第25話 動き出し、思い出す

 頭では考えながらも手は動いていたのか、気づけば部品の交換は完了し、自分の手には直った懐中時計が握られていた。

 反対に、床にはバラバラになった懐中時計が残っている、これは今まで自分が持っていた方。

 直したのはイニシャル入りのタクの懐中時計――それを持つケイの手は震えている。


「タク……」


 ケイは息を飲み、懐中時計の小さな丸い部分――リューズをつまみ、回した。カリカリと小さな振動。

 そして指を離し、耳をすませば。

 カチカチというリズムが暗い室内に響く。


 自分の呼吸音が聞こえる。吸って吐いて、吸って吐いて……心臓の動きも感じる。大きく動き、身体の隅々に血が通う……身体が温かい。


 温かい、こんなの、久しぶりに感じた。


「ケイちゃん」


 突然の呼び声にケイは肩を揺らした。声は背後から聞こえた。


「無事でよかった」


 子供の高い声。それでいて自分の無事を心底喜んでくれているような声。

 ケイは床に膝をついたまま振り向く。そうするとちょうどいい部分に相手の目線があった。


 小さな子供。赤茶色の髪色の小学校くらいの男子。自分にこんな知り合いはいない。

 でも誰がこの姿を形どっているのかはすぐにわかった。


「……タク、久しぶり」


 心はすごく嬉しいのに、口から出た言葉は淡々としてしまった。元の性格もあるが、長い間を一人で過ごしたせいか、喜びとかをどう表現したらいいのかが自分にはわからない。


 でも目の前のタクはそれがわかっているのか、子供らしくない微笑を浮かべた。


「ごめんな、ケイちゃん……ケイちゃんを守りたかったとはいえ、長くさびしい思いさせちゃって。ずっと側では見ていたけどケイちゃんには俺を見ることができなかったから」


 なぜ、タクが謝るのか。

 ケイはタクを見つめながら疑問に思う。自分にはまだ足りない記憶があるのか。

 タクは目を伏せた。


「俺は、みんなを助けたかった。でも結局なんにもならなかったんだ。アサキもナオキもケイも傷つけ……あいつも死んでしまった」


「あいつ?」


 あと一人、誰が?


「ケイちゃんは一度だけ、最初の最後だけ会ったと思う。アサキの誕生日の前日、学校から飛び降りた、あの日」


「誰のことだ? あの日、飛び降りたのは……」


 お前だった、その言葉は再び現実を意識してしまう苦しさから紡げない。

 タクは自分の小さな肩を、自分で抱きしめた。


「あの日、飛び降りたのは俺と他にもう一人……俺の――」


『いいよな、兄弟仲良く、元気に飛べるって』


 過去にタクが口にしていた呟きを思い出し――ケイは深く、自分の奥底に眠っていた記憶が浮かび上がるのを感じた。






 あの日。自分は『タク』に会っていた。

 放課後の四時二十二分。あの時の十分前。


「……タク? 何してるんだ?」


 用事があって教室を訪れたケイは、窓際で外を眺め、夕日を浴びるタクを見かけた。

 タクは一度家に帰った後なのか、ティーシャツにカジュアルパンツという出で立ちだった。


 ケイが呼びかけるとタクはゆっくりと振り向く。その表情は、声をかけたことに驚いたのか目を見開いていて、戸惑うように瞳を揺らしながら「あ……」とだけ、言葉をもらしていた。


「タク、忘れ物?」


「……うん、そんなとこ」


「見つかった?」


「大丈夫」


 珍しく言葉が少ないやり取り。疲れているのだろうか、顔色があまり良くない気がする。

 それに……いや制服以外が見慣れないせいかもしれない。シャツから出た腕が異常に細く、あまり運動をしていないような、か細さが気になった。タクは部活はやっていないが、こんなに細かっただろうか。

 でも顔はタクだ。


「……ケイちゃん?」


 タクは突然、自分の名前を呼んだ。それに対し「何?」と返すと、彼はほほ笑んだ。


「そっか、ケイちゃん……か……」


 意味深な言葉を聞き、ケイはタクを見つめる。どうしたんだろう、何かあったのか。最近はナオキとは疎遠になったが、アサキとの交際も始まり、落ち着いてきていたのに。


「なんでもない、ごめん、ケイちゃん……ありがとう」


 なぜか感謝の言葉を残し、タクは教室から去っていく。その姿を見送っていると、急に寒気がした。

 何か、よくないことが、起きる気がする。


 気になったケイはタクの後を追い、廊下に出たが、すでにタクの姿はなく。

 胸騒ぎを覚えながら廊下を早歩きし、タクを探した。隣の教室、廊下の端、階段、踊り場……いない、いない。


 ふとある場所が思い浮かぶ。自分とタクが日頃の愚痴を言い合ったり、悩みを相談したりする場所――屋上。


 ケイは階段を駆け上がり、踊り場を踏みしめ、また階段を上がる。夏は屋上のドアは換気のために開け放ってあるから、そのまま屋上へ飛び出すと、生温い風が汗を拭ってきた……不快だ。


 屋上ではとんでもない光景が目に飛び込んできた。

 よくないことが起きる……その予想は的中していたのだ。


「ま、待てっ!」


 そんなところに立ってはいけない、人が落ちないように空間を隔てているフェンスの向こう側。その端に立つなんて。

 そんなことをしたら、下に落ちてしまう。


 ケイは駆け出す。屋上のフェンスの向こう側に立つ人物に向かって。


 ダメだ。こっちに。


 彼はこちらを振り向くと、ニッと笑った。

 なぜか幸せそうだ、なぜ笑うんだ、なぜ。


「行くなーっ!」


 ケイがフェンスに手をかけた時、彼の身体が傾く。力をなくした身体は地に向かっていく。

 まだ間に合う、まだつかめるはず。

 ケイはフェンスを乗り越え、地に向かう彼に手を伸ばす。自分の足が屋上の端を蹴っていることなど、自分で気づかなかった。


 そう……自分はそうして、屋上から飛び降りたんだ。タクの後を追って、彼を助けようとして、飛び降りてしまった。


 その後、自分は病院に運ばれたのだ。

 気づけば病院のベッドで寝ていて、自分が生きているという感覚はあるのに何をすることもできなくて、ボーッと天井を見つめていた。


 周りにいた親や医者の話では脳に大きなダメージはない。ぶつけたことによる、一時的な意識の混濁だろう、と。

 この時はタクのことも何も考えられないでいた。ただただ、死んだような気分でわりと長い時間、天井を見ていた気がした。


 するとすぐ近くに人の気配を感じた。けれどそちらに視線を向けることはできず、その人物の声だけを無心で聞いていた。


「ケイちゃん、ごめん」


 ベッドに放り投げてある手を、誰かが握っている。ギュッと力を込めて握った後で、自分の手の中に硬く、冷たい金属的な何かを握らせてきた。


「ケイちゃん、これを……これは弟の持っていた物だ。今さっき学校の屋上から飛び降りてしまった俺の弟……ケイちゃん、助けてくれようとしたんだろ? 多分弟だなんて、ケイちゃんは気づかなかったんだろうけど……弟にはね、ケイちゃんっていう優しい友達がいるんだって、前から話していたんだ。


だから、ありがとうケイちゃん。

そしてごめん……。

ケイちゃん、どうか、生きてくれ」


 そんな言葉が紡がれた後、誰かの気配はなくなった。病室を出ていったのだとわかった。


 ケイは手を握りしめる。硬い物がある、チャリっと、チェーンみたいな音がする。


「タク……」


 この時、ケイはまだ意識を覚醒してはいない。本能的なもので体を起こし、手に握った物を見つめる。

 今いた誰かが握らせたのは、銀色の懐中時計。新品同様できれいな傷のない物。

 時刻は四時三十分を指している。


 行かなきゃ。

 なぜか自分の体はそれを望み、動き出す。しっかりと両足が動き、向かったのは病院の屋上だ。重たい体であるのに階段を何段も上り、息を乱しながら自分の体は目的地を目指す。


 屋上……また同じく生暖かい風が流れる。

 同じ光景、フェンスの向こうに、また誰かがいる。


「ケイちゃんっ、俺、みんなを助けたかった。こんなはずじゃなかった……もし、もしまたやり直せるなら、次は、次こそは……っ!」


 悲しそうな叫びだ。後悔に満ちた声だ。

 その声の主は身体をフェンスから離し、重力に身を委ねた。


 ケイは自然に、また駆け出して、フェンスを超えて、手を伸ばしていた。

 なぜまた、落ちるのだろう。

 なぜ『二人』は落ちたのだろう。

 自分はどうなるのだろう。


 落ち行くケイの手には懐中時計が握られている。懐中時計のリューズはどこかにひっかけてしまったせいか、折れてしまっていた。

 部品を失った懐中時計は針を四時三十二分の位置で止めていた。




 ケイは自分の目尻から涙が流れていることに気づき、そっと指で拭う。

 そうか、そうだったのか……二人いたのか。

 タク、彼の弟だったなんて。。


「あいつはね、タツミって言うんだ。本当なら会って紹介したかったんだけど……結局、誰にも紹介することはできなかった、俺の双子の弟なんだよ」


「双子だったのか……」


「あぁ、そしてあいつは……あいつだけは心臓に病気を抱えて生まれた、あいつはずっと病院通いばかりで学校も通えない、友達も病院の奴以外できない。できたとしても元気に退院するか、亡くなってしまう。だから学校に強く憧れていた」


 そんな奴なのに運命って残酷なんだ。弱い奴に容赦がないんだ、と。タクは眉間にしわを寄せた。


「タツミは……あいつの心臓は限界を迎えていたんだ。手術をしなければ、もう生きることはできない。そう言われていたけど手術費用なんて片親しかいない俺達には用意できないものだった。だから俺はある取引をした」


 怖そうに身体を震わせるタクの様子に、ケイは彼がとても後ろめたいことをしたんだということを察した。

 きっとそれがアサキにも言えない真実。


 それが全ての始まりになってしまった、とタクは言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る