第15話 背後にいたのは

 はう、とワタルは内心で変な悲鳴を上げた。

 シドウが近い、どうしよう、やばい。


 自分の右頬を触る右手の平の涼感を持った感触に、ワタルはあせった。

 シドウは一体、何をするつもりなのか。


 身体を強張らせるワタルに顔を近づけたシドウは、消え入りそうな柔らかい声で耳元でささやく――耳に息がかかり、ワタルは鳥肌が立つってしまった。


「ワタル、お前の後ろに……小さな子供がいるんだ、ずっと」


 その一言に、ワタルの思考は止まる。

 数秒シドウの目を見つめた後で、何も考えないで後ろへ振り向くと。


「ぎゃあっ」


 そこには見知らぬ存在が、ワタルの目線の下に立っていた。


「ななな、何っ、誰だよ」


 いつからそこにいたのか。下をうつむく小学校三年生ぐらいの赤茶色の髪をした男の子だ。Tシャツに短パンという子供らしい服装で、大切なおもちゃでもなくしたような悲しい表情を浮かべて立っている。


「ワタル、この前階段で落ちそうになったのを覚えている? あれね、そいつが引っ張っちゃったんだよ、悪気はないんだけど」


 ああ、あれか。危なく階段の一番上から落ちかけてシドウが助けてくれた時の。

 あれは打ちどころが悪ければ無事ではすまなかったぐらいの出来事だったが……悪気はないのか。ならば仕方ない。

 文句を言おうかと思ったのだが、彼のあまりに沈んだ表情を見ていたら文句など消えてしまった。逆に心配になってしまう。


「どうしたんだよ? 具合でも悪いのか」


 男の子の様子にただならぬものを感じたワタルは膝を床につけ、男の子の目線に合わせる。

 なんだか見たことがあるような顔をしているが。


 これは、自分? 小さい頃の自分?

 あぁ、やはりそうかも。自分に似ている。

 なんで?


 ワタルが呆気に取られているとシドウは信じ難いことを言った。


「ワタル、その子はタクだ。見た目は小さい子だけど、今までの話に上がっているタクだよ」


 名前を言われ、ワタルも反射的に「タク?」と呟くと、男の子が驚いたように肩を揺らした。怖いものを見上げるように怯えた色を持つ瞳はワタルを見ながら震えていた。


「だ、大丈夫大丈夫、俺はなんもしないよ」


 ワタルは必死になだめてみるが、男の子は口をへの字にしたまま、まだ警戒心を見せていた。何がなんだかわからない。

 ワタルはシドウに視線を向けた。


「シドウ……なんで、この子がタクだとわかるんだ? それになんで俺はこの子を見れる?  この子は、もういない存在なんだろ? 俺、霊感なんて何もないのに」


「あぁ、見えるようになったのは……俺が見えるから、かなぁ。ほんのちょっと霊体に力を与えると、どんなヤツでも見えるようになるみたいだよ。あと話はね……色々なヤツの話を聞いたから。ワタルは話せないような、色々なヤツらだよ。そいつらから聞き出したんだ」


 当然と言わんばかりの笑顔で言うシドウに、ワタルは苦笑いで「あぁ」とだけ返した。シドウの言う色々なヤツとは、つまりは生きてはいない人のことだ。

 背中がゾッとするのであまり深くは掘り下げないでおこう。ひとまずはここにいる男の子について解決しなくては。


 タク――二十三年前に、この学校で自殺した人物。アサキの恋人。自分に似た人。

 だがどうして子供の姿なんだろう。

 その疑問は、すぐにシドウが答えてくれた。


「死んじゃった人はさ、自分が一番楽な姿、好きな姿、安心できる姿を保つっていうからね。ほら死んでまで自分の辛い姿のままでもイヤじゃない? 車にひかれた時とか、そういうの」


 シドウは自身の黒髪を人差し指でクルクルと巻きながら「車は痛いよね」と妙なことを呟いていた。

 

「ふぅん……じゃあ見た目は関係ないってことか……タク、くん? いやだいぶ先輩だもんな……タク、さん……?」


 呼び方を考えている間、タクは不安そうな瞳をずっと向け続けている。何か言いたいのか、それとも言いたくはないのか。子供の様子というのは感情表現をしてくれないとわかりにくいと思う。

 とりあえずワタルは自分から前に出てみることにした。


「あの、俺はワタルって言うんだ。俺、君に似ているとか、よく言われるんだ。だからよければなんでも話してくれると嬉しいな……タクが何を考えて、何をしたいのか、とか」


 なぜ自分で命を絶ったのか。なぜ今こうして子供の姿で現れているのか。疑問だがこの状況でそこまでは聞けない。

 しかしタクは黙ったまま、ずっとワタルを見上げているだけで何も言わなかった。


 シドウが「ワタル」と控えめな声音で呼んだ。


「かわいそうだけど、その子は話すことはできないだろうね。子供と言うのは認めた人にしか秘密を話さないし、タクが子供の姿を取ったのも深入りをしてほしくないからだろう……何に深入りしてほしくないかは、わかるよね」


 ワタルは「そっか」と大きくうなずき、タクの黒髪にふんわりと手を置いた。

 タクはわずかに怯えの色を柔らかくしてワタルの手を見ていたが、すぐに視線をそらした。


「アサキ……あいつがいればいいんだな?」


「そうだなぁ……ただ、あいつがいるとタクがいなくなると思う。タクはあいつに話をしなければならないことはあるんだろうけど、気まずいせいか、会いたくはないようだからね……複雑かも」


 それは何かと面倒なことだ、とワタルは唸った。それではタクとアサキはずっと会えない状態ではないか。

 恋人にも言えない秘密――やはりそれを知られたくないのだろうか。打ち明けたいけれど、打ち明けるのは怖い。

 タクは迷っている、怖がっているのだ、多分。


 でもそこからではないだろうか。

 止まった時を動かすためには。


 ワタルはタクの頭をなでながら

「アサキを探さなきゃ……タク、怖くても進まないと、ね」

 そう言うと、タクはうなずかないまま、遠くに視線を向けてしまった。


 放課後になってから。

 ワタルはシドウと――自分の背後にひっそりと潜んでいるタクと共に校内を探索していた。

 まだ出会ったばかりのアサキが普段どこにいるのか、そんなものはわからない。手当り次第に、思いつきで、各教室を巡っていく。


「普通のドラマとかなら、屋上とか中庭とかで運命的に出会えそうだけどねぇ、まぁ、普通な存在ならだけどね」


 後ろを歩くシドウがそんな冗談を述べる。もちろん屋上や中庭はとっくに行った後だ。


「じゃあ普通じゃないなら、どこに行く? シドウならわかるんじゃないの? シドウは普通じゃないだろ?」


 足を動かしながらワタルもそんな冗談で返すと、後ろからシドウのハハッと明るい笑いが響いた。


「やれやれ、ワタルもちょっと毒舌になってきたのかな? ワタルは素直でかわいい子だったはずなんだけどなぁ」


「だったって何さ、かわいいも余計」


「も〜、そういうとこだよ。まぁ好きだけどね、そういうワタルも」


 シドウとそんな皮肉交じりなやり取りをしながら。ワタル達は足を止めずに巡り歩き、気づけば別棟に入っていた。


 しかしこの学校は広いなと思う。教室がある本校舎も広いのに、この別棟も広すぎて把握が難しいし、ほとんどの教室は未使用なのではないかと思う。どの教室も机が整列して並び、荷物置き部屋になっていたりもするが、きれいに掃除が行き届いて清潔感を漂わせている。


 これも理事長が関係しているのだろうか。仮面の理事長――結構神経質できれい好きそうなイメージもある……でも声同様に冷たい性格をしていそう、かも。


 そんなことを考えながらワタルは目についた教室のスライドドアを開けて中に入る。

 また机が並んだ荷物置きの部屋だろうな……そう思っていたのだが。


「な、なんだ、ここ……うわぁ……」


 中に入ったワタル達が見たのは今まで見たことがない物が並んでいる光景だった。


 呆気に取られたワタルの視界に入ったのは壁際に整然と並び、文字盤を全て見えるよう入口に向けられている数々の柱時計。

 それはワタルの背丈ほどある物、木製で作られた物、鉄製の物、振り子の部分にかわいらしい鳥が止まっていたり、おしゃれな花があしらえてあったりする物と色々なデザインがあった。


 一見、映画で魔法の世界でも見ているような、見事で見惚れる感じになるかもしれないが、ワタルはその異様さに興奮よりもゾッとしてしまう。


 柱時計の振り子は凍らされたかのように斜めであったり、真っ直ぐ真下に降りたまま止まっていたり。

 室内は時計特有のカチコチという音も全くしない無音の空間。別棟全体が静かなせいもあり、外部の音さえ聞こえてこない。


 ニ十台以上はある時計達は、どれも長針短針共に動かず、少し様子を見ていても動く気配はなく。この部屋全体がまるで時が止まったかのように全てが動かないで静止している。


 これが不気味でなくて、なんなのか。ファンタジックで素敵、なんて思えるわけがない。

 この部屋はなんなのか。

 時の止まった時計達を見ながらワタルは身震いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る