第22話 アサキとコウタ

 理事長室はやはり見当たらない。

 コウタは別棟の三階、理事長室があるだろう場所に来ていた。

 先日、ワタル達が発見し、ワタル達の後に続いて入った理事長室……あの時の両開きの扉は今はない。おそらく何かしらの細工で見えないようにしているんだ。


 そういえば、あの時はアサキが教えてくれた、と言っていたな……となると、鍵はアサキか。だが今から彼を探すという悠長なことは言っていられない。

 それはワタルのこともそうだが、自分の時間も残り少ないからだ。


 この息苦しさ……くそ、ムカつく。ゆっくり過ごせばあと半年は大丈夫だったのに、アサキのせいだ。

 けれどあと少し、少しぐらい無理しろ自分……自分で自分の命を絶てるぐらいの意気があるんだ、消えないようにするぐらいわけないだろ。


 気を引きしめたコウタは理事長室の扉があるだろう場所、暗がりに潜むただの白い壁にわざと背を向ける。

 そして目を閉じ、一呼吸置いてから口を開いた。


「漆原理事長、あなたに話があります。これはタクのことを解決する最後の手段になりますよ。タクを愛しているなら、謎を解きたいならボクと話をして下さい……


ねぇ、漆原アサキ理事長?」


 コウタは閉じていた目を開き、振り返る。

 なんの音さえしなかったのに、そこは今までの光景と違う――焦茶色の両扉が現れていた。


「……不思議だなぁ、部屋の主人か、もしくは認められないと現れない仕組み。不可思議なモノばかりだね、この学校って」


 自分も含めてね、なんて。

 そんな冗談を口にしながらコウタは丸い金属取手をつかみ、扉を押し開く――するとデスクに置かれた小さめのスタンドライトだけが照らす赤い絨毯の室内が視界に入る。


 その中心にはデスクを背に、待ち構えたようにたたずむ、青い髪色の人物。


 しかし特徴的だった、あのマスカレードマスクは身につけておらず、赤い瞳の周囲はくっきりと人の肌が見えていた。

 それは二学期に入ってワタルや他二人が知り合ったあの編入生に瓜二つの容姿。


 だが目つきの鋭さは健在だが、いくらか理事長という役職の、年相応とも言える目鼻立ちの角張った感や肌の質感は見て取れ、彼が数日前に出会ったアサキとは少し違う人物だということはわかる。

 むしろアサキが歳を重ねたら、こういう理事長みたいな人になる、ような気がする。


「こんばんは、漆原理事長。突然ですみません」


 挨拶も簡単に。歩み出たコウタは理事長の前に堂々と立つと、これから交える一戦のため、気合いを入れるために両足を開き、絨毯を踏みしめた。


 一方の理事長は感情を宿さない赤い瞳でこちらを見下ろすと、すぐに自分の存在がなんなのかを察していた。


「君もおかしな存在のようだな。あのシドウという生徒もそうだったが。時止まりではない異質な存在。すでに時を動かせぬ者、か」


 さすがは理事長。そんな人間に遭遇しても顔色一つ変えやしない。

 コウタは感心しながら、手強そうな相手を前に胸踊る気分になった。


「へぇ、ではそれがわかるなら、なぜあなたは学校の中にいるタクの存在には気がつかないふりをしているんですか? 恋人なのに、おかしいですよね。向こうから避けられているから、ですか? まぁ、相手は幽霊みたいなものだし……避けられたら接触しようがないですもんね」


 理事長の鋭い視線が瞬く。それに臆さず、コウタは続ける。


「あとあなたの名前は漆原アサキだ。校内にアサキと名乗り、あなたと同じ髪色、瞳の色の時が止まった生徒がいますよね。彼は何者なんですか? 血縁、とは思えないです。だって名前同じですし、何より、感じる空気があなたと全く同じだ。同一人物としか思えない」


 コウタの得意の早口詰め寄りに、理事長は何も答えず、ただ赤い瞳を向け続けている。


 コウタには推測がある。

 この不可思議な現象の起こる学校でなら、もう何が起こってもおかしくはないから。


 推測によると、理事長はごく普通の生身の人間だ、時止まりは起こってはない。二十三年前の事件から生き、前理事長である伯父から学校を引き継ぎ、時間をかけて学校を再開させた。

 それはタクのことをなんとかしようと思ってのことだろう。タクに避けられているので事態はなかなか収拾がつかずにいた。


 そんな中、恋愛に身を投じた生徒の時が止まる現象はまだ治まってはいなかった。

 時止まりの人間を対処しながら変わらない時がずっと続いていたのだが。今期に入ってからはとんでもないことが起きてしまう。

 それゆえ理事長が大々的に動かざるを得なくなってしまった、といったところ。


「あなたには予想外のことだった、突然現れた若い頃の自分に似たアサキという存在。それが学校に入り込み、タクに似た人物であるワタルに接触した……よく見れば近くにはタクの友人であったケイもいて、過去を彷彿とさせる現象が起きていた。しかもワタル達は理事長室に侵入し、事件のことを知ってしまう……」


 話してばかりいたからか、コウタは疲れを感じ、ふぅと息をつく――いけない、力が抜けてしまいそうだ。けれどこんな手強い理事長の前で弱っているところなんて見せられない。


 コウタは眼鏡のフレームを指先で押し上げ、わざと見せびらかすように勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あなたは皆の前に出て宣戦布告をした。事件への介入は許さないと。それでもワタル達は止まらない。事件について、どんどん核心に迫ってきてしまった。だからあなたは、ボクの要望に応えるしかなかった」


 ここから先は真実を、理事長にも知って動いてもらわなければならないから。

 タクの真実を、みんなで導き出してやるんだ、ワタルのために。


「理事長、あなたの知らない部分でタクも動いているんですよ。タクはあなたに言いたいことがある、でも言うのが怖い。それは何かはまだわかりませんが、一つわかったことは、事件にはナオキという人も関わっていることです」


 ここでずっと動かなかった理事長が初めて動いた。驚いたようには見えないが、かすかに顔を上げた。

 いや多分驚いたんだ。ここは畳み掛けるんだとコウタは自分に言い聞かせ、静かに深呼吸してから心の中でワタルに語りかける。


 ワタル、ボク、キミがホントに大好きだ。

 キミと成長できていたら、ボク達、絶対に付き合えていたよね?

 だってワタルだってボクをカッコいいって言ってくれたし、少なからず興味あったでしょ。

 それにあの二人――お化けや変態よりボクの方が断然魅力的でしょ。


 だから、ホントは一緒に生きたかったなぁ……喫茶店で毎日甘い物食べてデートしたかったなぁ。

 あんなことぐらいで命を捨てるなんて、しなきゃよかった。ボクはバカだった。多分ね、タクも後悔してるよ、なんだかんだで生きている方がよかったかも、ってさ。

 でもいいや、ワタルと会えたから。

 ワタルを助けられるんだから。


「タク、ナオキ、ケイ、あなた――アサキ。この事件は四人が絡んでいる……そしてナオキには、今ボクの仲間が接触をしている。ボクがあなたに言わなければならないのは、タクを探して下さい、ということです。タクも他のヤツが説得するだろうから」


 静かにコウタの言葉を聞いていたフッと小さく笑った。

 そして「そうか」と、短く呟く。

 冷徹そうな理事長が見せた、初の人間らしい一面に、コウタは自分の役割がうまくいった手応えを感じた。


「あぁ、あとこれもボクの推測ですが……あの性格悪いアサキは、あなたなんでしょう? ワタルが連れ去られてしまったんで、なんとかしてくれません?」


 コウタの推測ってさ、それはずばり真実だよね、と。ワタルが何回もそう言ってくれたことがある。


 そう、自分の推測、考察。

 それは自分の考えでしかないが、色々な事象を合わせて計算して導き出した真実だ。

 だって自分、計算は、数学は得意だからね。

 言い出した言葉は全て真実さ、自信あるよ。


 理事長は両目を閉じ、天井へと顔を向ける。

 そして思い出すように赤い瞳を薄く開けながら「性格悪い、か」と呟いた。


「だがあの頃の私は、一番人間らしかったかもしれない。粋がって強がって、ただタクのことが好きだった。この学校に入り、一年生で初めて会った時からずっと、その全てに惹かれていたんだ」


 へぇ、理事長もそんな想いを寄せるんだ、とコウタは思った。


「だが、そんな日もあの日……私の誕生日前日の四時三十二分に全てが終わる。タクが死んだ日に、私は自分を捨てたのだ。タクを愛した自分を、守れなかった自分を、全て捨てたのだ」


 それが『あのアサキ』の正体。

『あのアサキ』は時が止まった存在ではなく、理事長――本当のアサキが過去に捨てた自分。

 恋人への愛の他、失いたくないという執着、なぜ自分を頼らなかったのかという恨みを持つ理事長からなくなった欠片みたいなもの。


 それがタクの代わりにワタルへ執着している。タクにはない、素直に、誰かを頼ることができるワタル。

『あのアサキ』には魅力的な対象に違いない。


「全く……いい迷惑ですよ、ホントに……」


 コウタの意識は遠退き、足に力が入らなくなる。


 あぁ、ワタル……もう一回ぐらい、顔を見たかったよ……。

 でもボク、こんな手強い相手にも勝てたよ。


 コウタはワタルが「さすが」と言ってくれたような気がして、嬉しくて笑みを浮かべた。

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