第12話 大キライ

 理事長室が見つからないまま、別棟の廊下を歩きながら、ワタルはコウタと話をしていた。話題は理事長についてではなく、自殺したタクについてだ。


「タクって人はなんで自殺したんだろうねぇ」


 真っ直ぐ前を見ながら、コウタはポツリと呟いた。急になんだろう、とワタルはコウタに視線を向けたが、彼はこちらを見ていなかった。


「自分で命を絶つってさ、よほど苦しかったり辛かったりしないと、やらないよ。ましてアサキなんて恋人もいたんだ、守ってくれる奴がいたのに……なぜ?」


 何を思ったのか、コウタの口調が鋭くなる。死んだタクに対して思うところでもあるのだろうか。


「きっとね、タクは、恋人にも言えないことができた――いや、起きてしまったんだよ。自分が死んだほうがマシだと思うくらいのね……」


 その言葉を聞きながら、ワタルは「そうなのかな」と言葉を返す。コウタの洞察力はとても優れている、だから彼がそう言うなら、それは真実である可能性は高い。


 では何がタクを追い詰めたのだろう。アサキは頼りになりそうなのに、そんな彼にも打ち明けられないこと、なんて。

 ワタルがそのことを考えていた時だった。


「――ったく、なんなんだよ、あの変な理事長は! 久しぶりに朝から学校来てみりゃあ、超ウケるんだけど」


 静かだった廊下に、ゲラゲラと品がない数人の笑い声が響いてきた。

 足音はこちらに向かってきていたが、ワタル達は特に避けるでもなく、その場で様子を見ていた。


「あぁ、なんだよ、お前ら」


 服装は乱れ、ズボンポケットに手を突っ込んだガラの悪い生徒が四人、おそらく三年生。ここに来たのは授業をサボるためだろう。

 その中のボス的な茶髪男子はニヤけながら前に出てくると、背の低いワタルとコウタを見下ろした。


「今からここ、俺達が使うから。邪魔したり教師にチクったら、お前らのせいだってわかるんだからな」


 ワタルは口を引き結び、言い返したくてもやはり先輩だからと思って我慢した。

 コウタも不愉快に眉を歪めながら「行こ」と言って、ワタルの腕を引っ張る。

 二人は静かにその場を離れようとした――のだが。


「おい、ちょっと待て」


 茶髪の男子がワタルの肩をつかんだ。


「お前ら、かわいい顔してるし。俺らと遊んでく? なぁ、ちょっとさ、楽しいことしようぜ」


 ワタルは茶髪男子ともう一人に、コウタも二人の男子に囲まれ、見動きが取れなくなる。


「何するんだよっ」


 両手を押さえられ、ワタルは抗議したが茶髪男子は笑いながら、ワタルのワイシャツを脱がそうとボタンに手をかけてきた。

 慌てて身体を退けようとするが、もう一人がワタルの背後に立ち、行動を阻止されてしまう。


「やめろよっ!」


 シャツを脱がされそうになっていると、隣で同じように手を拘束されたコウタが「ワタル!」と心配そうに叫ぶ。


「大丈夫だって、二人とも楽しませてやるかさらさぁ」


「離せよバカ野郎っ! ワタルっ、ワタル!」


 このままではコウタの身も危うい。先輩だから、と言っておとなしくしているわけにはいかない。


「コウタ!くっそ、はなして――え?」


 身体を無理やりにでも動かし、抵抗しようとワタルが腕に力を入れた時だった。コウタを押さえていたはずの男子一人が、派手に廊下に転がったのが視界の端に見えた。


「マジ、ウザいんだよ」


 いつものかわいい調子の声ではなく、見下すように刺々しい声。それはいつも無邪気に腕をつかんでくる友人から発せられている。

 ワタルが事態を理解しない間に、もう一人の男子も吹っ飛んで、壁に激突していた。


「ボク、アンタらみたいな人間、大キライなんだ」


 コウタ、目つきが、ヤバい。


 ワタルは恐怖を覚えながら、目の前にいる茶髪男子を見上げ、睨みつけているコウタも交互に見た。

 小柄な身体からは度し難い相手への憤怒、軽蔑……感じたことはないが殺気というものがあるならば、コウタが今まとう『コレ』が殺気なのではないかと思う。


 まずいだろうか。

 このままコウタを野放しにするのは。

 だがワタルが戸惑っているうちには、コウタは動き出していた。


 まず茶髪男子ではないもう一人の顔面を爪先で蹴り上げ、床に倒れたところで腹を蹴り上げた。そのすきにすでに倒れていた二人がゆらりと起き上がりかけていたので、顔面に肘鉄を入れて再び叩きのめす。


 残ったのは茶髪男子。信じられないと言わんばかりに口を震わせながら、後退りをしようとしていた。

 しかしコウタの動きの方が速い。コウタは素早く踏み出すと茶髪男子の眼前に顔を近づけ、慈しむような笑みを浮かべた。


 かわいい笑み、天使のようで見た者を魅了するのだろうに。今は恐怖しか与えない。

 コウタは「ふふ」と笑った。

 そしてその顔面に向かって思い切り頭突きをくらわした。


 鼻をつぶされた茶髪男子はうめきながら鼻を手で押さえる。指の隙間からは多量の血が滴り、廊下がポツポツとした鮮血に染まる。

 コウタは痛みに身を屈める茶髪男子を見て、まだ笑っていた。


「あははは、さっきまで強がっていたのに、何やってんの? ボクの身体が欲しかったんじゃないの? ヤッてみなよ、ほらっ」


 挑発の言葉を吐きながら、コウタは茶髪男子に膝蹴りを入れ、とうとう床に沈めた。さらにうずくまる相手の腹を足で踏みつけ、体重をかける。

 男子は苦しさや痛みに低いうめき声を上げる。


「コウタっ!」


 このままではよくない。やっと自分の身体を動かすことができたワタルはコウタを後ろから羽交い締めにした。


「やめてくれ、コウタ!」


「……ワタル? だってこいつら、ワタルのことも傷つけようとしたんだよ。自分の欲望のためだけに、ワタルやボクをオモチャにしようとしたんだよ……それを許せるの?」


 後ろから羽交い締めにしているからコウタの表情が読めない。だがコウタが自分を力づくではがそうとはしていないので、話は聞いてくれているのかもしれない。


「も、もしそうだったとしても、だ。別に今はそうならなかったわけだし。何よりコウタにそんなことをしてほしくない、そんなコウタを見たくない」


 ワタルはコウタに必死に訴える。思わずコウタのシャツの胸元をギュッとつかんでいた――どうか落ち着いてくれ、と思いながら。


「……優しいな、ワタル。だからボクはキミが大好きなんだよ」


 コウタはワタルの手を優しくどかし、振り返るとワタルの身体を抱きしめてきた。

 華奢な身体のわりにしっかりとした力強さ、しかし体温は感じられない……柔らかな存在に抱きしめられているはずなのに。なぜか冷たい布団に包まれたような、ひんやりとした感覚があった。


 コウタが視線を外した隙に、茶髪男子は四つん這いの情けない姿をさらしながら、この場から逃げていく。倒れていた他の生徒達もフラフラとよろめきながらそれに続く。


 廊下に反響する足音が遠退いていき、急に辺りが静かになる。

 コウタの息づかいを近くに感じながら、ワタルは落ち着かない気持ちで、どうしようかなと考えていた。


「……ワタル、キミに言わなければならないことがあるんだけど」


 唐突にコウタは言った。


「ボクも、自殺しているんだよ」

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