第10話 時が止まった

 ワタルはケイに向き直り、彼の顔をのぞき込んでみた。

 そこにはいつもの無表情さと、銀色の瞳があるのだが――瞳には戸惑いという色が見えた気がした。


「ケイちゃん……本当に? ケイちゃんも昔の人なのか?」


 ケイはワタルの顔を見て小さくうなずくと、淡々と言葉を述べた。


「そう……俺もそうだ……自殺したタクは俺の友達だった……そして俺の、好きな人でもあったんだ」


 その事実に、ワタルは右手で口を覆った。


「だが、あいつは突然、屋上のフェンスを乗り越え、風の当たる先端に……あいつは、笑っていた。先端から足を、離した後も、俺を見ながら、落ちていった……俺は、辛くて……俺も……」


「そんな、ケイちゃんの目の前で……それで、俺も、なに? どうしたんだ……?」


 胸を押さえて辛そうに、言葉を止めながら話すケイ。感情を表さない彼が胸に置いた手を震わせながら話す様子は、失った人物の大切さを物語っている。

 ケイは一度目を閉じると静かに呼吸した。

 そして意を決したように目を開いた。


「俺もタクの後を……飛び降りた」


 ケイちゃん……ワタルは心が潰される思いで彼の名を呟く。それほどまでに想う人物が消えてしまった時、彼がどれぐらい悲しかったのか。その一言と行動でわかる。


「でも……そこからが、わからないんだ。俺は飛び降りたのに。気づいたら学校にいた。誰もいない学校。一日誰もいない、誰とも会わない。そして夜になって目を閉じたら、また朝になって誰もいない……ずっと、その繰り返し。学校から出ようとしたら、また学校にいる。また繰り返しの日々――ワタル、俺は……死んだのかな。それともただ、時が動いていない存在なのか……」


 それは、つまりは……ワタルは考える。

 考えたけれどわからない。ケイには何が起きているのか。

 でも死んだらここにいないんじゃ? だって幽霊ってことになるだろ。それとも時が止まった存在ということか?

 その二つは何か違うのか?


 わからないけど、何か言わなきゃ。

 ケイを安心させてあげなきゃ。


「確信はもてないけどさ……ケイちゃんは飛び降りたけど、死んじゃったかはわからない。でも学校から出ることはできない。学校がそこからずっと休校していたとしたら……学校には誰もいないから。ケイちゃんはずっと一人でいた……でもそれなら、数年前に学校が再開した時には、ケイちゃんはどうしていたんだ?」


 ケイは銀髪を左右に揺らした。


「わからない……でも、ずっと学校にいたのかもわからない。覚えていない。ただ……俺の意識がハッキリして、俺が日々を楽しいと思えて、また明日が待ち遠しいと思えたのは……お前に、ワタルに会ってからだ」


 それは、つい最近のことじゃないか。

 あの入学式の日、迷った挙げ句の校内で。王子様のような気品さで現れた彼。


 そんな彼は今、自分を慈しむように見つめ、ほんのかすかに口角を上げている。


「ずっと、暗くて、むなしい中に、光が差したみたいだった……ワタル……だから俺――」


 ケイは眉をひそめ、アサキを見た。


「だから、あいつには、ワタルに手を出させない。あいつはワタルに危害を加える気がする」


 敵視されたアサキは笑いながら返した。


「そんなことするわけないだろ、オレはワタルが好きなんだ」


「あんたが見ているのはタクに似ているからだ」


「何言ってんだ、お前だってワタルの影にタクを見ているんだろ? じゃなきゃ興味なんて抱かなかったはずだ。だけどオレは今はワタルに興味がある、それは事実だ。それにお前だってあわよくばタクを自分のモノにしたかっただろ? 狙っていない、なんて言わせねぇ。そんなズルい奴にワタルを渡せねぇよ」


 アサキとケイ。二人の顔を見比べながらワタルは二人に愛されたタクという生徒のことを考えた。きっととても魅力的な人物だったのだろうな、と。

 そんな人に似ているという自分は、たったそれだけの理由で二人に大事に想われている。


 そんなのは申し訳がない。

 そして情けない。

 自分は、タクの代わり……それだけでしかない、なんて思われたくないから。


「二人を助けるにはどうしたらいいんだろう」


 ワタルの低い声音の呟きに、二人が同時に視線を向けたのがわかった。


「俺は二人を助けたい、二人がそれを望んでいるなら、俺でできることならなんでもする。だから俺はその方法を探す。それしかできないからな」


 アサキがそれを望んでいるなら、自分と出会いを果たしたケイも、それを望んでいるのではないか。自分と関わったきっかけはタクに似ていたから、それでもいい。

 でもそれを打破するのは、助けることができるなら、それは自分でありたい。


「ケイちゃん……いつも、ケイちゃんは俺を助けてくれたから。まだ出会って大した月日が経っているわけではないけどさ、俺はケイちゃんが大事だから。俺にできるなら助けたいんだ」


 ケイは目を細めていた。それは呆れなのか感心なのか。表情のない彼から気持ちを察するのは至難の業なのだ。

 けれど自分はわかってしまう。ケイが無表情でも抱いている気持ちはなんとなくわかるようになったから。


「ワタル……ありがとう」


 ケイの気持ちはその返事だけで十分だった。


 ワタルはデスクに置いたファイルに再び目を通し、全てを読んでから引き出しにある他のファイルにも目を通した。

 しかし必要そうな情報が記載されたのは一番最初のファイルだけのようだ。


「他にも何か、ないのかな」


 ワタルは理事長室にあるデスク、書棚、飾られた額縁、花瓶の中までアサキとケイと共に探ってみたが、他に役立ちそうな物は何もなかった。

 あとは事実を知り、校則を作った理事長本人にしか情報は聞き出せないかもしれない。


「ケイちゃん、理事長は会ったことある?」


「いや、ないな……見たことも……ん、違う」


 ケイは何かを思い出したかのように口に手を当てた。


「違う……あれは、そう前だ……前の時、理事長がいた、見たことがある……背が高くて……あれ……? あれは、誰かに、似ている……? 今、この時代にいる、誰かに――」


 急にケイが苦しげに眉を寄せた。誰かの姿を思い出しているのか「あの姿は……」と呟き、額に手を当てていた、その時。


「ワタル、俺達も話は聞いたぞぉ」


 突然、理事長室のドアが大きく開き、向こうから銀のチェーンピアスを揺らすシドウと、ほくそ笑むコウタが現れた。いつの間にか理事長室のドアは軽く開いていて、二人は聞いていたらしい。


「ボクも! べっつに他のヤツらはどうでもいいんだけど、ワタルのためだったら協力するよ? だからワタル、ボクを頼りにしてよ」


 コウタは颯爽とワタルの横を陣取り、腕にしがみついていた。まるで飼い主を見つけた子犬のような様子に、シドウが呆れたため息をついた。


「やれやれ、散々コウタの『ワタルのとこに行くっ!』ってワガママに振り回されたから、非常に俺は疲れたよ。ワタル、少し利口にしつけてくれないと」


 シドウが皮肉をこぼすと、コウタは口を尖らせながら「でも成果もあったでしょ」と言い捨てた。


「成果っていうか、あれはたまたまだろー……まぁいいか、ワタルに一つ情報があるんだ。教師達が話していたことを盗み聞きしただけなんだけど、明日ね――」






 事件の究明はまた明日となった。

 アサキ、コウタ、シドウと学校の玄関で別れた後、ワタルはこっそりと校舎に戻り、人目のつかないところでケイにメールを送った。


『今、どこにいる?』


 その返事は一分もしないうちに返ってきた。


『屋上にいる』


 メールを確認したワタルは、本校舎の三階へと向かう。階段を上がり、踊り場を抜け、屋上へと続く鉄のドアを開けると、まだわずかな夕日が残る空の下に、無表情の彼がいた。

 銀髪が夕日色を宿していた。


「ケイちゃん、大丈夫?」


「……帰り、遅くなるぞ」


 ケイは相変わらずの無表情だが、こちらを気づかう言葉をかけてくれた。

 そんな彼に、ワタルは笑い返す。


「大したことないって、走ればすぐだし」


 そうか、とケイは呟き、屋上から見渡せる校外の町並みを眺める。一般的な一軒家の屋根、そう高層ではないマンション、狭間にある小さな公園。ごく普通の町並み、ありきたりな光景。

 それらを見ながらケイは「昔とは違う」と言った。


 そういえば、と。ワタルはケイに関するある事実に今、気づいてしまった。

 実はケイとは学校の外で会ったことがない。何度も遊びに誘っていたが、彼は勉強だとか何かと理由をつけて断り、遊びに来なかったのだ。


 その理由も今ならわかる。彼は学校から出ることができなかったのだ。


「ケイちゃんが住んでいた頃よりは家も店も増えたんじゃない? ……落ち着いたらさ、おいしい店とかあるから行ってみような」


 ワタルは正直な気持ちをケイに告げる。ケイちゃんと出かけられたら楽しいだろうな、と。


 ケイは何も言わないまま、微笑を浮かべていた。今日のケイは以前に比べてよく笑う気がする、なんだか嬉しい。でも事実を知ったから色々と心配になってしまう。


「……ケイちゃん、夜は、大丈夫なのか?」


 学校を出られないと言うケイ。出たら、どうなるのか、それがわからない。だから怖い、と彼は言う。

 そんなケイは一人、夜をどう過ごすのだろう。


「大丈夫、目を閉じていればすぐに朝になる」


「うーん……なんか心配だなぁ」


 慣れているだろうとはいえ、夜中の学校。暗くてさびしいのではないか、ケイは心細くないのだろうかと思ってしまう。

 そこでワタルはひらめいた。


「あっ、ケイちゃん、携帯は持ってんだよね」


 うなずいたケイに、ワタルは安堵した。


「俺、家に帰ったら、ちょくちょくケイちゃんにメールする。電話だと親にうるさいって言われちゃうから。でもメールだったら大丈夫だろ、寝るまでメールしよう、なっ」


 ケイは少し驚いたように目を見開いた。ワタルを見ながら瞬きを繰り返すと、不意に小さく「ふふっ」と声を上げた。

 なんとケイが声を上げて笑った、ちょっとだけ、だけど。


「……早く寝ないと、明日遅刻するぞ……でも、かまわない」


「やった、じゃあ後でメールするよ……ところでケイちゃん、なんで携帯は持ってるんだ? あと……気になったんだけど、俺と同じクラスの一年にどうやってなったんだ? それがすごーく気になってたんだ」


 帰る前に疑問を解決しておこうと思い、ワタルはケイに聞いてみた。

 ケイはすでにいつもの無表情に戻りながら、疑問に答えてくれた。


 携帯は在席している生徒から、こっそり拝借したこと。どうやらそいつは携帯の複数所持者だから一台なくても気づいてないらしい。

 一年に入れたのは、アサキ同様の情報操作らしい。そんなことぐらいで簡単に入れてしまうなんて……この学校、セキュリティ甘いのだろうか。色々気になったが、気にしないでおこうと思った。

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