第27話 マリンのほろ苦い一日
マリン・スノーは元アイドルである。
ユダのエージェントと大人気アイドル、学生生活の三重生活を生きた彼女はある事件で命の危機を迎えていた。
SIAのレオハルト・フォン・シュタウフェンベルクと彼の部下であったシン・アラカワの二名の尽力によって、その若い命は救われたが、アイドルとしての生活を永遠に失うこととなった。
そんな彼女は現在、SIAのエージェントとして第二の人生を歩んでいる。公ではマリン・スノーという人物は共和国の管理下に置かれ、政府の協力者としてどこかの部署で保護されているということになっている。
共和国の重要証人保護プログラム、彼女はその適応を受けていた。
コードネームは『K』とされる。彼女はある兵器と命を共有しており、その兵器名の一部がコードネームの由来である。
「……これで全部ね」
スーツに身を包んだ彼女はあらゆる書類仕事を迅速かつ完全に片付けた。
彼女の脳が若い上にナノマシンで強化されていることも仕事の速さの要因であったが、それ以上に彼女自身が地道に作業に慣れることを努力していたからだった。
「お疲れい、コーヒー置いとくぜ」
「サイトウさん、ありがとう」
彼女の仕事の様子を見に来たのはサイトウ・コウジ中尉であった。その性癖から『変態』だの『マゾヒストの人』だので変人ぞろいのSIAでも、その筆頭として扱われる人物であり、マリンも最初は警戒はしていた。だが、内面は情に篤く、茶目っ気を出しながら分け隔てなく人を大切にする優しい人であることをマリンは徐々に感じとっていった。
「礼はいいぜ。後で踏んでくれればさ」
「あ、あっはは……ブレませんね」
サイトウはカラッとした笑顔で性癖全開の発言をしていた。それに苦笑しつつもマリンはサイトウが自分を気遣ってコーヒーを持ってきてくれたことに深く感謝していた。
「Kちゃん、美人さんだからな。男として気遣いしないと損だと思ってな」
「ありがとう」
「……色々大変だったろうしさ。あのシンがあんなに気を遣うからよ。無下にはできねえ」
シン・アラカワの名前を出すサイトウの顔は懐かしさが滲み出ていた。マリンはその表情をすぐに察してこう答えた。
「うん。シンさんとは知り合い?」
「古い戦友。激しい戦いだと大概、一緒だった。あいつは性癖は別に普通だったが、それ以外で気が合ってな。組めば無敵だった。あいつといるとやべえ状況もすぐにひっくり返る」
「へえ……」
「ジョルジョとスチェイもいるときは特に最強だったぜ。空中はジョルジョ、後方からの支援はスチェイに大きく救われたぜ」
「ジョルジョさんは分かります。でもスチェイさんはどんなことを?」
「あいつの凄いのは人脈と事務方での支援だ。正規軍出身だから事務から物資の補給要請から兵器の整備の手続までなんでもやれる。あいつ手慣れているぜ?」
「へえ……」
「現場の人員で頭切れるのはシンとスチェイはツートップだからな。佐官や将官にまで発言権がある人物はあいつらぐらいのものだからな。SIAがここまでの組織になったのはあいつらの尽力が大きいな」
「まぁ、そんなに……」
「ああ。だが今となってはスチェイ以外にも人員がいるし、シンは自分の警備会社を立ち上げたからな。サブロウタの旦那にこないだのお礼言っとかないとなぁ」
マリンは恩人であるシンの功績の大きさを実感しつつ、コーヒーに口を運んだ。
「……アイドルの時はコーヒーなんてって思ってたけど。美味しいものね」
「レオハルト中将が凝っているからな。彼が来るまでここのコーヒーは不味い方だって有名だった」
「うそ、そうなんだね」
「中将の旦那は名家の出身だけあってその辺のセンスは光るものがあるからな。最も少尉だった時のペーペー時代は相当苦労なさっていたがね」
「上官にそこまで言って良いの?」
「上官であると同時に同志だからな」
「なんの同志?」
「正義。人助けと平和の守り手さ」
「……正義か」
「あ、悪りぃ。気を悪くしたか?」
「ううん、アイドルには未練があるけど、それ以上に孤独な人を助けたい気持ちはあるから」
「……そっか。とっても立派だ」
「サイトウさんはどうして軍へ?」
「理由はねえな。元々は傭兵だったし」
「傭兵?」
「貧しい惑星の貧しい家で生まれて、生きるために武器をとって戦って……俺の少年時代は最悪だった。マフィアやギャングとやり合うことも珍しくねえ、そんな狂った時代だった。……すまねえ、幻滅したかな?」
「私だって似たようなものよ。苛めた連中に復讐して、力に溺れて……挙句、偽善者だと敵だった男に蔑まれて……」
「……偽善者ねぇ……偽善者になれるならそっちがよかったよ」
「え?」
「俺は偽善どころか人殺しとして生きるしかなかった。そんな俺からすれば、人を偽善者呼ばわりして気分良くなっているバカの方が憎い」
「……そう」
「……なあ、ユダの仲間になった理由ってなんだ?」
「え」
「俺としてはしっくりこねえよ。お前はユダの仲間だったろうにどうしてお前は仲間として見てもらってなかったんだ?」
「……私が力に溺れて、仲間になろうとしなかったからだと思う」
「協調性か……俺も駆け出しの傭兵だった時は苦労したぜ。へへ」
サイトウはそう言って冗談ぽく笑みを浮かべた。
「……好きだったんだろう。ハヤタの兄ちゃんが」
「へ!?」
「アイツはヒーローとして名が売れているからよ。わからなくはねえぜ」
「嫉妬しない?」
「意味ねえからしねえな。人様と俺とじゃ色々と違いすぎるからよ」
「そうなんだ」
「それにアイツは正義正義で毎日充実しているだろうけど、アイツはアイツで世界を背負い込もうとして身近なやつにすら構う余裕がなさそうだしな。なんというかあっちも苦労してそうだなって思ってよ」
「……ありがとう」
「……礼なんてどうし……ああ、そういうことか……」
マリンの頬に人間的な滴が流れる。恋に振られたこと、芸能の道を断たれたこと、正義を成す者として半端で嘘に塗れていること。あらゆる自身の未熟さを思って彼女は泣いた。
「好きにすればいいさ。……他人も世界も、人生ですら残酷過ぎるからよ」
そう言ってサイトウは彼女の顔を見ないフリをした。
仕事を終えた後のマリンがサングラスをかけた状態で向かった場所は刑務所の面会室であった。
そこでマリンはある人物を待つ。
その人物は腰掛け、受話器を取る。マリンも彼の動きを見て同じようにした。
「久しぶり……お兄さん」
「……マリン」
マリンは兄のウィリアム・スノーと面会を行なっていた。
「ありがとうね。私のために」
「……いいんだ。こんな前科者にすまないな」
「私のためだもの。嬉しかった」
「…………そうか」
「…………」
しばらくの間、沈黙があった。
「……なあ」
「え?」
ウィリアムは不器用な口調で沈黙を破る。
「……仕事は順調か」
「色々あるけど、なんとかなっている」
「よかった」
「……そう思う」
「……シンだったか」
「ええ、シンさんたちにはすごく助けてもらえた」
「……会う機会はあるか」
「うん」
「……もし会ったら伝えてほしい」
「何を?」
「妹を助けてくれてありがとうと」
「……うん、伝える」
「それと……レオハルト中将に伝えてほしい」
「え?」
「妹のことを頼むと」
「うん、どうしたの?」
「どうしたって?」
「……なんでもない。仕事は大変だろうけど、俺はお前が生きてくれていれば幸せだ」
「何を急に……照れくさいわよ」
そう言ってマリンは微笑む。その顔は少女のように無垢であった。
「……すまない」
「えっと……?」
そこまで言ったところで刑務官が話を遮った。
「そろそろ時間だ。すまないが」
「わかっている。ありがとう」
面会時間が終わり、ウィリアムは刑務所の中へと消えてゆく。
その様子を見送った後、マリンはヴィクトリア・シティの雑踏へと戻るべくその場を後にする。面会室を出て、刑務所を後にし、高級そうな黒の水素自動車の扉を開けて、車の音楽を聴く。
外は既に夜になっていた。
現役アイドルの頃は他のアイドルの歌謡曲やポップス、ロックやフォークソングなど多種多様な音楽を合間に聴くことが多かった。だが、アイドルでなくなった最近の彼女は専らジャズを聴く。落ち着きを取り戻すこととを重要視するためか明るい曲や陰鬱な曲を避けるようになった。
「……いい曲ね」
車のエンジンをかけたマリンはジャズの音色を楽しみながら、ブラウニー地区へと向かう。映画スタジオの多いところを避け、自然公園や博物館、記念館の多い地区を目指していた。
煩わしい雑踏を避け、自然の中で精神の安定を彼女は求めていた。
公園の木々には夏の気配があり、どこか空気に熱気があった。
街頭の光だけが舗装された歩道を照らしていた。
「……」
マリンはサングラスを外して空を見上げた。
この日の夜、星空が綺麗で無数の星々が瞬いていた。
マリンは時を忘れ、星々の輝きに心を委ねていた。激動と苦難の半生を送る彼女とは裏腹に星々の輝きは不変であった。
それを楽しんだ後、マリンはサングラスを再び着ける。そして彼女は車に戻った。
自宅に戻ろう、彼女はそう思ってマリンはエンジンキーを回した後であった。
通知音。
マリンは携帯端末の画面に手を触れた。
「はい。こちら『K』です」
「スチェイだ。すまないが、早急に調べてほしいことがある」
「なんでしょう?」
「ヴィクトリアの宇宙港にホテル・レニグラードの幹部構成員と思われる人員が映像に写っていた」
「ホテル・レニグラード……ツァーリン系マフィアですか」
「そうだ。君にはある人物の監視を頼みたい。ガリーナ・アリョーシャ、別名『傷のガリーナ』と呼ばれた女だ」
「……裏社会では有名だと聞いております。組織内では『少佐』とか『大隊長』とも称されているとか」
「そうだ。今回の任務は監視だけでいい。無理に追尾はするな。相手は冷酷かつ強力な存在で君自身が殺害される可能性も十分にある。警戒されない範囲内で今現在の彼女の行動を可能な限り多く調べてほしい」
「承知しました」
マリンはそう言って通話を切った。彼女は何かを呟く。
「まず潜るべきね……」
そしてマリンは車を走らせる。行き先はパーソナル電脳端末が設置されているSIAの隠れ家である。彼女のハッキング技術はプロのクラッカーにはいくらか劣るがそれでも彼女にはSIAでの手解きを受けた為か、そこいらの雑魚敵に負ける要素は存在しなかった。
「……骨が折れそうな仕事だわ」
マリンはそう呟きながらアクセルを踏む。彼女の車は大通りを疾走し隠れ家があるであろうどこかへと姿を消した。
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