第26話 真実

 タツミが生きるために多額の手術費用が必要になったタクだったが、学校でとある人物に呼び出されていた。

 それは学校の前理事長――アサキの伯父である人物だった。


 理事長は実の甥が学校に在席していること、その甥が優れた成績を収めて活躍することを期待していた。甥が楽しく学校生活を歩むことも。


『アサキは君に想いを寄せている。アサキのために、あいつを選んでやってはくれないか。そうすればあいつはもっと活躍ができる……代わりにこちらは、君の弟のために費用を用意しよう。断るのはオススメしない……君の大切な人間を退学にするのもわけないのだからね』


 理事長は甥を溺愛している。どうやって自分の家庭事情を調べたのかわからないが、そんな費用を出してまで、甥の想いを叶えさせようとするなんて。

 そして条件を飲ませるための脅迫まで……なんて身内だ。

 そんなことを思い、理事長に嫌悪感、アサキに対して罪悪感を抱きながらも。


『わかりました……』


 タクは選んでしまった。選ばなければタツミは死ぬだけだから。ナオキは退学になってしまうから。選ぶしかなかった。


 ナオキに別れを切り出し、理事長との件は秘密にして。タクはアサキの想いに応えた。

 これでタツミは生きられる。罪悪と後悔と嬉しさという、わけのわからない気持ちに吐き気を覚えながら、タクは病院の病室でタツミに「もう大丈夫」と報告した。


 しかしタツミは笑わなかった、患者用の白いパジャマ姿でベッドサイドから立ち上がり、拳を握って怒った。


『タクが何をしたか、理事長の使いだって人に聞いたよ。なんてことしてんだよっ、そんなやり方で、俺を助けてなんになるんだよっ!』


 予想外なことだ、タツミの元に直接届けられてしまった手術費用。それは壁際にある棚の上に白い封筒で置かれている。のどから手が出るくらい欲していたのに、とても憎い物に見えた。

 それと合わせて知られたくなかった真実も届けられてしまうなんて。


『タク、お前、それって、ナオキっていう人も、アサキっていう人も裏切ってるんだぞ。俺を助けるなんて、きれいごと言ってるけどな、みんなを傷つけてるんだ――う、くっ』


『タツミっ』


 タツミの身体が傾く、苦しそうに胸を押さえている。身体に負担をかけてはいけない身なのに怒鳴ってしまったからだ。


『でも! このままじゃタツミが死ぬだけだ! お前は生まれてからなんにもできていないのに、なんにもできないまま死ぬんだぞ!』


『そんなの、タクには関係ないだろ!』


『関係ある! だって俺達は兄弟だぞ。お前の幸せだって、俺はっ』


『――なら、俺は、最後に、俺の望みを叶えてやるよっ!』


 そう言うと、タツミは身体をふらつかせながら病室を飛び出して行った。

 急いで追いかけるが、廊下に飛び出したタツミの姿はすでに見当たらず。院内にいた関係者にたずねながら彼を探した。


 だが見つかったのは、病院で入浴をするために入る更衣室で。

そこで脱ぎ捨てられた白いパジャマだけ。

 病院からいなくなってしまった。

 あの身体でどこに行ってしまったのか。


 最後に、俺の望みを叶えてやる。

 タツミが放ったそれはゾッとする言葉でしかない。

 タツミが望んでいたのは学校で普通の生活を送りたいということ。学校に来て友達とバカをやり合い、イヤイヤ勉強して、恋愛をしての、ごく普通なこと……そこしかない。


 学校に向かったタクは無事を祈りながら、二年の教室に駆け込んだ。

 そこはすでに誰もいない、夕暮れの教室。生暖かい風が流れ、白いカーテンが揺れている。


 そんな時間の流れにいた時、それは誰かの悲鳴で破られる。外で生徒達が騒いでいる。


 誰かが屋上から飛び降りた!

 二年生だ! タクと、ケイだっ!

 血が出てるぞ!


『あぁ……』


 なんてことだ、こんなつもりじゃなかったのに。

 膝から崩れ落ちたタクは床の木目を爪でかいた。かいてかいて、血がにじんだが、痛みなど感じなくてかき続けた。


『俺は守りたかっただけなのに……』


 それは結局できず。弟を失ってしまった。

 みんなは双子のタツミを知らないから、飛び降りたのは自分だと思っている。タツミは誰にも存在を知られないまま、いなくなった。

 多分、ケイは自分だと思って弟を助けようとしてくれたのだろう。誤って共に落ちてしまって……。


『ケイちゃん、ケイちゃん……ごめん』


 関係ないのに巻き込んでしまって、取り返しがつかないことをした。大切な友人の一人なのに。失ってしまうなんて……。

 嘆くタクの元に、誰かの言葉が届く。


『ケイはまだ生きてるみたいだぞ!』


 よかった! タクは心の中で叫んだ。

 どうすればいいだろう、このまま外に出ても騒ぎになり、ケイに会うどころではない。


“……自分には、もう時間がないから”


 彼に会わなければ、彼まで死んでしまうかもしれない。

 彼を助けるにはどうしたらいいだろう。


 そうだ、時計!


 それは直感だった。時計で人を救えるはずはないのだが、この時の自分は時計があれば大丈夫と思っていたのだ。

 だが自分の身体のどこにも、いつも持ち歩いている懐中時計はない。こんな時にどこかに落としてしまったのか。


 病院だ!


 もう一つ、時計がある。それはタツミが生まれた時に渡された物だ。

 病院に向かい、タクは病室で懐中時計を取ると誰にも見つからないよう、待合室で人混みに紛れ、身を隠す。


 するとしばらくして院内が騒がしくなり、緊急用の通路から担架で誰かが運ばれてくるのがチラッと見えた。


『ケイちゃん……』


 ドキドキする。嫌なドキドキだ。

 懐中時計をまさかこんな形でプレゼントすることになるなんて。

 でも俺にはこうすることでしか、もう大切な人を守れないから。

 どうかケイを、守ってくれ。

 ケイを死なせないようにしてくれ。


 院内にいる医療関係者達の話に耳を傾け、タクはケイが運ばれた病室を知ると、人目を注意して忍び込んだ。


 そこにはうつろな瞳で天井を見つめながらベッドに横たわり、静かに呼吸をしているケイがいた。命は大丈夫だが、意識がハッキリとしていないらしい。

 一方のタツミは即死だった。まだ死んだのは自分だと思われているが、病室から消えた経緯もあるから、いずれはタツミだとバレるだろう。


 その前に自分も、消えないと。


 タクはケイの側に歩み寄る。

 ケイの横顔を見た後で、懐中時計のリューズを引き上げ、ほんの少しだけ回す――すると二つの針は動き、時が戻る。


 懐中時計が示しているのは四時三十分――先程、タツミが飛び降りた時間の、少し前。


『俺達は双子で兄弟だから。同じ時間がいいよな……な、タツミ……?』


 タクは心の中でタツミに語りかけると、懐中時計をケイの手に握らせ、


『――ケイちゃん、どうか、生きてくれ』


 ケイへの謝罪と願いを込め、その場を離れると病院の屋上へと向かう。

 階段を上がる足が一歩一歩、死に向かっていると思うと生きるのは大変なのに、終わらせるってあっさりなんだな、と客観的に思えた。


 屋上にたどりつく。風が流れる、タツミも感じた風だ。


 タツミ……もし、次に生まれるなら、ちゃんと学校に通って、毎日を楽しんで成長してほしい。みんなにモテモテでさ、うるさくて、煩わしいけど、それが良くてさ。

 あと……人間、素直が一番だ。苦しみも悲しみも、友達に素直に言えるような、さ。

 そうすれば苦しいことは半減するよ。友達が助けてくれるから。


 そして、俺は願うよ。


『――もし、もしまたやり直せるなら、次は、次こそは……っ!』


 みんなを助けられるように、なりたい。

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