第30話 時が解決する

 ナオキは怒りに歯を食いしばっていた。


「アサキ……! お前、そんな簡単に謝ったからって、許してもらえると思うなよ! お前は初めから僕の時を、狂わせた張本人なんだからな!」


 ナオキの取り乱し具合に、今度はアサキが冷静な様子でナオキを見返した。


「お前と一緒になってから、僕はロクなことがなかった! お前は元から成績がよかったけど、僕はそうじゃなかった。一回だけ、たまたま、お前にテストで勝っただけ。それで親に期待をかけられたんだよ! お前の家系、高校の理事長がいるって、ちょっとした有名な家系だから。あそこの息子に引けを取らないんだって、僕はめちゃめちゃプレッシャーをかけられてしまったんだよ!」


 だから好きでもない勉強に励んで。いつも優秀な成績を修めて。でもお前にそんな事情を知られてしまったら、お前に嫌われてしまうと思って言えなくて。


 そうしたら唯一お前に負けてしまう出来事が起きた、恋愛だ。そこからはお前に憎しみしか抱けなくなった。

 お前に負けないように頑張っているのに。

 そしてお前に負ける自分も許せなかった。


「僕は……勉強なんかそこそこでよかったんだ。本当はもっとたくさん、いろんなことができたんじゃないかと思うんだ。でも勉強だけに費やした時間はもう戻ってこない。過去は戻せないんだよ……くそぉ……」


 ナオキは力をなくし、地面に膝をつく。

 そんな彼に合わせてタクもアサキも繋がったままの手をそのままにしゃがみ、ナオキを見ていた。


「ナオキ、すまない。そんな事情があったなんて知らなかった……お前のことを何も理解していなくて、本当に悪かった。でもお前は、まだやり直せるだろう?」


 アサキの言葉に、タクもうなずく。


「そうだな、ナオキの時は止まっていた……身体はあの時のままだ。心だけは変わってしまっただろうけど、俺は今の教員として頑張っているナオキもカッコいいと思う。憧れちゃうな、ナオキみたいな先生がいたら」


 タクは自分のことのように照れ笑いを浮かべた。大切な人の活躍を、静かに、固唾を飲んで。いつも見ていたのだとわかる。気づいてもらえなくても、タクはナオキを見ていたのだ。


「それにね、過ぎた時は戻せないけどさ。やり直すことはできるでしょ? ナオキだって、まだまだこれからやりたいことも見つけられる……だって、時が動いているんだから」


「タク……お前はお調子者だな……変わらない。でもお前に言われると嫌じゃなくなるんだよな……僕はお前に甘いな」


「ナオキは俺が大好きだからな〜、ははっ――大丈夫だ、ナオキ。きっと大丈夫だから」


 言い切ると、タクはスッと立ち上がる。

 そして両腕を開いて深呼吸をすると夜空を見上げながら、はぁ〜っと息をついた。


「ごめん、ナオキ、アサキ……二人を試すようなことをして。でもよかった、二人はもう大丈夫なんだな。二人の時はしっかりと動いている。二人の生きる気持ちを感じられた」


 タクは嬉しそうに、安心したようにハハッと声を上げた。やっと笑えたような、そんな感じだ。

 そんなタクを見て、ナオキは戸惑ったように口を開いた。


「な、何を言ってる、タク……嫌だ、また僕を置いていくつもりか?」


 タクが何をしようとしているのかを察したのだろう。ナオキはタクの服をつかもうと手を伸ばし、指に力を入れたが――それはスルリと空気をつかんだ。


 気づけば、タクの身体が半透明になっていた。幻でも見ているかのように。

 タクは自分の手を見て指先を動かす。

 そしてかすかなさびしさを見せてほほえむ。


「これで残ったのは俺だけだな。だから俺も行くよ。タツミはもうあっちで待ってはいないと思うから、どこかで会えるように早く追いかけなきゃ……。


ワタル、過去から続く悲しみを終わらせてくれてありがとう……これからもその素直な性格でいるといい。みんな、そんなワタルが大好きなんだから。


ケイちゃん、色々ごめん。タツミのことも助けてくれてありがとう。ワタルを頼むな。きっと近いうちに心から笑える日がくるから。


アサキ、ナオキ……俺は二人が大好きだ。ありがとうな……」


 タクの身体が薄れていく。半透明から本当の透明に。ほのかに光り輝いて、光が粒になって、空中に霧散して。


 ワタルは心が温かくなるのを感じた。タクが消えていく、悲しいはずなのに。

 でも身体の奥底に眠る魂のようなものが、よかったと喜びに震えているのだ。


 ……タツミ、なんだろうか。自分の中にはタツミがいるのだろうか。

 なら、俺は幸せにならなきゃいけない。過去、何もできなかったタツミのためにも。

 たくさんいろんな出来事を経験して、渋々勉強をして、恋をして。

 充実した時を歩まなければ。


「タク……嫌だよ……」


 頭を垂れたまま、地面に膝をついていたナオキが呟く。やっと会えたのにいなくなってしまった……普段の穏やかな様子からは信じ難い、愛しい人を求めているその様子は。

 とてもタクを愛していたのだ、と思う。


 そんなナオキを、アサキは静かに見ている。本当のアサキになったせいか、以前より生気にあふれている気がする。世界を隔てているような冷徹な感じではなく、芯の強い人物であるような。


「タク、ありがとう」


 ワタルは空に昇る光に呟く。みんなを守ってくれて、再び前に進ませてくれて。

 俺は……隣に立っている、王子様のような、このカッコいい親友と一緒にいるよ。

 ……決めたんだ。


 ワタルはそんなことを決意しながら隣に立つ ケイを見上げる。するとケイもこちらを見た。

 いつもの見慣れた無表情。けれどその中には友達を遠くに見送った後のさびしげな影がある。


「さびしいよな、ケイちゃん……」


 ケイは銀色の瞳を瞬かせて「あぁ」と言った。そして「でも」と言葉短く言うとワタルの手を握った。


「ワタルがいる」


 ワタルの心臓は大きく跳ねた。

 急にきた手の温かさ、銀髪を月明かりで受ける幻想的な人物の紡ぐその言葉。

 見惚れていると、自分も夜空に溶けてしまいそうな、全身が安らぐ感じがした。


「こら、二人の世界に入るんじゃないの」


 呆けているワタルの額に冷たい大きな手が遮るように置かれた。

 何かと思ったらシドウの手だった。


「そうだよ! ワタル、僕達まだいるんだからねっ! お化けとイチャイチャするなら、いなくなってからにしてくれる? あーあ、不愉快だから、やっぱり祟ろうかなぁ」 


 コウタの物言いにシドウも「俺も賛成〜」と言って、場はふざけた感じになってしまった。

 ワタルは笑った。やめろよ、と言いながら思い切り笑った。

 涙が出そうになるのをなんとかごまかした。


 しばらく、そんな感じでガヤガヤとしていると、側でそれを見ていたナオキ――小田野が“いつもの調子”に戻って言った。


「……ほらほら、もう夜なんだから。あまり騒ぐなよ。今夜は色々あったが、明日も学校なんだからな……ワタル、お前のことは家まで送ってやる。親御さんに説明しないと騒がれるだろ?」


 穏やかにそう語るのは担任そのもの、だ。無理に笑っているのか、口調には活気がないが。

 それもきっと時が解決するのかもしれない。

 そして――。


「……理事長、それでいいですか」


 小田野は問いながら理事長を見る。その視線がわずかに細められ、胸元に持っていかれた手は二本の指を落ち着きなくこすり合わせられる。まだアサキ――理事長に対して心を開いていない、そう伺えるのだが。


「はい、小田野先生がそうして下さると助かります」


 さすが大人というべきか。先程までの出来事がなかったかのように振る舞っている。

 けれど心の中では友人のこと、恋人のことを想っているのだろう。

 それも時が解決する、大丈夫、きっと。


「わかりました。じゃあ、小田野先生……俺は友人二人を見送ってくるので先に玄関に行っています。先生、少し後から来てくれますか」


 ワタルが言うと、小田野はうなずいた。

 ワタルは目を閉じ、心がくじけないよう――周囲にバレないようにしながら、ふぅっと息をついた。

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