第2話 違和感 〜始まりの街ダンク編〜
朝、起きるとすぐ仕事の支度をする。
郵便屋さんは朝が早い。
父譲りの、どうやっても真っ直ぐにならない癖の強い焦茶色の髪を紺色のキャスケット帽の中にどうにか収め、父の愛用していた茶色いジャケットを羽織る。
16歳で小柄なレッシュには、まだ少し大きすぎたが、着心地がとても良いので仕事の時にいつも来ていくようにしていた。
仕事で使用する金のラッパに結んである、三つ編みされた赤色の長い紐を首から下げると準備完了だ。
家を出ると、まだ満天の星が輝いていた。
夏とはいえ、朝はまだ肌寒いな…。
レッシュは空を覆い尽くす程の星を見上げた。
こうして星空を見上げていると、昔、母が星を見ながら言っていた言葉を思い出す。
「これから楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと、沢山色んなことを経験すると思うけれど、これだけは忘れないで。
お星様はいつもお空の上にいて、あなたの事を見守っているわ。母さんもね、あなたくらいの歳の時、お星様によく話を聞いてもらっていたわ」
………。
一瞬、流れ星のようなものが視界を横切っていったように見えたが気のせいだったようだ。
地面に目をやると、丘の草花は優しい風になびかされ、サラサラと心地の良い音をたてている。
レッシュは海を見た。
日が昇るまでまだ少し時間があるようだ。
ほんのり水平線の方が明るくなりはじめているが、太陽はまだ見えない。
目を閉じてゆっくりと深呼吸してみる。
ひんやりとした空気が肺に入ってくるのと同時に、身体中が丘に咲く花の甘い香り、草の香りや潮の香りに満たされた。
…よし。
レッシュは丘を降りはじめた。
………
職場である郵便局は本屋と一緒になっていて、父の幼馴染である、マシュが店主をしている。
レッシュがこの街でまともに話せるのは、マシュとマシュの妻ペティナだけだった。
他の人達とは挨拶を交わすことはあっても、それ以上会話することは無かった。
………
丘の上からは街がよく見える。
この時間帯いつも明かりがついているのは、この丘と反対側にある森を抜けたところの灯台と、マシュの店、あとはダンクで1番人気のパン屋くらいだった。
パン屋で売っている、ダンクで取れた白身魚をフライにして、特製ソースと野菜をフワフワのパンで挟んだ〝ダンクサンド〟というサンドイッチは絶品で、午前中にはいつも売れ切れてしまっていた。
レッシュはこのダンクサンドが大好きだったが、朝早くから働いていた為、なかなか食べられずにいた。
想像するだけでお腹が空いてしまう…。
………
レッシュは急足で丘を降りながら街を眺めた。
すると街の様子がいつもと少し違う事に気がついた。
少数であったが、街の中をフラフラと小さな明かりが動き回っているようだ。
最初はただ散歩している人がいるのかな、くらいにしか思わなかったが、その明かりの動きにレッシュは違和感を覚えた。
まるで何かを探しているかのように同じ場所を行ったり来たり、止まったり動いたり、光がついたり消えたりを繰り返している。
嫌だな…。
レッシュはいつもと違う街の様子に少し恐怖を感じながら先を急いだ。
自宅がある丘を降りるとすぐに浜辺があり、そこには船着場がある。
船着場にはいつも漁師たちの小さな船が12隻泊まっているのだが、どうやら今日は一隻多いようだ。
レッシュは思わず身震いした。
いつもは無いこの船は、ボロボロではあったが、他の漁師の船とは違い、帆は黒く、船も少し大きいように見えた。
黒い帆は、風が吹くたび不気味に揺れている。
それに船着場にはいつも見張りのおじさんが座っているのだが、今日に限って何故かいないようだ。
「早くマシュさんのところに行かなきゃ」
レッシュは一刻も早くマシュにこのことを伝えなければならない気がした。
街の中には、先程丘の上から見た、明かりを持つ人々…恐らくあの大きな船に乗ってきた人々がいると思われたので、レッシュは念の為、静かに隠れながら進むことにした。
家の影に隠れながら息を潜めて慎重にゆっくりと進む。
出来るだけ音を立てないように…。
ふと歩みを止めると、自分の心臓の鼓動がきこえてくる。
レッシュはその音があまりにも大きく感じられた為、すぐ近くにいるかも知れない謎の人物にこの音を聞かれていないか心配になった。
ダンクの街は家と家の間が狭いため、隠れるにはもってこいだった。
ほとんどの家が煉瓦造りの三階建で、皆同じような形をしている為、初めてダンクに来たような人はよく迷子になってしまう。
家々を結ぶ道はどこも細く、家と同じような煉瓦が敷き詰められており、太陽が出ている時間帯は街全体がオレンジ色に見えた。
角をあと3つ曲がればマシュの店だが、2つ目の角を曲がろうとした時、角を曲がった先の通路に手持ちランプの灯りが見えた気がした。
レッシュは慌てて家の影に身を引っ込める。
息を殺していると、男の低い声が聞こえてきた。
「…本当にこんな街にあるのか?
もう夜が明けちまうよ…」
すると続けて違う男の声が聞こえてきた。
「ある、って言ってるんだからあるんだろうよ。ペクトリー様は嘘はつかねぇ」
「でもよ、さっきからどの家に入っても見当たらねぇんだよな。…あと探してないのは、明かりがついているパン屋と本屋だけか」
2人の男は何かを探しているようだ。
…ペクトリー様って誰だろう?
「流石に、起きている人のところへ行くのは気が引けるな。…今日の夜にするか」
「いや、駄目だ。ペクトリー様は今日の昼にどうしてもここを出たいんだとよ。なんたって次の目的地は夜の街、ダーレンだからな」
「ダーレンか!そりゃ昼にはここを出なきゃだな…。なんたってあそこは夜に行かなきゃ意味がねぇ!」
「よし!そうと決まれば〝訳が分かなねぇ日記〟なんかさっさと見つけ出してとっとと戻ろーぜ!
…先にパン屋の方にいくか!さっき「小麦粉が足りないじゃないか」とかなんとか言いながら太った奴が店を出ていったのが見えたぜ?」
男たちはその場から立ち去った。
「〝訳が分からない日記〟…?」
レッシュには心当たりがあった。
〝ジェフの日記〟だ。
あいつらは、あの日記を探しているに違いない。
だが、あの〝ジェフの日記〟は両親が行方不明になってからどこを探しても見当たらなかった…。
とにかく、男たちがマシュさんの店に行く前にこの事を知らせなくては。
どうにかしてマシュの店に着くと、心配そうにしているマシュがレッシュを迎えた。
「レッシュ、おはよう。…珍しく遅かったな?…体調でも悪いのか?」
マシュはレッシュの顔をまじまじと見た。
………
マシュは40代半ばくらいの大柄な男だ。
髪はかき上げられ、綺麗に束ねられて頭の後ろで小さく結ばれていた。
いつも使い古されたエプロンをしており、エプロンのポケットからは毎日決まって1つだけ、小さなキャンディが出てきた。
マシュはそのキャンディを「いけねぇ、人からもらったのにポケットから出すの忘れてた!…これはお駄賃だ」と決まり文句のように言いながらレッシュにくれた。
しかしらマシュがこっそりお菓子屋さんでそのキャンディを毎月ごそっと買っている事をレッシュは知っていた。
少し照れ屋なとっても優しい人なのだ。
レッシュはマシュが大好きだった。
…………
「マシュさん…」
レッシュはマシュにまず、時間がない事を知らせると、先程見てきた事を簡単にマシュに話した。
マシュは驚いていたようだったが冷静だった。
「こうしちゃいられねぇ、ここは危ない。
すぐここから出るぞ。」
マシュは店の奥に行って自分の荷物と、ボロボロの新聞紙に包まれた何かを抱えてくると「あえて会話しながら家へ向かうぞ。そいつらはどうやら人と会いたくねぇみたいだ」と言い、店の明かりを消し、レッシュと共に急いで店を出た。
扉に鍵をかけると、マシュは突然沢山息を吸い、大きな声で話しかけてきた。
「あーぁ、やってらんねぇ!疲れた!
もう帰るぞ!!」
あんまりにも大きい声だったのでレッシュは驚いてマシュを見てしまったが、マシュは無言のままレッシュをみて必死にうなづいている。
まるで「何か続けて」と訴えかけているように見えた。
レッシュもマシュの真似をして、これでもかと息を吸った。
「帰ろう帰ろう!もうお腹が空いたよ!」
マシュはニヤっと笑うとレッシュの手をとり、自分の家の方へ歩き出した。
大きな声で「帰る」宣言したからか、道中ずっと大声で話していたからなのか、人と会いたくなさそうにしていた例の男達とは会う事なくマシュの家に着くことが出来た。
先程仕事へ行ったはずの夫が急に帰ってきたので、奥さんのペティナが何事かと寝室からすごい勢いで出てきた。
「あんた、仕事は?」
ペティナは目を見開いている。
「今日は辞めだ」
マシュは家中の戸締りを確認し、カーテンなどもきっちり閉めると声を落とした。
「……とうとう、動き出したらしい」
それを聞くとペティナはマシュの影に隠れていたレッシュに気がついたようだ。
ペティナはレッシュに近づいて、レッシュが被っていた紺色の帽子をとり、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「レッシュ、無事で良かったわ」
レッシュはマシュの言う「動き出した」ものが何の事だか全く分からなかったが、ペティナの着ているピンク色の寝衣に〝愛してるマシュ〟という赤い刺繍を見つけてしまい、そこから目が逸らさなくなってしまった。
ペティナはレッシュの視線に気がつき、ようやく自分が寝衣のままだった事に気がついたのか
「やだ恥ずかしい!」
と一言残して再び寝室に消え、あっという間に普段着に着替えて現れた。
「失礼したわ…。
…あなた、〝動き出した〟って、レッシュの両親がいなくなったのと関係あるのかしら」
レッシュは思わずペティナの方を見た。
マシュはうなづく。
…さっきの男達は両親になにか関係があるのか?
「恐らくそうだ。
レッシュ、さっき君は男たちが〝訳の分からない日記〟と言っているのを聞いたんだよな?」
レッシュはうなづいた。
「…でも、恐らくあの人達が探しているだろう〝ジェフの日記〟は、両親がいなくなった後、家中隈無く探したけど、どこにも無かったんだ…」
マシュは、うんうんと相槌を打ちながら聞いている。
そして少し申し訳なさそうに頭をぽりぽり掻いた。
「それはそのはず。
なんたって、その〝ジェフの日記〟は俺が持っているのだから」
マシュは手にしていた新聞紙に包まれたものを、テーブルの上で広げて見せた。
中からは、昔、父に見せてもらったあの日記が昔と変わらない状態で出てきたではないか。
レッシュは言葉を失った。
マシュは続けた。
「レッシュ、教えてやらずにごめんな。
この日記は、マルク達が行方不明になる前に俺がマルクから預かっていたんだ。
マルクは言っていた。
『この日記をしばらく預かっていてもらいたい。
どうやら私たちが伝説について調べている、という事が〝彼ら〟に知れてしまったみたいなんだ。
誰にも言うなよ』と。
マルクが言っていた〝彼ら〟が何なのかは俺には分からないが、そいつらの手にこの日記が渡るのは良くないってことは分かった。でもな…」
マシュは日記のページをめくった。
「数多くの本を取り扱ってきた俺でさえ、一文字も読めねぇんだ」
レッシュはマシュがめくっていくページをじっと見つめた。
どこかの国の言葉がぎっしりと書かれているが、一文字も読めない。
…父のようにこの文字が読めたら…。
「…これからどうするの?この日記を探している男たちは、これが見つかるまで帰らないんじゃないのかしら…」
ペティナが静かにきいた。
マシュは、うーんと唸った。
「確かにな…。
それにしても、何故あの男達はこの日記を探しているのだろうか…どうせ読めないだろうに」
レッシュも同じことを考えていた。
まず、何故、伝説の王の側にいたとされる人物の日記を父が持っていたのだろう。
確かに父は古代文字を研究していたけれども、世に出せば、歴史がひっくり返ってしまうかもしれないこの日記の存在を、父は何故か隠し続けた。
それはどうしてなんだろうか。
世に出してはまずい事が書かれているのだろうか。
ただ、今の時点で分かっているのは、父にしか読めないような古代文字で書かれた日記を男達が欲しがると言うことは、恐らく彼らはこの日記がどういう物かを知っていて、さらに日記を読む何かしらの手段がある、という事だろう。
なぜ、日記がダンクにある事を知っていたのだろうか。
もしかしたら両親を誘拐したのは彼らで、父から日記の事を聞きだしたのではないだろうか…。
日記を手に入れ、父に訳させる。
…でも、親友に託した日記の存在を、父が悪い奴らに話すだろうか…。
もしかしたらマシュさんが危ない目に遭わされるかも知れないのに…。
レッシュはうつむいた。
考えていても答えは分からない。
…せめてここに何が書かれているかが分かれば!
何故父がこの日記の存在を隠そうとしていたか、何故男達がこの日記を欲しがっているのかが分かるかも知れないのに…
ちょうど開かれたページには、太陽王が金色の楽器を吹いている絵が描かれていた。
この日記を書いたジェフも、母と同じように絵が上手だったんだな…。
ジェフが描いた〝太陽王〟と母の描いた〝ルーラン〟はとてもそっくりだった。
〝艶やかな黒髪〟
〝青色の中に緑の光を宿した綺麗な瞳〟
……。
気がつくとカーテンの向こうが明るくなっていた。
日が昇ったのだ。
外から街の人々が動き出した音が聞こえる。
…朝だ。
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