第3話 ケイちゃんの想い

 ケイちゃんとの出会いは入学初日のこと。

 新しい生活が始まる、楽しみだなという明るい気持ちを抱きながら。校内を早速仲良くなった新一年生で探索している時のことだ。


 みんなで話をしながら校内を歩き、ふとワタルがよそ見をしていると、


「あれ?」


 すでに友人達の姿はなく、扉の並ぶ静かな廊下にポツンと取り残された自分がいた。

 ここどこだ、と呟いても聞いてくれる人の気配もない静寂の空間。幸い、数多くの窓があって日差しが入るので、暗いとか陰湿な空気は感じない。


 けれどだだっ広い中に一人でいるというのは心細いものだ。誰も自分に気づいていないのでは。ずっとこの静けさに取り残されるのでは。

廊下の真ん中に何もせずに突っ立っていると、そんな不安がよぎる。


 だがそれよりも次のHRまでに教室に戻れるのかが気がかりだ。初日から遅刻をするなんて、非常に情けないじゃないか。親にも呆れられそうだ。だからなんとか戻らねばならない。


 しかし闇雲に歩いてみても、適当に階段を上ってみても。他の人に出会うことはなく、閉められた各教室の中にも人がいる様子もなく。この学校がどれだけ広いのかを痛感するだけで、一向に帰路は定まらない。


「まいったなぁ……」


 ワタルは独り言を廊下に響かせた。

 すると床に映る自分の影のすぐ横に、ヌッと大きな影が現れた。


「……あの」


「――おわぁっ!」


 突如聞こえた低めの声。なんの気配もなかったのにいきなりすぐ横に人の姿があり、ワタルの驚きは静かな廊下に反響した。


 見ればすぐ隣には――いや、隣を見てから視線を上に向ければ。

 そこには自分の頭一つ分は高い長身で、毛先がはねた銀髪を陽光で輝かせる男子がいた。


 なぜか、人がいる、という感覚がなかった。

 けれど彼はそこにいる。

 そしてものすごく、かっこいい。物語に出てくるような王子様とか、そんな印象を受ける。


「あ、あぁ、気がつかなくてすみません。ちょっと道に迷っちゃって」


 落ち着いた雰囲気を察し、相手が先輩かと思ったワタルは頭を軽く下げ、敬語で対応した。


「す、すみませんが、一年生の教室のある棟に連れていってもらえませんか? 一年二組なんですけど。忙しかったら教えてくれれば――」


「俺も、迷った」


 彼のその一言で、廊下にまた静寂が訪れる。

 ワタルは「へ?」と声を上げ、先輩かと思った人物を見つめる。よく見れば制服が新品だ。


「あ、あの、もしかして一年?」


 彼はうなずく。

 漂うオーラから先輩と思って緊張したワタルの肩からカクンと力が抜けた。


「な、なんだぁ、先輩かと思っちゃった」


「……ケイ、一年二組」


 彼は一言ずつ話す。なのでワタルも一言ずつ理解する。ということは彼は同じクラスで、ケイとは名前である。


 そんな彼を見てワタルは思う、笑わないな、と。さっきから笑顔もないし、動揺とかも見せない。でも悪い奴ではないのはわかる。


 ワタルも自己紹介をした。自分が今、迷っているということも伝えてみた。


 ケイはやはり笑わない。けれど彼のまとう雰囲気がふんわりと柔らかいものになったのを、ワタルは感じた。


「……じゃあ、一緒に行こう」


 ケイは右手を差し出してきた。お手をどうぞ的なその動作に、なぜ手を繋ぐんだ? と思ったが。ケイが至極当然のようにその状態でいるので、ワタルはちょっと気恥ずかしさを感じながらもその手を取る。


 さっき抱いたイメージ通り、ケイは本当に王子様みたいだ。カッコいい、と素直に思う。


「あ、ありがと……ケイちゃん」


 手を取ってくれたケイを、なんとなく軽い調子で接してみたくてそんな呼び方をしてみた。ただなんとなくだ。


 するとケイの表情に変化があった。目を見開いたのだ。髪の色と同じ銀の瞳が自分を捉え、潤んだように見えた。

 喜んでくれた、多分――そんな気がする。


 その後、散々二人で校内を迷ってしまったのは、言うまでなかった。





「……さっきのケイちゃん、迫力あったなぁ」


 アサキとのそんなこんながあり、結局授業に遅刻はしたものの。無事に授業を終えて教室に戻る道中、ワタルはみんなが来てもみくちゃにならないうちに、一人で一番後ろを歩くケイに声をかけた。


 ケイはいつもこうして他の生徒達とは距離を置いている。一学期はほとんど自分、コウタやシドウ以外とは話さなかったのではないかと思う。


 直接は聞かないが、多分ケイはとても人見知りなのだろう。自分とはよく話をしてくれるから、人や会話が嫌いというわけではなく。


 けれど自分には打ち解けてくれていると思うと、ちょっとだけ優越感がある。それはとても嬉しいことだ――だってケイみたいな頭脳明晰で容姿端麗、無表情だけど優しくて、たまにボーッとしたかわいいところがある奴と仲良くできているなんて、嬉しいじゃないか。


「さっき……悪かった。怖かった?」


 ケイは気落ちしたように頭を下げながら言った。


「え、なんで」


「俺、あんなことしたから」


 それはアサキの手首を掴み、彼を威嚇したことを指しているのだろう。怒りを宿した彼……そうは言っても無表情だったけど。

 でも自分には怒っている、というのが目に見えてわかった。


「そんなことないって。そりゃ、ケイちゃんが怒る顔なんて初めて見たけどさ。それでも怖いなんて思ってないって」


 ケイはチラッとこちらを見ると「そう?」と目で訴えていた。


「むしろ、嬉しかったっていうかな。アサキにも言われたこともビックリだし、みんなが突然わいて出てきたのもビックリだったけどな」


 ワタルは苦笑しながら、ケイの肩をポンッと叩いた。


「でもケイちゃん、俺のために怒ってくれたんだろ? それって嬉しいじゃん……なんかあれば助けてくれんだって思えるし……あっ、俺、ケイちゃんにはいつも助けられっぱなしか」


 それはよくないな、と思った。助けられているなら、お返しもしなければならない。

 ワタルは自分の頬を指でかきながら考える、自分は彼に何ができるのだろう。


「……今すぐ何か借りが返せるわけじゃないだろうけどさ、もしケイちゃんが何か困ってることがあれば、俺でよければ言ってくれよ。なんでも、するからさ」


 学力も特に秀でた部分があるわけではないけど、いつか彼に役立てる機会があればいいなと思い、ワタルはケイに告げた。


 するとケイは足を止めた、止めてジッとワタルを見つめた。相変わらず何を考えているのか、表情からは読めないが。


「どうした、ケイちゃん――ほら」


 見動きしないケイに向かって、ワタルは彼がいつかしてくれたように手を差し伸べた。ケイがやってくれると王子様のようなこのスタイルも、背丈低めな自分がやると親に手を求めている子供みたいに見えるかもしれない。

 まぁ、仕方がないけど。


 そうして自分の背丈を恨めしく思っていると差し伸べた手が握り返される。温かい、柔らかな、でもガッシリと厚みのある男らしい手。

 その手を握るのは二回目だけど、嬉しくて胸が踊ってくる。


「……ワタル」


 ケイは握った手に力を入れる。


「お前は俺と、接してくれる……何も疑わず、素直に、自然に……そんな、お前が、特別だから……俺の特別だから」


 そう告げると「えっ」と困惑するワタルの手を引きながら、あとは無言で前へと足を進めていった。

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