第26話 ギャング・イン・マッドネス

再興歴三二八年の六月。シンが新人のスカウト業務を行っていたその日のことである。

ユキ・クロカワはダニエル・グレイからの依頼を聞くべくヴィクトリア・シティ某所の公園で落ち合っていた。

公園では電灯の光だけがある。ベンチに腰掛けたダニー警部補に背を向けるようにしてユキは仕事の交渉を開始する。都会の喧騒から置き去りにされたブラウニー地区の公園で二人は会話を始める。

「最近は縁があるわね」

「お互い仕事だからな」

「……ギャング絡みね」

「流石はユキ女史」

「どの連中?」

「どれもだ」

そう言ってダニー警部補は三つの写真をユキに手渡した。

「……共和国内、ヴィクトリア・シティでこいつらを見るとはね」

ユキが手渡されたのはそれぞれの画像である。まずガーマ復権派残党の団長代理、次にアズマ国のギャングいわゆる半グレ集団のトップ、そして急進女尊主義セクトのリーダーが映った顔の画像であった。

「……厄介な連中だ。俺の知っている部下も大怪我を負わされたし、現場で死者が出ることもあった」

「死者?」

「マフィアとの繋がりが噂された汚い警官だったが、あんな最期はヤツも不本意だろうな」

そう言ってダニーはタバコに火をつける。

「ヤツをやったのは……急進女尊主義のこいつだ。こいつの手で股間のものを切断された後、火で全身を炙られて殺害された」

「随分と過激ね」

「あいつら狂ってるからな」

「そんなレベル?」

「ああ、マジでアイツらは話が成立しねえ。敵対しているギャング同士の方が話が通じるレベルだ」

「それは深刻ね」

「そうだ。そいつらが街で潜伏している」

「……捜索と引き渡しは高くつくわよ?」

「かまわない。この件は警察の上層部からの依頼だ。奴らは電脳接続しているからお前が探すのは簡単だろうな」

「警察のお偉いさんとはね……随分珍しいけど証拠は?」

「ここに」

ダニーは持ってきた契約書を見せる。そこにはヴィクトリア・シティの警察署長他、複数名の幹部の署名がされていた。

「警察は複数の案件に追われている。しかも人員をやられて士気が落ち込んでいる」

「警官に動じないとは相当な連中ね。イカれてる」

「ああ、相当狂っている。イデオロギーで大量虐殺すらやりかねないが、我々の側の人員がやられ過ぎている。軍隊経験者のお前らに頼むのは当然の帰結ということだ」

「尻拭いにしても相当な任務だわ」

「お前らに頼むのは俺としても反対だったが、上層部の意向なんでな。くれぐれも頼む」

「わかった。お互い大変ね」

「よりにもよって同情されるとはな」

「宮仕えする苦労は分かるから」

「……そういえばそうだったな」

「それじゃ、報酬は指定の口座に」

「うまくいけばな。通信の制限システムも解除しておく。好きにやれ」

「了解」

そんなやり取りをした後、ユキはダニーと別れて街の探索を開始した。ヴィクトリア・シティの喧騒はいつも通りだが、パトカーや警察用のドローンが街を行き交っていた。

市民たちはいつも通りの日常を謳歌しているが、警官たちの顔には明らかな緊迫感があった。ユキは自身の体に搭載された表情診断アプリを起動してそのことを把握していた。

「……この辺りね」

ユキは指定されたポイントに辿り着く。

彼女は自身の首元から接続ワイヤーと取り出す。防壁装置を経由して腰の無線ルーターに接続すると、彼女の意識は都市の回線と一体化した。

肉体を離れ、シティ全体に流れる電脳の奔流にユキは身を任せ潜航する。

「…………いた」

電流と言葉と意志。

その奔流の中でユキは感情の反応を見出す。

一つは恐怖。死の感情に縛られた肉体がユキの500メートル先に存在していた。

一つは狂信。『恐怖』のそばに立ち高揚と狂気の中で『恐怖』の射殺を命じていた。

最後の一つは『緊迫』。彼は潜伏し、心拍の上昇する興奮の中で銃の扱い方を脳内で反復していた。

「……好きにした方が良さそうね」

ユキはまず狂信者こと『キリング・キャサリン』の暴虐を阻止することを決行した。

狂信者の意志、すなわち脳へと無線越しに意識を転移し制御を奪おうとすることが狙いだった。

これはブレインジャックと呼ばれ、サイボーグ処置を受けた人物に対して機械と神経系を通しているという根源的な弱点を用いたクラッキングの高等技術の一つである。本来なら違法で最悪の場合は無期刑もありうる闇の技術体系であるが、共和国警察から無力化と捕縛を許可されている状況だからこそ使えた技術であった。

もっともユキの目的は記憶改竄や意識破壊のためではなく、純粋に身体の制御を奪うことが狙いであった。

相手がクラッキング技術を持っていることをユキは危惧していた。だが、相手が電脳的反撃を行なってこないことからその心配は杞憂であると彼女は把握する。そこから後の彼女は全てが速かった。

混乱している周囲を流れ作業の要領で一つずつ意思を束縛してゆく。

ユキの恐ろしいところはその速度があった。

手順は『キャサリン』の無力化、潜伏しているギャングたちの意識凍結、そして逃げ出した『恐怖』ことゲルル・スタナーの身体制御の剥奪。

それらの作業が全て一秒以内に済まされていた。

ワンアクションで多大な戦果を。ユキの信念に裏打ちされた高度なクラッキングであった。

「……あのビルね」

そう呟いたユキは接続したまま歩き始める。その足取りは悠々と余裕としたものであり、急ぐ様子は皆無である。事実、ユキの精神状態は普段通りの状態が全てが制圧された目的地着くまでに維持されていた。

廃ビルの中に目標は存在していた。無力化された状態で。

「なんだこれは!これは悪しき男性か!こんな卑怯なやり方は男に違いない!」

そんな雑言を喚きながらキャサリンは麻痺した体をジタバタと動かしていた。

キリング・キャサリン。

暴行、傷害、脅迫、違法な義腕の前科あり。

前歴だけ見ると割とどこの国にもいるようなフルコースの悪人である。しかし、彼女を他の粗暴犯と一線を画する要素はその思想にあった。

男はそれ自体が悪であり、奴隷になるべき存在であるという思想。女尊男卑主義の過激派であり、度々映画会社をはじめとした娯楽産業や出版社に攻撃を加えることで警察やSIAにマークされている人物であった。

「女!?違う!お前は!名誉男性だ!お前は圧政者に屈した偽物じゃないか!」

「……確かにこれは意味がわからないわね」

キャサリンが放つ意味不明な罵詈雑言に辟易しつつ、ユキはキャサリンを拘束するために近寄る。するとキャサリンは不気味な嘲笑を浮かべていた。

「お、お前!?」

「あ?」

「お前!シャドウの奴隷の」

「誰が奴隷よ」

「男に尻尾を振るう女性もどきの名誉男性が!」

「……目玉ついてる?あなた」

意味不明な言動にユキは思わず毒舌を吐いた。

「あっははは!そうか!やはり卑怯な裏切り者が!」

「あなたが大暴れするからよ」

「言い訳してんじゃねえ!」

どういう原理か、体の制御を奪われているはずのキャサリンは立ち上がった。そしてユキの目の前のテロリストは意味不明な言葉を撒き散らしながら、ユキに殴りかかってきた。だが、その拳は見当違いの方角を空ぶった。ユキのクラッキングによって視覚を操作されていたからであった。

「無駄よ」

「あははは、さすがは男性様のマリオネット!さぞその技術は小汚い男性に習ったんでしょうね!?」

キャサリンの体は宙を舞った。そして数メートル先の壁へと叩きつけられる。

ユキの強化された体から繰り出された拳によって強烈な殴打を受けたからであった。彼女の出力は自動車と同等の威力を出すことも可能だったが、手加減はされていた。

「私の技術は……ある女性から手解きを受けた。立派な人だったわ」

「あっははは!汚らしい男にいい諾々と従うあんたみたいな偽善者にそんな上等な技術を教えたそいつはさぞ哀れでしょうね!」

「……」

「ああそうだ!シャドウとかいう小男のクズがお前の相棒とか__」

ユキの裏拳がまずキャサリンの鼻骨を粉砕する。彼女の顔から血飛沫が飛び、口元が流血で赤く染まる。キャサリンはうめき声とともに一瞬の隙を見せる。ユキは奴の両腕を掴み、体の出力を瞬時に引き上げる。

そして、硬いものが折れる音が響いた。

ユキの手でキャサリンの両腕の骨はへし折られた。彼女の喉から甲高い悲鳴が廃ビルの中に響き渡る。ユキの目には溢れんばかりの怒りの眼光と僅かな殺意が宿っていた。

「……偽善者。懐かしい言葉ね」

「ヒィ……」

武闘派テロリスト、キラー・キャサリンの表情は恐怖で染まっていた。

反対にユキの表情こそ無であり続けた。だが、その目はどこか悲しい色が宿っていた。

彼女は暗い瞳と猛り狂う悲しみの感情を怒りで無理やり押し殺しながらキャサリンの胸ぐらを掴んだ。

ユキの声だけが、感情を捨てたような冷徹な音色を奏でる。

「がああ、……ああ、腕がぁ、あぁぁ……ああ……」

「私のことはそう呼んでくれていいわ。どうせ私は正義の味方の成り損ない。けどね、こんな私を選んでくれた相棒を侮辱されて平然としてられるほどお人好しじゃないの?……分かる?ファシストさん?」

「ヒ、ヒィィ……」

「もういい。さっさと黙ってて」

「ヒィ……が!?」

キャサリンの首元からバチンという鋭い音が響く。電気の音。ユキの手でショートさせられた首元の無線はキャサリン自身に対するスタンガンとして過激派テロリストの意識を刈り取った。

ユキは警察に目標の無力化を伝えた後、その場を後にする。後のことは警察が全てやってくれる。彼女はそのことを考えながら街へと繰り出した。

「……」

偽善者。

ユキはその言葉から逃げるように街を歩き回った。

その途中で自販機を見かけ彼女は飲み物を買った。気付け薬の代わりの冷たい無糖のコーヒー。それを流し込んだ後、彼女の目に涙が流れる。

「……それでも、私は正義の味方でありたかった」

ユキは空き缶を握り潰しゴミ箱へと投げ捨てる。

夜の街。夏の熱っぽい空気は周囲を支配する。

多様な種族と配達用のドローン、若者の雑談と喧騒の中でユキは孤独に苛まれていた。

「……正義……なんだろうね。正義って」

ユキの脳は少なくともキラー・キャサリンに正義はないことを明瞭に結論づけていた。

だが同時に彼女の脳、記憶野の大部分を支配する罵倒とかつての亡国への盲信の過去が正義と他者の承認への渇望とトラウマで彼女自身の心をぐるぐると蝕んでいった。

「……私は誰かに褒められたかった、誰かに認めてほしかっただけの嘘つき……」

ユキは自身に渦巻く絶望を口にした。しばし俯いた後、彼女はまた呟いた。

「……それでも私は生きたい。簡単に死んでたまるか」

頬の涙を拭いながら、ユキはそう呟く。そして彼女は仲間達のいる事務所へ帰った。

孤独から逃れるように。夜風によって彼女の綺麗な黒髪がなびいた。

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