第12話 グレイ警部補の苦難

アスガルド共和国の大都市ヴィクトリアには巨大な警察組織が存在する。

ヴィクトリア都市警察。通称VMPDだ。五万五千人もの警察官を擁するアスガルド共和国最大の警察組織である。本部庁舎はヴィクトリア市内中央に位置するアルファ・フォートに位置する。ヴィクトリア・シティはアテナ銀河内でも有数の大都市で、この都市の治安を維持するために巨大な組織が必要であった。港湾隊、航空隊、ドローン指揮部、高速道路隊などの実動部隊のほか、メタアクター犯罪や銃器を持った凶悪犯などに対応しする能力を持った『特殊武装・戦術班(SWAT)』も擁している。

ダニー・グレイ警部補もそんな警察組織の一員であった。もっとも、ダニーは特別なエリートではない。生来の生真面目さと刑事としての経験、溢れんばかりの地元愛と美味いダイナーの情報に長けた警察官の一人に過ぎなかった。

警部補。いわゆる現場指揮官としての役割が多い階級だ。ここからどんどん出世する同期もいたが、殉職する者もいた。人間関係の気苦労も多いがダニーにとって、地元の人間との付き合いは好きなので仕事への熱意はあった。年齢はもうすぐ40歳になる。四十路の仲間入りだ。

「…………」

ダニー警部補は元々仏頂面でいる事が多いが、職業病みたいなものであった。子供や女性には紳士的だが、舐めきった悪ガキと犯罪者には誰よりも厳格でい続けたためだった。そんな彼でも今日は一段と機嫌が悪い。

それは論理的な理屈よりも理不尽に起因する感情的な興奮に寄るものであった。

「…………クソが」

タバコの火を乱暴に消し、屋上に置いてある腰程の高さの吸い殻入れに捨ててゆく、機械技術がいくら発展しようともタバコの文化は消えない。

人間も多様である。古い文化を忘れられない者もいたこと。タバコと巨大な缶詰のような吸い殻入れはその象徴であった。

「……ホソカワ・ノブ……あの野郎……」

AGU警察機構の取り締まりでひたすら気色悪い猥談と自身の主張を繰り広げ、証拠不十分で釈放となった糸目。ノブと呼ばれている悪趣味な男にダニーは不快感を漏らしていた。

「……弁護士まで怪しいヤツだったな」

弁護士は黒い噂のある人物だった。腕利きではあるがマフィアに雇われることもある人物だということをダニーも知っていた。

アスガルド共和国側の検察とSIA、そしてその場に居合わせた警察関係者は何としてでもノブを刑務所に入れようとした。だが、法には限界がある。システムである以上、果たされなければならない条件がある。

証拠。

決定的な証拠は全て隠蔽・隠滅されていた。

ノブは戦術的に勝利した。

確かにレオハルトは戦争で勝利し、シャドウを名乗る謎のカラス男もオネス大帝を処刑した。

だが、その裏でノブは生き延びてしまった。

もちろん、レオハルトとシャドウに非がある訳ではない。目の前の対処が限界で、隠された敵に気付く事が出来なかった。気付いた時には狡猾に逃げられていた。

彼は正面切って戦うことはしない。誰かと組んで初めて仕事をする男だった。寄生虫、病魔、蚤、ゴキブリ。あらゆる罵倒が似合う汚らしい本性を持った男である事は明確であった。だが悪を処罰するために正義が暴走することは本末転倒といえる。その穴をノブは突いてきた。

エステラはアスガルド共和国の最高レベルの軍事刑務所行きの終身刑に処され、オネスはアイビスタン革命戦争で死んだ。

だが、影の首謀者は逃げ延びた。それがダニーにとってなにより歯痒かった。

そんなダニーに一人背後から近づくものがいた。

ダニーはその男に気付く。見覚えのある顔であった。

「よお、ダニー。今回はすまんな」

ジャック・P・ロネン。

バレッドナインセキュリティの総務部長の男である。この男の人脈は目を見張るものであり、あらゆる人物と顔見知りであった。もっとも彼の専門は技術屋とか軍事関係者、AGU首都ロスダムの貧民街の住民、そしてヴィクトリア市内の人間等々である。それ以外のあらゆる人脈にも長けていた。

ジャックが知っている人脈と言えば警察関係者(詳しい)か飲食関係者(詳しい)かヴィクトリア市内の住民(自分の住所があるエリアと職場の近く)ぐらいであった。

「お前さんも長生きできてよかったな」

「酒と相棒の事が心配でな」

「……お前の相棒……か」

「美人だろう?」

「否定はしない。眼鏡かけた女の子は熱心な狂信者がいるからな」

「そうそう、マニアックな需要も……って、どうしてそうなる」

「お前の相棒が受難体質だからな。そういう連中を泣かせないように助けてやれよって思ってな」

「…………ああ、気をつけるさ」

「……お前の相棒……マエがあるからな」

マエ。前歴を意味する言葉だ。警察はあらゆる言葉を短くする習性がある。これもその一つと言えた。

「……もう、前の組織とは無関係さ」

「ああ、……だが悪い虫はそうは思わないだろうな」

「気をつけるよ。……ああ、良い殺虫剤紹介しろよ。薄汚いゴキブリはうんざりだ」

「お互いにな。カラスの餌にでもしてやりたいよ」

「どこぞの王様気取りのクズみたいにな」

「違いないな」

歳が五つほど離れた二人だが、酒のグラスと会話を交わす分にはいくらか友好的なコンビであった。言葉はそれっきりで、緩やかな時間が流れる。

黙々と二人は空を見ていた。

「またタバコが欲しくなった」

「よせよ。あんなの肺が汚れるだけだ」

「言うのが二十年は遅かったな。今じゃそれ無しじゃ苛ついてしょうがない」

「……はあ、医者の知り合いが欲しくなったら早めに来いよ」

「ああ、そうするぞ。その時は肺の病があるだろうからな」

「禁煙外来のほうだよ」

「そっちか。殉職するのとどっちが先だろうな」

「縁起でもない事言うな。仕事だって残ってんだろうが」

「はぁ……タバコの時ぐらい忘れさせろよ……」

「タバコも忘れるといいけどな」

「……お前さんはほんと口と腕っ節だけは達者で」

「ありがとう。俺の自慢なんだ。取締役のシンには負けるがな」

「アイツと張り合えるだけ立派だよ」

「だといいがな」

「いいさ。あいつが異常なんだよ」

「あの歳であれだけ戦えるってこと自体がな……」

「19で既に軍曹だったんだろう?」

「ああ、アイツの昇格は異常に早かった。サイトウ・コウジってヤツもとんでもない戦果を上げていたが、アイツは大統領を二回と大統領の娘を一回救って、しかも寄せ集めの部隊を精鋭に仕立て上げた。アイツの部隊は人質救助任務でしくじったの見た事ねえ。戦死したヤツもいねえ。……アイツは戦闘と戦争の天才だ。俺はそう思う。……もっとも当の本人は『違う、仲間と他人を助けて、自分も生き残っただけだ』の一点張りだからな」

「生き残るだけのヤツが二十歳で中尉になるかよ」

「引退までの数週間だけだろうがな」

「叩き上げで少尉務めるって時点でとんでもない男だよ。普通はもっとかかるって言うのに」

「ああ、あの若さだもんな」

「信じがたいな。大概ホラ話扱いされる」

「俺なんか笑われた。第二次銀河大戦のキャプテン・クラウスあたりのパロディかよってさ」

「どこの馬鹿に?」

ジャックが一息ついてから言った。

「お前の部下に」

「事実なのに信じられねえってな」

「全くだ。まあ、いくつかは極秘作戦だったしな」

「現場だけが分かってたのか」

「ああ、ベテランたちには重宝されてた」

「……こっちまで嘘話している気になったぜ」

「やれやれ、別の話題にしよう」

「ああ」

しばらく空をぼうっと見ているとカラスの親子が飛び去るのが見えた。それを見送ってから、ダニーから口を開いた。

「……『数字の集団』の件」

「数字……ああ、『ナンバーズ』か。4番目がノブに消されたヤツの」

「ああ、合法非合法問わない仕事人集団だ。謎が多い」

「六人いるらしい。アイン。ツヴァイ。ドライ。フィーア。フンフ。ゼクス。メンバーは数字で呼び合っている」

「リーダーは?」

「アイン。彼が一番分からないことだらけだ。でも現場に出る事もあるらしい。ちなみに男性だ」

「お前、どこで知った?」

ダニーがジャックのあまりの情報量に怪訝な顔を浮かべる。ジャックはにっと微笑を浮かべるだけだ。

「企業秘密だ。お前にもそういうツテはあるんだろ」

「まあな」

「お互い大事にしようぜ」

「全くだ」

「んで、そいつらは今どうしている?」

ジャックの質問にダニーが今度は答える順番となった。

「どうやら、小競り合いをしているらしい。相手は不明。現在は……アスガルド国内にいる」

「国内!?場所は?」

「ここだ」

グレイ警部補は地面を指差した。それはヴィクトリア市内を意味していた。


グレイ警部補がジャックと別れた後である。パトカーの中で彼は悪態をつくことになった。

「クソ!今度は何だ!?脱走ってそういうことだ!?」

「ヴィクトリア市内に『ヘルズ・キッチン』が逃げ込んだと通報が!」

「はあ!?あの訳の分からない狂人集団が!?」

通称ヘルズ・キッチン。彼らは犯罪者で、全員が暴行、傷害、逃走幇助、公務執行妨害などの罪で服役していた。ただ、彼らは元々暴力を振るうのが目的ではない。最高の料理を作るために邪魔者を排除する一団であった。

彼らの傍若無人ぷりは有名で、自分たちのいる刑務所を爆破したこともあった。

そして、今回が二度目である。

刑務所を爆破した彼らはヴィクトリア市内にいる『お客様』に出会うために潜伏していたとの通報があった。通報者は匿名で彼らは街中を堂々と歩いていた。

「SWATは!絶対来るんだろうな!?」

「来るらしい!あいつら相手だったらどんなギャングよりヤベエ!」

パトカーを運転していた若手の巡査が猛スピードで車を飛ばしている。当然サイレンを鳴らしていた。

「緊急車両です!緊急車両です!端に寄ってくださいッ!緊急車両通りまぁす!」

交差点が赤で進んでも咎められないのは緊急車両の特権だが、同時にこれから向かう先には大きな苦難が待っている事を意味していた。

「おい若造!お前の名は!?」

「はい!自分は『コール・アッカーマン』巡査であります!」

パトカーが現場に付くと、調理用の白衣を着た四人の男が周囲を警戒していた。既に辺りにはVMPDの応援部隊とSWAT、SIAが到着していた。

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