第23話 ナオキとシドウ

 はぁ〜疲れたな、とシドウは呟く。

 別棟から本校舎への移動も面倒だが、いくらか身体が重くなってきているのだ。

 自分のような存在は、残っている力を回復することはできない。残された力をセーブして大切に使わなければならないのだが。


「だからダラダラとここまで来たのになぁ……もう少しぐらい、いさせてほしいよね」


 暗い廊下を歩き続けたシドウはフゥと息をつき、蛍光灯の明かりがもれているスライドドアへと足を向ける。

 そこは職員室だ。普段はまだ数人の教師がいて話し声も聞こえてくるのだが、今日は何も聞こえてこない……だが誰かがいる気配はする。


 シドウはドアの前に立つと一応礼儀として「失礼しまーす」と言ってからドアをスライドさせた。


「おぉ、びっくりしたぁ……あれ、シドウか。まだ帰っていなかったのか」


 職員室内は一部だけ蛍光灯が点いていて、その真下に目的の人物はデスクを前に座っていた。横に並んだ他の教師のデスクは荷物がなく、彼のデスク上だけ作業中らしいプリントが積まれている。


「あっれー、今日は小田野先生一人なんですか」


 シドウはわざとらしくそう言いながら、彼の前に歩み寄った。

 小田野はプリントを指差しながら、いつものように人当たりの良い笑みを浮かべている。


「あはは、この通り。僕、仕事がどうしても遅くてねー。大体残業しているんだよ」


「へぇー、教師って大変ですよねぇ、ホント。そこまで給料も高くはないでしょうに。やりきるのは気力もいりますよね」


 シドウがやるせない現実を指摘すると、小田野は苦笑いを浮かべる。

 教師が仕事量が多くて大変なんだよーということは、かつて教師をやっていた『静かな存在 達』が語っていたことがある。

 仕事ができるのは教職が好きで、生徒達を思っているからこそできるのだ、と。


「小田野先生って、そんなにこの学校が好きなんですか」


「え、あ、あぁ。好きだよ?」


 シドウは右耳のチェーンピアスをいじりながら、彼が口にした嘘に思わず笑いをもらした。

 全く大人ってすぐ嘘つくんだから、気配でわかっちゃうよ、そう思いながら。


「いいえ、違いますねぇ……小田野先生がずっとこの学校にいるのは、ある人がいたからですよね」


 シドウが包み隠さずに言った言葉に、小田野は笑みを残しながら目を丸くした。


「そういえば小田野先生って、見た目すごい若いですよねぇ。今まであんまり気にしなかったですけど、よく見ると肌ツヤもいいし。なんか俺達ぐらいにも見えますよね」


「あ、あは、ありがとう……でも特に何もしていないんだよ。僕ももう四十だしね」


 シドウは「へぇ」と短く返しながら、息を整えた。しゃべるのが少ししんどくなってきているのは、相手に隙を与えないためにもバラさないようにしなくては。


「四十代なんて、漆原理事長と一緒じゃないですか。もしかして同級生? あれですよね……自殺をしたタクって人も同級生でしたよね」


 シドウは見ていた。自分が漆原理事長の名前を口にした途端、彼の表情が曇り、胸元に移動した右手が、不穏な様子で親指と人差し指をこすり合わせ始めたのを。

 それは答えだ。


「もうね、わかっているんですよ、小田野先生。あなたが過去の事件と関わりがあること。あなたがタクの懐中時計を、あのたくさんの柱時計の一つに隠したということ……柱時計に触ったらわかりました、あなたの気配がしたから」


 それは、つまりは――と、シドウは続ける。


 あなたはタクが大切な人にあげようとしていた懐中時計を奪ったんだ。

 そして懐中時計の部品を壊して、時を止めるという不可思議な現象を起こしたんだ。


「あなたが犯人、ということですかね。小田野ナオキ先生。あなたが裏で糸を引いていたからケイもアサキという生徒も、ちょっとした情報操作で一年生として入り込むことができた。懐かしい顔ぶれを揃えて、同級生ごっこでもしたかったんですか」


 今頃はコウタが理事長から情報を得ているはずだ。だから自分も情報を得てみんなに伝えなくては。

 ちょっと、体がフラフラしてきてしまったけれど。

 シドウは何気ない動作で両足に力を入れ、体勢を直した。


「小田野先生は一体、何が目的なんですか。タクや理事長のために、何かをしようとでも?」


「――理事長なんか関係あるかっ」


 普段は穏やかな小田野が初めて口を荒げた。


「誰がいつ、どの瞬間にあいつのために動いてきたとでも? そう思うなら僕が聞きたいね……僕が前に、君達にヒントを出したのは理事長を困らせたかったからだよ? そんな僕が理事長のために動くわけがないだろ」


 化けの皮を剥がした小田野は椅子に深く座ると、忌々しげに息を吐きながら足を組んだ。


「それに君達は僕がタクを殺害したと思っているようだね? とんでもない……だって僕はタクの恋人だったんだから」


 その言葉には、さすがのシドウも目を見開く。

 なんだって、タクが小田野の恋人?

 だってタクはアサキとじゃ……。


 小田野は目の前に理事長がいるように、顔をしかめる。


「違う違う……始まりはあいつ、アサキが悪いんだ。アサキがいたから……あいつがタクを追い込んだんだよ。確かにタクの懐中時計を持ち去り、壊して、時を止めた……いや、壊したら結果的に時が止まったというべきか。だって僕は超能力者じゃない、そんな大それたことを狙ってできるわけがないだろ」


 ただ、ね――そこで言葉を止めた小田野は、自分の右手を見つめ、指先を動かした。


「学校内には、時刻を知るためにあちこちに柱時計が置かれている。僕が懐中時計を壊した後、自分の教室にふと戻ると……教室の柱時計は止まっていた。四時三十二分に、タクが飛び降りた瞬間の時間に、止まっていた。それからだ、僕の時も止まってしまったのは」


 小田野は楽しげに笑いながら顔を上げ、シドウを見上げた。


「柱時計が止まると、その身近にいた人物の時も止まるんだ。つまり校則違反――誰かが恋をしたと……知らせてくれる。連動してるんだよ、どういう因果か……いや呪いともいうのかな。だから時を止めた柱時計は回収され、しまわれ、関連した生徒は処分される。だってそんな由々しき事態、学校の汚点だものね……まぁ、そのことは僕と奴しか知らないし。僕が全てを知っているのを奴は知らない。僕のことなんか、あいつ忘れているんだもの。幼なじみなのにな、一応」


 小田野はふてくされるように呟いた後で、今度は声を柔らかくした。


「……でもね、タクが死んだのは辛いけど、時止まりは、僕は嬉しいんだ」


 なるほどね、とシドウは呆れたため息をついた。それなら自分の時を止めた柱時計にタクの懐中時計を隠し、鍵をかけたのも納得だ。

 自分の中に想い人の欠片を閉じ込めたい、という妙な独占欲だろう。


 この男は未だにタクにひどく執着している。それゆえアサキと違い、姿がそっくりでもワタルには手を出さなかったのだろう。それはありがたかったが。


 彼はタクと、ここにいることを望んでいる。

 多分タクの魂がさまよっていることは知らないのだろうが、知れたらとんでもないことをするかもしれない。穏やかな奴ほど怒ると怖いものだ。


 しかしさらに深く、情報を得るためには、彼にカマをかけなくてはならない。

 危険だが、やるしかない。

 シドウは臆さずに声を張り上げた。


「あはは、なるほど。じゃあ小田野先生は、時を動かされるのは嫌ですよねぇ……でも残念、今他のヤツがね、タクの懐中時計を直している最中なんです。多分そろそろ直りますよ。今回の全ての時を止めるきっかけとなった懐中時計……直ったら時が動き出すんじゃないですかね」


「な、なんだと」


 シドウの言葉にすぐさま反応した小田野は組んだ足を下ろすと、デスクに両手をついて勢いよく立ち上がった。


「なんてことをっ、そんなことをしたら時が動き出してしまうかもしれない! せっかく止まっているというのにっ」


 小田野はシドウに詰め寄るとシャツの胸元をつかみ、身の丈が低めであるからシドウを見上げ、にらんだ。


「アサキにも知られず、この学校に教師として入って、ずっと時を止めたまま、タクとの思い出に浸るのが幸せなんだ。邪魔をするな。これ以上、僕からタクを奪うな」


「……これ以上、って」


「やめさせろ、懐中時計を直すな、やめさせるんだっ」


 小田野の両手がシドウの首にかかり、力が込められる。予想通りの、異常な抵抗だ。


 別に一度死んだ身――生きてはいないから、首をしめられて苦しいなんてことはない。

 だが肉体を器としているわけだから肉体にダメージを負うと力の消耗が激しくなってしまう。ただでさえ力が残り少ないのに。ここで小田野とやりあったら、もう自分が維持できない、消えてしまう。


 それはダメだ。

 だって俺はワタルを守ると約束したんだ。そのために小さい頃に事故で死んでからもずっと、ワタルの身に危険が起きるかもと思うその時まで、静かに待っていたんだ。

 すごく長かった、むなしさもあった。


 でもワタルに再会して、触れ合えて、俺はすごく嬉しかった。ワタルを守るために待っていてよかったと思えた。

 だってワタルは、すごくかわいいんだ。

 今も小さい頃も、それは変わらない。

 最後にワタルのために、生きるんだ。

 ワタルを未来へと進めてやるんだ。


 シドウは小田野の手をつかみ返した。

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