第2話 増えたクラスメート

 それは外は快晴、まだまだ真夏日の二学期開始二日目のことだった。

 朝のHRを始めるために黒髪真面目系の担任、小田野が教室へと入ってきた時、その後ろをついてくるもう一人の生徒にクラス中の視線が集まった。


 ふんわりとした青いショートヘア、それに反した赤い瞳。180センチ以上はある長身はモデルのように足が長く、鋭い目つきがこちらに向けられると、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる。


 そんな目を見張る人物を前に、ワタルは胸の鼓動の弾みと共に大きくため息をついた。


 なんというか、怖い。そんなオーラもあるけれど……それよりもすごくかっこいい。良すぎていつまでも眺めていられそうだ。

 しかしケイもシドウも、コウタもまぁそうだけど。このクラスってイケメン率が高いかもしれない……肩身が狭いな。


 ワタルが自信喪失することを考えている中、小田野は隣に立つ長身を見上げながら人の良さそうな笑みを浮かべた。 


「しっかしまぁ、背が高いなぁ……うらやましいよ。あっ失礼、今学期の編入生を紹介するよ、自己紹介いいかな?」


 小田野に促され、青い髪の男子はうなずく。赤い瞳が左右に動き、三十人――いや、今は彼を入れて三十人となったクラスメートの顔を順に眺めていく。


 その視線が教室の中央に席を持つワタルの方へたどり着いた時、そのまぶたが数回瞬く。なんの意味があるのか、意味なんてないのか。気のせいだったのかもしれないが。

 でも赤い瞳が無性に気になり、自分も目を離せなくなる――きれいな瞳だなぁ、と思った。


「……アサキです、よろしく」


 アサキと名乗った男子は笑いもせず、それだけを言うと指示された席へ移動した。

 そこは退学処分で空席となった、ワタルの斜め前の席だった。






 次の授業は教室を移動しないといけなかった。なので真っ先に移動したはいいものの、肝心の筆記用具を忘れてしまい――ワタルは泣く泣く、教室にトンボ返りをしていた。


「あぁ、めんどくさい」


 そんな独り言を呟き、教室に足を踏み入れる、と。そこには他に誰もいない教室に一人だけたたずむ、まだ見慣れない後ろ姿があった。


「……あれ、アサキ、だっけ。今さっき向こうに移動していなかったっけ?」


 高い位置にある青い髪が振り向き、赤い瞳がワタルの目に映る。見慣れないせいか、それともきれいで神秘的なせいか。その瞳を見ていると彼の元へと引き込まれるような、不思議な感覚に陥る。


 それに彼のまとう雰囲気は他の生徒とは何かが違う。

 なんというのか、ここにいるのが、ちょっと違うような。生徒っぽくないような、大人びているような……そんな感じだ。


 今さっきまで他のクラスメートに連れられ、移動先の教室にいたような気がしたのに。おかしいな、と思っていると。

 アサキは相変わらず表情を変えないままで、口を小さく開いた。


「……忘れ物、オレも」


 そう述べるアサキの手には自分と同じく、筆記用具が握られていた。自分同様、彼も忘れっぽいところがあるのかも。そう思うと怖い印象が緩和され、少しホッとする。


 それにしても編入初日でよく教室間の移動ができるなぁ、と感心する。この高校は学年ごとのクラスも五つあり、理科室や音楽室は別棟に移動をしなければならないほど広い。


 自分も慣れるまで一ヶ月はかかり、それまでは迷子になって遅刻しては小田野の頭を悩ませていた一人なのだが――ちなみに迷子はケイやコウタ、シドウも含まれている。

 アサキは学校に詳しかったりするのだろうか。


「アサキって、この辺が地元なのか?」


 そうであるなら、学校のことを知っている可能性もあるから。兄弟がいたから、年に一回ある学校祭に来て教室の場所を覚えたから、とか。

 しかしワタルの予想に反し、アサキは首を横に振った。


「……地元と言えばそうなのもしれないが……けどオレの知っているのは、古い記憶しかないから……当てにはならねぇな」


 そう言うアサキに対し、ワタルは「そうなんだ」としか返せない――古い記憶ってなんだろ、不思議な奴だなぁ。

 そんなふうに考えていると授業開始五分前を知らせる予鈴が教室に鳴り響いた。


「あっ、ヤバい! 走らないと間に合わないぞ」


 ここから移動先までは別棟へ行かなければならない。これではまた遅刻だ。急がないと。


 ワタルが筆記用具を握りしめた時だった。アサキの長い両腕がスッと伸びてきて、ワタルの両肩の上に置かれた。


「えっ?」


 驚きに目を見開き、アサキを見上げる。赤い瞳は一瞬光ったように揺らめき、見た者の――「なんだよ」と言おうとしたワタルの言葉を失わせた。


 赤い瞳、血のような瞳……生きた気配を感じない、かすかに不気味な瞳。

 そんな瞳に釘付けになっていると、アサキの口からとんでもない言葉が出てきた。


「オレ、お前のことが好きだ」


 それは面と向かって、生まれて初めて聞いた言葉。もちろん幼い頃に両親には言われたかもしれない。

 だが今回は相手は血の繋がらない人物。

 かっこいいと思う男子。

 でも出会って二時間も経っていない。


「……はい?」


 開いた口が塞がらなくなる、という感覚を初めて知った。赤い瞳が自分を射抜くように見ていて目を反らすことを許さない。


 何も行動ができないまま瞳を見ていたら、赤い瞳がさらに自分のすぐ目の前に迫ってくる。

 自分は何も抗えないまま、そのきれいな赤に吸い込まれていく――。


「ア、アサキ」


 大きく、痛いぐらいに心臓が弾む。一回だけ、ドクンと。頭のてっぺんから足先までが一気に、瞬時に熱くなった。


 そんな束の間のことであったのに。

 自分は周囲に変じた状況に全く気がつかないでいた。


 ハッとしてワタルは周囲を見渡す。

 いつの間に。

 なんで気配に気がつかなかったのだろう。


 見れば自分の両肩を押さえていたアサキの手は、その片手を無表情のケイに掴まれており、自分の右腕には怒ったような表情のコウタがまとわりついており、左肩には不愉快そうに目を細めたシドウの顎が乗っかっている。


 本当に気がつかなかった。


「何、してる」


 ケイがアサキの手首を掴み上げ、悪事をしでかした犯人にたずねるように述べる。その目は普段感情を宿すことがないのに、今は怒っているというのがわかるほど二重のまぶたが細められ、アサキを蔑視している。


「ボクのワタルに何かしようとしていたよね。編入初日からいい度胸」


 ワタルの右腕にしがみついているコウタは、そう言うとさらに力強く腕を掴んでくる――って、『ボクの』ってなんだよ、とツッコミを入れたくなったが、入れないでおく。


 けれど普段小うるさいばかりのコウタの真剣な表情は、見ていて背筋が寒くなった。笑顔で怖いことを平気でやりそうな、そんな裏表のある人間の雰囲気を感じたからだ。


「まあ、編入生だからねぇ。この高校のルールを知らないのなら、教えてあげないとだな」


 シドウはそう言って、ニッと口角を上げる。いつもおちゃらけた彼が企みに満ちた笑みを浮かべる、その様子も怖かった。コウタと同じように恐ろしいことを平然とやらかしそうな、心霊現象を意図的に起こしてしまいそうな。オカルト好きな彼だからこそ、できることをやりそうな気がする。


 みんながみんな、怪しい空気を漂わせている。いつもはなんだかんだで楽しく会話をするメンツであるのに。

 今はそれぞれが敵意をむき出しにしている。


 アサキはそんな三人を目尻で睨み、ケイが掴んでいる手首を引っ張るが、ケイは離さなかった。それを忌々しく思ったのか、アサキが舌打ちをする。

 明らかな険悪な雰囲気。今に誰かが殴りかかるのでは。そんな空気が漂い、ワタルは胸が痛くなった。


「ちょっと、みんなっ」


 止めなければ。ワタルが動こうとした時、教室内――学校全体に授業開始のチャイムが鳴り響く。


「あっ」


 それはその場にいた全員が口にした言葉だった。

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