の代わりを持ってきたつもりだったのではないでしょうか」

 仁科がわずかに考えてからつぶやいた。

「犯人は、高崎君の腕を――あるいは、腕に付属する何物かを欲しがっていた。しかし殺して切り取ろうとした時に、それが実は右腕にあったことを発見した。偽装に用意してきた腕は、左。それを隠すために、仕方なく発電用のアルコールで死体を焼いて原型を失わせ、左腕が二本であることを悟られないように祈っていた……と、こういうことかね?」

 芦沢はうなずいた。

「そう解釈するしか、この不自然な状況は説明できません」

 大西が口を開いた。

「しかし、根本的な問題は残りますよ。犯人はどこから左腕を持ってきたのか。僕はもちろん持ってきていません。それに、なぜ右腕が必要なのか。大体、切り取った右腕はどこにやったんです?」

 じっと男たちの会話を聞いていた峰が、不意に言った。

「それを探すことね。犯人の目的が右腕だったなら、どこかに隠してあるはずでしょう? 腕が見つかれば犯人も分かるかも」

 室井の妻が言った。

「それに犯人は、高崎君を殺した後、どこへ逃げるつもりだったの?。ここは完全に密封されているのよ。なのに、人殺しだなんて……」

 芦沢が言った。

「その答えは簡単です。犯人は、マイクロスフィアから逃げ出すために高崎を殺したんです。もし腕が左右揃っていたなら、死体を燃やす必要などなかったし、こんな詮索もされずにすんだでしょう。腕が切断されていたことだって〝事故〟と解釈されていたはずです。それでも変死体が生じれば司法解剖が必要です。当然、エアロックは開かなくてはなりません。外部から捜査員が入れば閉鎖空間の意味がなくなり、研究は白紙に戻さざるをえません。スタッフがスフィアに止まる理由もなくなるわけです。外に出られさえすれば、逃亡は可能でしょう? 解剖の結果が出れば殺人だと断定されるかもしれませんが、それまでは時間の余裕がありますから」

 大西がうなずく。

「殺人はすなわち、逃亡の布石にもなるわけだ」

「ところがそこに、センターとの連絡が途絶えるというアクシデントが重なってしまった……」

 室井の妻がつぶやいた。

「つまり犯人は、左腕を二本にしたことで自分の首を絞めたわけ? なんだってそんな愚かしい失敗を犯したのかしら」

 大西が言った。

「確かに、準備が大がかりな割に馬鹿馬鹿しいミスですよね……。何だか、やってることがちぐはぐな感じが……うん、そうか! もしかしたら、犯人が手に入れられる偽装用の腕は左腕しかなかったんじゃないんですか?」

 室井がうんざりしたように言った。

「どうも話が飛躍しすぎる。これ以上考えても、推測の上に推測を重ねることにしかならん。仕方ない、まず我々は〝消えた右腕〟を探そう」

 芦沢が言った。

「探すのは最低三人を一組にしましょう。探すふりをして、肝心な証拠品をどこかに始末されてはたまりません。犯人が他の人間を襲うことも考えられますしね」

 室井が哀しげにうなずいた時、不意にスタッフの腰にセットされた無線機が一斉に呼び出し音を鳴らし、すかさず女性の〝声〟を発した。

『大気異常です。コンピュータ画面で確認してください』

 全員がはっと身を起こした。

 芦沢が言った。

「警報だ!」

 室井がつぶやく。

「今度は何だ……⁉」

 峰が席を立って、コンピュータに向かう。中森は電源を入れたままにしていた。

 それまで何も表示されていなかった画面が真っ赤に変わり、大きな文字が点滅していた。

『温室内の大気に異常発生』

 端末に駆け寄った峰は、素早くマウスを操作して情報を画面に出した。

「なによ、これ⁉ 炭酸ガスが急激に増えている!」

 全員が立って峰の背後に集まった。

 室井が言った。

「原因は⁉」

「消火剤……かしら。でも、たったあれだけの量で温室全体の大気がこれほど変化するなんて……」

 芦沢が画面の前に身を乗り出す。

「炭酸ガスが五パーセントを超えただと⁉ 原因は消火器だけじゃない! まさか……森林バイオームの機能が崩壊したのか……?」

 峰はその間も、慣れない手つきでマウスを操作し続けていた。

「炭酸ガスは今も増えているわ。これじゃあ光合成で回復できるキャパシティーをたちまち超えてしまう……」

 モニターに表示が現われた。

『現状が改善されない場合、大気組成が人体に危険になるまでの予測時間は、二時間から四時間です』

 峰が言った。

「早く原因を見つけなくちゃ。放っておいたら、みんな窒息しちゃうわよ!」

 その瞬間、照明が消えた。

 峰が悲鳴を上げた。

「電源が!」

 室井が叫ぶ。

「落ち着け! すぐバックアップが作動する!」

 言い終わるまもなく、照明は元に戻った。

 しかしコンピュータのディスプレイには、別の文字が現われていた。

『当システムの電力の残り時間は約七時間。燃料電池発電システムの稼働をおすすめします。残り時間が十二時間に延長されます』

 さらにすぐ下にこう記されている。

『当回線での管理センターへの通信は不能。至急、管理センターに連絡を取られたし』

 峰が苛立たしげに言った。

「言われなくたって分かっているわよ!」

 芦沢がうなずく。

「早く燃料電池を動かそう……」

 仁科がつぶやいた。

「だが、どうして電力が切れた? 今まで無事だったのに。まさか、中森たちが間違ってケーブルを切ったのか? それとも、センターに何かが起こったのか……?」

 大西が言った。

「もしもセンターが異常を起こしていたら、スフィアはどうなるんですか?」

 室井が答えた。

「本来なら、外部からの支援を絶たれても独自に生きていける設計になっているが……」

 芦沢が首を横に振った。

「お言葉を返すようですが、それは『机上の理論が完全に実現できた場合』の話です。現時点でのスフィアのシステムは、自給自足と呼べるほど洗練されていません。地球の生態系のような自己補修能力はほんの一部分で、しかも時間がかかります。これほど大きな大気の変調を正常に戻すには、相当な化学物質とエネルギーを投入する必要があります。天候も最悪ですしね。燃料電池だけで充分な電力が得られるかどうかも分かりません。センターからの電力供給が絶たれたら、大気組成は回復できないかもしれない……」

 大西はごくりと唾を呑み込んだ。

「と、いうことは……?」

 峰がモニターを指差す。

「十二時間……。これがスフィア存続のタイムリミット。それを過ぎても電力が来ないなら、温室の生態系は急激に崩れ始める。もしもエアロックが開かなければ……。このガラスの檻から出られない限り、私たちも運命を共にするしかないのよ……」

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