第16話 時止まり

 時計は全て、長針短針が同じ方向を指していた。

 四時三十二分、何か意味があるのだろうか。


「時が止まった時計か、これは怪しいんじゃない? 一連のことに無関係ではなさそうな気がするなぁ」


 腰に手を当てながら、シドウは興味深そうに時計達を眺めていた。


「シドウ、何かわかったりするのか?」


「そうねぇ……なんだかねぇ――んっ?」


 時計を順番に眺めていたシドウは、ある柱時計を前にしたところで足を止め、その時計の文字盤をジッと見つめた。

 シドウと同じ背丈を誇る背の高い柱時計だ。深い茶色の材質と、かなりの年月が経っているのか、錆びた振り子はまっすぐ下を向いたままで止まっている。時刻はやはり同じ四時三十二分止まり。


「全部変な感じがするんだけど、この時計が、一番変な感じがするな」


 ふむふむ、という声をもらしながら。シドウは時計の文字盤からてっぺん、さらに足元の方にまで視線を巡らせる。振り子が納められている扉の中も調べようとしたのだが、そこは壊れているのか扉は開かなかった。


「……なんかあるなぁ……ワタル、ちょっと悪いんだけど、こいつに集中させてくれる? なんかがわかるような気がする」


「わかった、じゃあ俺は廊下に出ているから」


 シドウの頼みを聞き、ワタルは廊下へ出ようと方向転換をした――その時、壁際にあった一つの柱時計が目に止まり、ワタルは少しだけその時計を見つめた。


 あれ、この柱時計は。一学期に俺達の教室にあった物じゃないか。


 二学期に教室に入り、ふといつも柱時計がある教室の後ろを見ると、そこには見知らぬ柱時計があったんだ、ということを思い出す。

 交換して、ここに置いたのだろうか。急に壊れたのだろうか。他の柱時計同様、四時三十二分を指して……。


 気になりながらもシドウの邪魔をしてはと思い、ワタルは廊下へ出ると窓から見える校庭を眺め、ひと息ついた。


 そういえばいつの間にか、タクの姿がなくなっている。名前を呼んでみたが姿を現さないし、気配も感じない。

 どこかに、何か興味を抱いて行ってしまったのか。迷子にならないといいけれど、と思ってしまうのは変だろうか。

 自分より本当は年上であるのだが姿形が子供のせいもあるのと。自分に似ているせいもあってか、何かと気になる自分がいる。


 どうしたら、あの子を――いや、悲しそうな彼を救うことができるのか。

 なんとか助けてあげたいと思う、自分に似ていて、縁があって、出会ったのなら。


「アサキが見つかればなぁ」


 小さくそんな言葉を口にした時だった。

 背後に人の気配を感じ、ワタルは素早く振り返った。


 そこにいたのは、驚愕、としか言い表せない存在。言葉が出ないのに思わず口を手で押さえた。


 自分を高い位置から見下ろしているのは――目と顔半分を覆う銀縁のマスカレードマスクの隙間からのぞく二つの赤い瞳。

 数日前に教室で流れた放送で見た紺色のスーツに身を包んだ一度見たら忘れられない人物……それがいたのだ。


「う、漆原理事長……」


 ワタルの口を押さえた指の隙間から、かろうじてその言葉が出る。なぜここに、なぜいるのか。そうも思ったが声に出せるわけがない。


 でも自分が悪いことをしてるわけではないとも思う。生徒の一人として校内に存在しているのは当たり前だ、滅多に会えないだろうが理事長に対面する時もあるだろう。


 けれど自分は勝手に理事長室に侵入し、この学校の秘密の一部を今や握っている。

 それを大したことじゃない、と思う根拠のない心構えは当然、すぐに打ち砕かれる。


「君か。先日、私の部屋に無断で入った者は」


 理事長の笑いもしていない口から出たのは咎めるような声音の言葉。

 ワタルは緊張と恐怖に心臓が破裂しそうになりながら理事長の目を見つめる。


 赤い瞳。それは数日前から自分に興味というものを抱かせている不思議な、魅惑的なもの。

 なぜ、ここにもあるんだろう。

 そして青い髪色――人間観察を得意とするコウタが先日言っていた言葉を思い出す。


『理事長とアサキは何か関係がある』と。


「君は何が狙いだ? 何をしようとしているのだ?」


 理事長が詰め寄るように、半歩前へと足を出す。威圧感にワタルは後ろへ下がろうとするが、ワタルの背後は窓と壁、ぴったりと張り付くしかできない。

 逃げられない、と。ワタルは意を決した。


「俺は……タクを助けたいだけです」


 この人に嘘は通じない。震えそうな声をなんとか引き締め、ワタルは真実を言い切った。


「漆原理事長、俺は……タクに何があったのか、それを調べています。多分、それを調べれば、真実を知れば、この奇妙な現象を終わらせることができると思います。止まってしまった時を動かせると思います」


 理事長の目が少し見開かれたような、気がした。


「理事長室に無断で入ったことは悪いと思います。すみませんでした。でも友人が……同じく時が動かない友人が二人いるんです。その人達を俺は助けたい、できるなら、助けたいんです」


 ケイとアサキ。まだ長年一緒にいるわけではないけれど大切な友人。何ができるかわからないけど助けることができたなら。

 二人に関わるタクも助けることができたなら。


 理事長は感情を表さない赤い瞳でワタルを見つめながら、抑揚のない声で言った。


「……タク……彼は何十年も前に亡くなった生徒だ。それを助けたいとはどういうことだ」


 あっ、そうか。ワタルは歯噛みをした。

 理事長にはタクを見ることはできていないのだ。自分だってシドウの力で見ることができているのだから。


「君は何を知っている? どこまで調べた? 答えなさい、教えれば君の退学処分を取り消そう」


 理事長のその言葉に、ワタルは「あっ」と小さく声を上げた。

 なぜわかるのか。そう聞きたかったけれど聞いたら完全に自分が退学処分対象だと認めたことになってしまう。


「隠しても無駄だ。君も、そうなのだろう。時止まりの生徒は然るべき処分としている」


「然るべき処分って、それは、記憶を消すことですか?」


 これはコウタの推測に過ぎない。夏休みの間に退学処分を下され、街中で記憶喪失の同級生を発見したことによって生まれた推測。

 だがそれは無情にも真実であった。


「そうだ、時止まりになってしまった生徒は、相手のことを忘れるようにしなければ時が再び動かない。だから退学とし、学校のことも忘れるように特殊な薬で記憶も消す……全てを忘れてしまうが致し方ないのだよ」


 なんてことだ。そんな推測こそ嘘であればよかったのに。そんなことを学校は今まで平気でしてきたのか。

 いや、多分……他の教員は知らない気がする。だって知っていたら何かしら怪しい噂もあるだろう。それに事件のことを知っているのは昔から在校している理事長しかいないのだ。


「君、名前は?」


「……ワ、ワタル」


「ワタル……なぜ君は、そんなに――いや、それはいい。そんなことより君には来てもらわなければならなくなった」


 理事長が動く、左手が伸びてくる。


「一緒に来なさい、ワタル。協力してくれれば悪いようにはしない」


 握り返せと言わんばかりに伸ばされた左手。つい最近、こんな光景を見たばかりのような気がする。左手を伸ばすのは左利き、だから。

 アサキも……そういえば。


「はい、そこまでー」


 呆けていたワタルの前、理事長との間をまず割って入ったのは白い半袖シャツからのぞく長い腕。運動嫌いで日に焼けていない肌だが引き締まって力がありそうだ。ついで身体全体が躍り出てきて、ワタルの目前には大きな背中が広がる。


 こちらには行かせない、そう語るように開かれた彼の手の平――ワタルからは手の甲が見える。大きな手、安心感を与えてくれる手、守ってくれる手、その存在。


「ワタルの側には近寄らせないよ、相手が誰であろうとね」


 首元までの長い黒髪が揺れる。長身の理事長と同じ背丈はあるだろうか。細身な割にはガッシリとしていて、いつもふざけて、やたらと身体を触ってくる、変態男子。


「大丈夫だよ、どこにいても守るから……ねっ、ワタル」


 あ、その言葉って、やっぱり。


 ワタルはシドウの背中を見ながら、記憶の中に眠っていた少年の姿を思い出した。

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