第13話 マリア夫人の小さな戦い

マリア・シュタウフェンベルグの一日は料理と共に始まる。

油を熱し、卵を割り、焼き、塩味をつける。

ベーコンを焼き、裏返し、盛りつける。

単純な料理でもマリアは手を抜かなかった。

彩り、味、香り。五感で楽しんでもらえるようマリアは常に工夫を凝らした。生来の利他主義もあってマリアの味の追求はプロにも匹敵する力があった。マリアの料理は非常に凝っていた。何ヶ月か前には料理の研究を志す者が教えを乞いにきたが、マリアはわざわざ別の人間を紹介したくらいだった。

断り文句は決まっていた。

『私は料理でお金をとる事をやめた人間よ。それより紹介した先生の方が経験豊富だから……』

それでも料理関係の人間からは完全に顔を覚えられているレベルである。それでも彼女は料理界を席巻する事よりも、大切な人と日常を過ごす事を選んだ。

マリアは調理が好きだが、愛するものとの時間がそれ以上に大事だった。

「……さて、できた」

ベーコンエッグと野菜の盛り合わせ。

シンプルだが野菜の色合いと香草と胡椒の香りが目にした者の鼻孔を心地よくくすぐる絶品であった。当然味は最高であった。それらを近所のパン屋から購入したパンと野菜スープでいただく。スープはじっくりと煮込まれていた。

「…………うむ」

「どうよ?」

「マリアの料理は世界一だ」

レオハルトは普段よりも笑顔だ。満面の笑みが味を物語っている。

「お世辞でも嬉しい言葉ね」

「事実だ。僕は結構料理にはうるさくてね。こないだも軍のレーションが味気なくてな」

「あれは保存に適した作りだから……」

「分かっているさ。でもマリアの料理が恋しくなる」

「うれしい。料理の道やめてよかったわ」

「もったいない。皆で共有されるべきだ」

「あら?酷評しようと食べた人もいたわ。すぐに考えを改めたようだけど……」

「そうか。そのたわけは三枚降ろしにする必要がある」

「やめなさいよ、もう……私絡みだと冷静じゃないから……」

「すまないな気をつけるよ」

「約束よ」

「ああ」

そう言ってレオハルトの背中をマリアは見送った。その背中とすれ違うようにして見覚えのない顔を彼女は見た。

「……うん?誰かしら?」

男は一言だけ放つ。

「……マリア・シュタウフェンベルグだな?」

「……どちらさま?」

「悪いが、一緒に来てもらう」

男の手には拳銃が握られていた。

「……ええっと、誘拐?」

男はマリアのとぼけた発言に苛立ちその辺の花瓶を撃ち抜いた。鮮やかな花弁がひらりと散る。

「来なければ殺す」

マリアは無表情になった。ただし、恐怖のためではなかった。

「……その花、レアなのよ?」

「あ?」

男はそれっきり言葉らしさのある発言をする事はなかった。より性格に表現するなら出来なかった。男の右頬にマリアの右ストレートが激突した。それと同時に男の体を電気のようなエネルギーが駆け回る。

「ごぎゃげ!?げぎゃご!」

「レオハルトのおばあちゃんがくれた花!枯れたらどうしてくれるの!!」

「げげぎゃ!げげぎゃ!」

男の顔面にマリアのラッシュが集中する。殴られると同時の男の顔面はおもしろおかしく整形されていった。これは比喩ではなく文字通りの意味であった。殴打の衝撃で腫れて行くのではなく、内部から作り替えられていった。

男はすぐにサイレンサー付きの火薬式拳銃でマリアを撃った。

だが、鉛の弾丸はマリアを貫く事はなかった。

バチィッ!

マリアがとっさに両腕を構えると弾丸は両腕に着弾する。だが、弾丸はマリアの両腕の皮膚の表層で分解され塵と化した。マリアの流したエネルギーによって、固形としての状態を維持できずに蒸発する。

「残念。マリアはメタアクターでした!」

そう言ってマリアは逃げる男を捕まえた。具体的には地面を殴り、男のいる地点を自在に作り替えた。5メートル以内なら可能だった。

マリアが瞬時に作った罠にかかり、男は身動きをとれなくなった。すぐにマリアは執事のマイクを内線電話で呼び寄せた。

「もしもーし、不審者捕まえたからこっち来て!」

マリアは受話器を定位置に置き、花瓶の元へと向かった。マリアが手をかざすと土と花瓶が元に戻る。

「良かった!花は無事ね!」

マリアのお気に入りの花は何事もなかったかのように元通りとなっていた。







男を警察の知り合いに引き渡し、事情を聴衆した。その日の夜に帰ってきたレオハルトは珍しく取り乱している様がマリアにとっては愛おしく感じたが、心配をかけてしまったことに申し訳なさも感じていた。

「ごめんね。レオハルト心配かけて……」

「いや、悪いのはあの男だ。僕が直々に三枚おろしに」

「やめなさいって。わたしは死んでないから」

「そうか……マリアは優しいな」

「そういうことじゃ……あなたって私が絡むと冷静じゃないんだから」

「世界一の妻だからな」

「……上手なんだから」

マリアが思わず赤面する。

「シュタウフェンベルグ家訓その一、『褒め言葉は、人を、作る』だ」

「こらこら、拳銃と軍刀はしまってしまって」

マリアのためとはいえ、軍刀と拳銃二丁を家訓と共に取り出すレオハルトの雰囲気は剣呑そのものであった。当然マリアは慌ててレオハルトをなだめる。

それを見ていた警察官たちとグレイ警部補が目を白黒させる。

「……最近は物騒ですからな。アイビスタンから逃げ出した弱小ギャングがこっちで商売を始める始末で……」

「そう言えばもう終結したんだよね内戦。どうしてこっちに?」

「締め付けが厳しいから親戚筋の組織に頼って来た事も大きいんだろうな」

「ああ……友達が言ってた。バニア族の指導者のデュナ王女とドラコ大統領が犯罪者に凄まじく厳格だって……あなたが助けた人たちでしょ」

「……ああ、元気にやってて何よりだ」

そう言っているレオハルトの顔は安堵のためか優しい微笑になっていた。

「やっぱり……心配だった?」

「当然だろう。マリアはメタアクターだけど拳銃を突きつけられるようなことは……」

「そうね。なんでだろう」

「多分僕のせいだ。僕が君を……」

「貴方は仕事しただけでしょう。気にしないの。あなたの夢は私の夢でもあるんだから……それに」

「それに?」

「レオハルトは世界一のヒーローでダーリンだから」

「……照れくさいな」

それを見ていたダニエル・グレイことダニー警部補が横から口を開いた。

「すまない。仲良いところ……さっきの男だが、やはりアイビスタン系のギャングだったよ。強盗容疑で別件逮捕する予定だ。前科も脅迫、暴行、傷害、銃器所持、麻薬売買……典型的なクズだな」

「……あー、これって誰かから依頼されて襲ったヤツ?」

「そのようですな。奥様」

グレイ警部補は苦々しい表情を浮かべた。黒幕が分かるのは当分先になると言う事がレオハルトやマリアにひしひしと伝わった。

「その様子だと襲った男も誰から依頼されたか分からないようだね」

「レオ坊。そうなんだよ」

「……相手はプロか」

「……警察だと警護はそれほどしてやれん。犯人逮捕をしたからな」

「心配しなくて良い。執事や警備員たちと対策を考えておく。……といっても外出をすこし控えたり、一人にならないように警護をつけることにする」

「……そうなると予定がね……」

「仕方ない。命が大事だ」

「うん……」

マリアの表情はどこか暗いものが現れていた。







こんな出来事からしばらく経ったある日のことだ。

マリアにとって吉報と凶報が伝わった。

その男はナンバーズなる組織に身代金目的で狙われていたとこが分かったこと、それが吉報である。

凶報はその男がある刑務所から脱獄した『ヘルズ・キッチン』なる集団に殺害されたことであった。ヘルズ・キッチンは元料理人の集まりでありながら粗暴な犯罪集団でもあった。彼らはどういうわけかマリア・シュタウフェンベルグを尊敬しており、彼女に危害を加えた男を麺棒で滅多打ちした後、歯という歯を蹴り砕き刑務所の包丁で二十八カ所滅多刺しにして殺害したという。

現場にはヘルズ・キッチンのメッセージが残っていた。

マリア夫人に手を出すな。

現場には男の血でそう書かれていた。

マリアにとってはかえって安心できない結果となった。

なぜなら、ヘルズキッチンの行為によってマリアを狙うものたちが躍起になる可能性が考えられたからだ。そこでマリアは執事のマイク・ペニーワースと共に一時ヴィクトリア市のある場所にしばらく泊まる事になった。

「……困ったファンもいたものよ」

「熱狂的なファンは往々にして愛情を暴走させるものです。奥様」

ペニーワースとマリアの付き合いは長かった。そろそろ初老になる彼はレオハルトの執事として二人を長く見ていたのであった。普段は二人の影となり、表には出ないが、いざという時には格闘や銃火器の扱いによって二人を守る術があった。

マリアはペニーワースの実家に匿まってもらう形で一時とどまることになった。

「そうだけど。もうちょっと配慮とか……」

「独りよがりな愛もまた愛の形です」

「そうは思わないわ。愛は相互の理解があってこそよ」

「私もそう思います。ですが愛は想いの重さでも定義されるべきものです」

「これがレオハルトの話なら良かったのに」

「おっしゃる通りで……」

「……ごめん料理作って憂さを晴らしてくる」

「火傷と刃物にお気をつけて……」

「うん、ありがと」

マリアは洗って酒蒸しにした貝類と小さめに目切りした野菜とキノコをバターで軽く炒め、すこし薄力粉を加える。そこに市販のコンソメと水、トマトソースと刻んだトマトを入れ、良く煮込んで出来上がりとなる。

マリアは凝り性なので市販のコンソメ以外は知り合いからもらってきた材料などで賄っている。特にトマトソースは材料から自分で下ごしらえをしたものを使っていた。パンと一緒に二人で食べる。レオハルトは仕事でいない。

「凝っていますな。奥様の料理は」

「まだまだね。コンソメも市販のものに頼っちゃったし、簡単な料理しか出来なかったわ。それにパンはそこのベーカリーで買ったものをそのままで……」

「ふむ、それなら、次の食事はパンに挟むものを使ってと言ったところでしょうな」

「そうね。それがいいわ」

不安を感じつつも、自作の料理や執事と共に過ごすマリアの日常は変わらず緩やかなものであった。

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