第23話 天才女科学者と奇妙な邂逅
科学少女アグネス・エミリア・ブラウンが『ある人物』の待ち合わせに行ったのは午後三時、昼のヴィクトリア大学構内でのことであった。
その日は、全ての実験を中止してまで、会いに行く人物は科学者ならば知らない人物はいないほどの有名人であることが何より大きい要素であった。
「……やあ」
その人物は少女に対して気さくな声をかけた。
アグネス少女はその人物を見るなり、機関銃のような速度で言葉を捲し立てた。
「遅い、遅い、遅い、天下のフリーマン教授とあろうものが遅刻とは正直意外だ。貴方ほどの人物が一秒の時間差で起きる物理的な影響や偏差というものの価値を蔑ろにすることはないだろうと思った。だが、貴方は私が全ての実験を停止してまで会いに来たと言うのに随分と遅いじゃないか。一秒のズレですら実験は大惨事たりうる。だが、三分二十秒だ。まあ、私が長々と話したとしても二分半と言ったところか?それにしても随分な大遅刻だ。私なら申し訳なくて……」
「その埋め合わせは後でする。それとそれに相応しいお土産をあげようと思ってね」
「……相応しい、お土産?」
「例の案件だ」
「……ほほぉ?」
フリーマン教授の不敵な微笑にアグネスの顔が思わず綻ぶ。
「参加は?」
「今日の午後だ」
「だから、気に入った」
少女と教授は短いやり取りだけで全てが完結した。
科学少女は満足そうな笑みで言葉を続けた。
「すまなかったね。私としていたことがえらく誤解していたようだ」
「それなら心配ない。せっかく大学まで来てくれたんだ。立ち話もなんだからコーヒーでも飲んでいくといい。……あれ、コーヒーはダメだったか?砂糖も用意しているが」
「私なら心配ない。このアグネス・エミリア・ブラウン、不肖、ティーの方が好きだが、コーヒーは若干砂糖入りが好みでね。多すぎす少なすぎずが流儀なんだ」
「なるほど、私はどうやらカール君やレオハルト君と似て無糖が好みでね。砂糖は少ししかないがご容赦願いたい」
「気にしなくていい。無糖のコーヒーも私は飲めなくないからね」
「なら良かった。早速用意するとしよう」
「ありがとう、最高のコーヒーブレイクになりそうだ」
アスガルド共和国とAGU加盟国の大半では紅茶とコーヒーの両方が飲まれる。
再興歴以前の歴史においてアスガルドの先祖にあたる複数の民族の集合国家によって存在していた。フランク連合王国においてはコーヒーが好まれ、オズ連合王国とAGUの一部の加盟国、竜山連合、アズマ国はお茶が主流であった。
この文化はアスガルドやAGUなどの先史における母星植物からの影響を強く受けていると歴史学者、考古学者などが見解を述べられている。再興歴一〇八年までにおいてはそれらの飲料は安全上の理由からヒューマン種だけが嗜好していたが、いくつかの例外を除き他の知的種族でも安全に飲める研究結果が発表されてから急速に愛されることになったとされる。
それらは長い歴史の中で影響を受けることもあったが、コーヒーブレイクやティーを愛飲する文化は長らく伝統的に愛されるものとして残り続けた。
「ティーやコーヒーはいい。伝統というものは聞くに耐えない文化もあるが、こういう素晴らしい文化もある。数は少ないがね」
「そうだね。暖かな飲み物を喫する文化はいつまでも変わらないものだ」
彼らが本題を話し始めたのはそんな優雅なひと時を楽しんだ後のことであった。
「状況が許せば、歴史学者も呼びたかったけれども……仕方ないな」
「その点なら心配ない。レオハルト君がいる」
「レオハルト中将?」
「そのとおり。彼は歴史マニアだ」
「意外だねぇ……」
「私がこの大学で教授にやっとなった時だね。レオハルト君と出会ったのは」
「ヴィクトリア大学出身とは聞いていた。世間は狭いね」
「案外そんなものだよ」
穏やかな口調と声色でフリーマン教授はアグネスと会話をする。アグネスはどういうわけか安心感を覚えるような感覚に戸惑いつつも、平静を装って会話を続ける。
「……数値はどうだ?」
アグネスの問いかけに教授はこう答えた。
「残念ながら形跡ありだ。数値に異常が見られた」
「……そうか。一度、宇宙に出た甲斐があったようだ」
「そうだね。僕も色々と知り合いに話しかけられた」
「随分と刺激的な船旅だったな!あれは私も驚きだ!」
「船外で戦闘、可変型のAFまで見れる。確かに刺激的だ」
「んふふ……あのデザインの機能美は思い出すだけでも恍惚ものだ!」
「さて、アサルト・フレームより大事な話題に戻ろう。SIAには連絡してあるね」
「近いうちに調査するということらしい。極秘だから他言無用とのことだ」
「そうだね。数値はどこで異常が見られた?」
「アズマとアスガルド、この二つで数値の異常があった。フランク連合だと数値は逆にマイナスだったが」
「そうか、それは気になるな。他の国だとどうだろうか?」
「それはわからないが、他もマイナスだと思う。知り合いに簡単な数値の観察を頼んだが、期待できるものではないだろう」
「そうなると……実地が必要そうだね」
「だがリスクが大きいな。実地は法に触れかねない」
「確かにそうだ。だからそれ相応の人物が必要と……」
「納得いったろう?」
「そうだね。政府関係の組織、それも軍事に長けた組織で信用に置けるのはあそこが一番だ」
「むしろ、あそこ以外に適任がいるのかい?それともAGUのユダに頼むかい?」
アグネスは陽気な口調で冗談を言ったつもりなのは彼女自身の顔に表れていた。年齢相応の屈託のない笑顔で明るくケラケラと彼女は笑っていた。
だが、そのタイミングで穏やかだった教授の声色が急変した。
「……あそこはダメだ」
表情こそ穏やかで目からも真意を読むことは彼女には不可能だったが、声色が明晰に強い拒絶の色が表れていた。
アグネスは最初、呆然していた。そしてその表情は徐々に興味深げなものへと変わる
「……強く出たね?」
「……失礼。ただ……」
「……なんだろうか」
外の喧騒が聞こえる。
科学少女の質問に対して教授は数瞬の間、沈黙していた。
そして、彼は意を決したようにこう答える。
「彼らは秩序に傾きすぎている。そこが問題だ」
「……ふぅむ」
アグネスもまた、ひとときの間沈黙し、口を開く。
「……この任務は臨機応変さが求められる。堅物には不向きだろう」
「分かってもらえて何よりだ」
「当然だ。なにせ未知の状況になる」
「そうなるとメンバーはどうしようか」
「バレットナインのシン・アラカワとユキ・クロカワの両名、それとSIAでも判断力と野外での活動に長けた人員、科学知識を持つ私に……彼にも声をかけよう」
「彼……探偵君かな?」
「正解だ。よく分かったね」
「彼は考古学にも明るい。そして、彼の教養と深遠な洞察力は探索チームの助けになるだろう。未知の状況を楽しむため、ストレスも感じづらいはずだ」
「洞察という点ではアラカワも引けはとらない。軍で特殊部隊にいた噂もあるから、リーダーとして活躍するだろう。相棒のユキも調査に向いているし、万が一の事態ではどちらも戦力になるはずだ」
「確かに、私から言えることはなさそうだ。いい人選だね」
「研究をするにあたって人員の選定は重要だよ」
「確かにそうだ。流石はアイビー地区の才媛と呼ばれるだけある」
「ふふ、当然だ」
教授の微笑と称賛の言葉に少女は得意げな笑みを僅かに浮かべていた。
「ところで教授。君の人員のプランは聞いていないが?」
「同じだ。科学知識に長けた人物、判断と経験に長けたリーダー、相性の良い補佐官、軍事・戦闘・野外活動に長けた人物、歴史・文字・考古学などの調査ができる人物。私から言えることはない。ただ、注意事項がある」
「……時空規制局だね?」
「正解だ。だがそれだけではない」
「……それ以上は分からない」
「探偵だ。彼は読めないから気をつけることだ」
「奇人との相手は慣れているよ」
「それは楽しみだ」
教授と少女の会話はそれで終わった。
ひと時の会話と温かい飲み物を満喫した後、二人は調査での再会を約束してその場を後にした。
探偵が少女の依頼を受けたのは、教授との会話から二十分以上後のことであった。
アグネスは最初にグレイ私立探偵事務所に着いた時、やや緊迫した心境でその戸を叩いていた。オリバー・A・グレイは警察と協力することも多く多数の案件を抱えてる可能性も捨てきれず依頼の都合がつかない場合も考えられる。幸い今回はそうではないが、それでも危険な依頼は依頼料がかさむことが十分に予想された。
そのため、オリバー・A・グレイへの依頼は当初、やや難航するものだとアグネスは予想していたが、依頼内容を見た後のオリバーはあっさりと要求に応じた。珍しいなほど素直だったほど依頼の交渉は成立する。
「いいのかい?」
意外そうな目でアグネスはグレイの顔を見た。
グレイは普段と変わらぬ涼しげな顔でこういった。
「今回のケースは非常に貴重でね」
「危険が伴うが……それは気にしていないのかい?」
「気にはするさ。僕も命は惜しい。けれども、虎穴入らずんば……と人は言うだろう?あらゆる事件を知るためにはリスクを負うことも時には必要だと考えたまでさ」
その回答を聞いたアグネス女史はケラケラと豪快な笑みを浮かべる。
「くく……ははは!そうだな!私としたことが随分と不躾な質問をしたものだ!これは失礼した!一人の真摯な研究者にその質問は無粋なものだな!」
「気にすることはない。人の本性は土壇場でないと知ることはない。討議と実験、そして検証は必要だ」
「その通りだ!君とはいいコーヒーが飲めそうだ!」
「そうだね。そのときはよろしく頼むよ」
満面の笑みで二人は握手を交わした。見境のない研究者の熱い友情が爆誕する。
「……うむ、仲良きことはいいことだ」
教授は微妙な微笑を浮かべつつ、手元の端末を操作する。
「数値の値がこれ以上大きくなると厄介なことになりそうだ」
「ふむ……具体的には?」
アグネスの問いに探偵がこう答えた。
「並行世界が一個滅亡する」
「正解だ。探偵君」
教授が感心した表情でそう返答した。
「あはは!それは壮大だ!この大探偵の脳を活用するに値する大事件ではないか!ははは!」
「…………おぉう、それは厄介だねぇ」
アグネス女子が狐につままれる表情を浮かべた理由は普段愛飲するコーヒーより苦いそれを飲んだためではなかった。調査と危険そのものを狂愛する探偵の高笑いだけがその場に響いた。
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