第28話 バイバイ
――とはケイちゃんに言ったものの。
ワタルは暗闇の中を変わらずに漂いながらどうしたものかと考えていた。
悠長にはしていられない、けれどこの暗闇の主を説得しなければならない。
「アサキ、聞いただろ? タクはお前のオリジナルに危害を加えようとしているぞ。死んじゃうとまずいんじゃないか? あと小田野先生も」
「……人をクローンみたいに言うなよ」
何も返してこないかと思いきや、意外にも少し呆れているようなアサキの返事があった。
『アサキは見た目や態度が怖くても、本当の悪い奴じゃないから大丈夫だよ』
タクが言っていた通りかもしれない。アサキも実は色々気にかけているのかも。
「……ワタル、お前、この状況に慣れてないか?」
「あぁ、なんか慣れた……というか怖くなくなった」
先程、アサキに捕まった時はどうしようかと思ったが。みんなの様子を見ているうちに強くならなきゃという気持ちを抱き、自分にはみんながついているんだと思ったら恐怖心はなくなった。
アサキは不満そうな調子で「なんでだよ」と言う。
「タクがこっそり教えてくれたんだよ、お前は頼りにすれば助けてくれる奴だから、困ったら頼ればいい。怖がる必要はないって」
ワタルがそう言うと、アサキは黙ってしまった。何も見えないが赤い瞳を戸惑うようにあちこちに動かしているのではないかと思う。
「アサキ、タクを止めてやらないと。タクはお前に止めてほしいんだよ。最後にお前を頼っているんだよ」
過去に頼れなかったから、この最後の最後でさ。
ワタルがそう訴えると、数秒の間を置いてから「ホント、面倒くせぇ奴」と愚痴が上がった。
「……そんなこと言ったって助けるんだろ?」
アサキがふてくされたように言うので、ワタルも意地悪く言ってみた。素直でないのはどちらも同じということだ。
暗闇の中、沈黙が続く。
アサキは何を考えているんだろう、と思って静かに呼吸を続けていたら。
アサキが突然「一つ、昔話をする」と言ってきた。
「タクは、あいつはまだ大丈夫だから、ワタル、寝ながらでも聞いてくれよ」
ワタルは目を閉じ「いいよ」と答えた。
「あいつ――ナオキのことだ。あいつとは小学校からずっと一緒に過ごしてきてな。毎日のように一緒に遊んだんだぜ。お互いの家も行き来してメシも一緒に食べたり、家に泊まったり……信じらんねぇだろうけど」
……ナオキ、小田野先生。優等生なナオキと不良なアサキ。結構良い組み合わせかもしれない。
「でもいつからか、あいつは何かにつけて俺と張り合うようになった。テスト、運動、学級活動……あいつはオレと同じものを選び、なんでもオレより優位に立つことを望んだ。それがひどくなってあいつがオレを敵視するようになったのは中学二年の頃かな」
ワタルは頭の中でその様子を思い浮かべる。いつものほほんとした小田野が張り合ってきたりとか、アサキに言い返していたりって言うのがあまり想像つかないのだ。
でもアサキにだからこそ言える、素直な自分であるのかもしれない。
「そんなこんなでその頃からはまともに遊ぶこともなくなった……んで高校に上がったわけだ。高校まであいつが同じ学校に来るとは思わなかった。オレは伯父がいたから強制的にこの学校に入れられたんだけどな」
「前の理事長か」
甥かわいさに、タクを脅迫した人物。話だけではいけ好かない。
そう思っているとアサキも「世間体ばっか気にする嫌なヤツだった」と吐き捨てるように言った。
「高校になってからは、お前も知っている通りだな……以上、終わり」
話を終えようとするアサキに、ワタルは「待って」と一つ質問を投げかける。
中学で、ナオキともめるようになったきっかけはなかったのか、と。
アサキは少しの間、うなってから答えた。
「……中学の頃、あいつの好きなヤツにオレも興味があって告白したら、オッケーもらって付き合った。でも面白くなくてすぐ別れたけどな。それぐらいかも」
アサキの返答にワタルは気が抜けそうになってしまった。
それぐらいって……それはひどいな、と思った。それを高校に入ってからもやられたんだから、ナオキも恨むだろう。アサキも悪気があったわけではないのだろうけど。
「それさ、ナオキにあやまんなよ……それまでは仲良かったんだろ、気持ちはわからなくもないけど、好きな奴を取るのはひどい」
「だって興味あれば仕方ないだろ」
まぁそうだけど、と。ワタルはため息をつく。恋愛禁止……もしかしてそんな現象を生み出してしまったのはナオキも関わっているのではないか。
タクの懐中時計を奪ったのはナオキだ。それに恨みを込めてしまった――一方のタツミの懐中時計はタクが持ち、守りたいがために時を止めた。
対の懐中時計に不可思議な力が宿り、柱時計を介して人に影響を与えた……なんて。そんな考えは非現実的かもしれないが、誰も解明はできないだろう。
ただ、人の想いとそれぞれの時が交錯してしまったんだ。
「アサキってさ、実はナオキのこと、大事なんじゃない?」
アサキは「はっ?」と声を上げた。
「だってアサキはタクのことは恨みを言っても、ナオキのことは言ってないから。本当は嫌なことをして悪かったなとか思ってんじゃないの?」
「何言ってんだ……オレは――」
そんなことはありえない。多分アサキはそう言おうとしたのかもしれない。
だがその言葉は飲み込まれ、アサキは押し黙る。
それが彼の答えである、気がする。
「今さら、許してくれねぇだろ」
「わからないじゃん」
「無理だろ……だってあいつは、見た目はあの時のまま……オレは、オレの本当の身体は時が進んで……」
「関係ない、そんなの関係ない。関係あるのはその人の気持ちだけだ」
ワタルが言い切ると、アサキは根負けしたように、かすかな笑いをもらした。
彼はあきらめたように「わかったよ」と言った。
「お前は素直すぎんだよ、全く――だから、ワタルのことが好きなのに」
好き。
その言葉に照れ臭さを感じ、ワタルは何も言えなかった。
「ワタル、一つ聞きたい……お前は結局、誰を好きなんだ?」
今度はワタルが黙ってしまう。
「……もし、オレが元の姿に戻るとか。もしくは他のヤツら……あの死んでる二人のどちらかを生き返してやるとか言ったら。お前は誰を選ぶ? 時を歩みたいと望む?」
それは……と。ワタルは暗闇を見つめる。
ケイちゃんもシドウもコウタもアサキも、みんな大事だ、かけがえのない、守りたいと思う存在だ。
「そんなの、わからない」
「そう言うと思った」
アサキはからかっていたのか、ワタルの答えにククッと笑うと「まぁ、そのうちにわかるさ」と言った。
タクもこんな気持ちだったのかな。
タクもみんなが大事だったから。
「さて、そろそろ行くか」
重い腰を上げたようにアサキは言うと「ワタル、目を閉じてて」と続けた。
ワタルは目を閉じる――すると温かい何かに身体が包まれたようになる。誰かが抱きしめてくれているような。
「ワタル、バイバイ」
また会えるような軽い別れの言葉。でもそれは『彼には』もう会えないことを意味する。
アサキ……戻るんだな、元に。
お前は戻ったら、理事長はどんな状況になるんだろう。今のアサキみたいな不良っぽい印象、それとも理事長みたいな冷徹な印象。
どちらにしても、アサキはアサキだ。
けれど『今いたアサキ』の記憶も残っていると嬉しい。短い間だったけど共にいた記憶を残していてくれたら。
身体がフワリと浮かんだ気がした。
流れた風が髪をなびかせた。
床に足がつく、少し湿った匂い――別棟の年代を感じる建物のこもった匂いが漂う。
ワタルが目を開けると、見慣れてはいないがきれいに机と椅子が後ろ側に片付けられた暗い室内が目に入った。ライトがなくても外からの月明かりでなんとかわかる。
しばらくぶりに見る気がする、暗闇ではない立体風景。ここは今さっき自分が消えた場所。
その証拠に、床にはバラバラになった懐中時計が部品を外した状態で置かれており、裏面のツルツルした部分は何も書かれていない――これはタツミが持っていた物。
持っていよう、と。ワタルはバラバラの懐中時計を回収し、ポケットに入れた。
タツミも、タクを守りたいだろうから。
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