第6話 ジャックの憂鬱(後編)

セントアンドレー郊外の小さな診療所。

その建物自体は事務所にも見えるほど錆び付いていたが、中は恐ろしく清潔に保たれていた。手術室を完備し患者を十五名程度なら収容できるほどの施設で中の衛生状況は高水準にまで維持されていた。

訪れる人は少ないが、経営に困ることはない。医者の腕が十分に良かったからだ。

その診療所の一室。院長室と書かれた扉の向こう側に狭い事務室がある。

そのデスクの上の電話の受話器に耳を当てる、細身の男の姿があった。

彼は『ガンナードク』とか『ドクターJ』と呼ばれていた。

「……そうか。お前さん今宇宙か?……そうか、クランケのことは聞いている。患者名アリス・ハモンド。年齢15歳。主訴、テロ組織に爆破能力を与えられる。制御はある程度可。……驚くことはない。担当する患者の情報は可能な限り事前に調べる。……心配ない。能力の除去は可能だ。君は、人体実験を受けて日が浅いから取り除くことは可能かと言っていたな。可能だ。良い判断だったな。もう少し遅れていたら治療が困難だった。だが問題ない。必要な医療用ナノマシンを用意しておく。集合場所まで守っていてくれ」

そういってドクはシンとの通話を切った。

そのあとドクは準備を進める。手袋。消毒済みで予備も含め複数あり。

医療用ハサミ。消毒切れ味確認済み。

鋭利なメス。切れ味、確認。

携帯型除細動器。動作よし。

ナノマシン注射器。消毒済み。

麻酔。用意完了。

止血剤、包帯、ガーゼ、テープ。準備よし。

CATターニケット。いわゆる止血帯、準備完了。

緊急外傷包帯、準備よし。

鼻咽頭気道、よし。消毒薬、準備済み。

バック・バルブ・マスク、いわゆる人工呼吸器。準備完了

SAMスプリント準備よし。これは骨折などの副木に使う。

注射銃。動作よし。

そして、もっとの重要なものがある。

拳銃だ。制式名称はダグラスガバメント292熱粒子拳銃、自分と自分の患者を守る最後の砦。アスガルド正規軍も使う傑作拳銃だ。

それに加え短機関銃の動作も確認する。

命を救うためには時には命をかけて戦う必要がある。ドクは二丁の銃の動作を確認した。

異常なし。

ドクは集合地点に向かう。


セントアンドレーの集合地点で『バレットナイン』の五人と女の子が待機していた。ドクも遅れてそこに到着する。

「……その子がクランケか」

「そうだ。この子を狙う連中がいる。俺とジャックがそいつらに襲われたことがあった」

「……ジャックも変わったな」

「?」

シャドウの格好をしたシンはマスク越しに怪訝そうな顔をする。

「……破壊と血に飢えた大男だったお前がこうして誰かのために戦うとはな」

「……昔の話さ。それに、そのときだって若い女の子がピンチだったら同じことしてたぜ」

「……そうか。だが、どうでもいいことだ。俺の目的は彼女の治療。それだけだ。仕事を終えたら帰るだけだ」

「冷たいだか、優しいだか?」

「……仕事にうるさいだけだ。……来たぞ」

黒服を着た男が何人かこちらに近寄ってくる。二十人は確認できるが、シンは二階建ての廃屋のところにもスナイパーらしき人物が隠れていることを感じ取っていた。集合地点から300メートルは離れている。

スコープの光。それが手がかりだった。

「……ずいぶんな、集まりだな」

ジャックが物々しい雰囲気に押されつつ軽口を叩いている。

「その子が、アリス・ハモンドだな。こちらに引き渡してもらおう」

「……あそこのスナイパーは?誰かいるのか?」

「念のためだ。テロとか多いだろう?」

男はスナイパーのことを平然と口にした。シャドウは猛禽の目で黒服を睨みつけながらこう言った。

「……そうだな。『SIAのスナイパー』がこんなところで待機するはずないからな」

「……!?」

黒服は明らかに動揺していた。

シンを始め、五人は戦闘態勢に入ったからだ。

「な、なぜバレた!?」

そのときだった。

スナイパーが何者かに撃たれたのは。

「……な!?」

黒服たちは銃を抜こうとして懐に手を入れた。

その心理的死角をシャドウは見逃さない。シンは敵の片腕を掴みそのまま押し倒した。そして、左手で敵の手を掴み、冷徹な殴打を何度も浴びせた。

ジャックとユキが敵の何人かに発砲する。

精密で繊細なユキの射撃と対照的にジャックの射撃は大雑把だが、破壊的だった。ユキは拳銃ですら精密に額の間を撃ち抜く、人間業ではない。ユキは15メートル以上の標的にも的確に撃ち抜いていた。

通常、拳銃で9メートルもの距離で命中させるのは訓練と場数を踏む必要がある。素人では飛びかかれる距離の敵にすら命中させるのがやっとである。しかも、それは静止した標的に対しての話だ。動く敵にはまず当たらない。訓練を積んだ警官が動く標的に当てるのは、現実には約二メートルの標的が関の山である。

ユキは動く標的に拳銃弾を命中させている。しかも、眉間を正確に。

それに対して、ジャックは大口径の機関銃を用いた。弾数と精度、そして銃の火力によって敵を制圧した。

命中は望めなくても『撃たれる恐怖』を煽れれば十分だった。敵を仕留めれば相手する敵の絶対数が減る。そうでなくても『大口径の弾に当たる恐怖』を敵に植えつけられれば十分だった。

ジャックは数人の敵を仕留め、残りの敵に恐怖を与えることに成功した。

筋骨隆々の大男が大型の銃器を振り回す。

その光景は古いB級アクション映画さながらの光景だった。5キロの機関銃を振り回し、反動もろともせずに敵に射撃する。銃を知るものほどジャックの恐ろしさは際立った。

逃げ出す敵に対して冷徹な二つの銃撃が襲いかかる。

ドクとイェーガー。

遠距離と近距離の共演だった。

一人、そして、また一人と頭部を撃ち抜かれてゆく。

「……これは僕ら必要ない?」

「……あら、そうみたい?」

アディとカズがでる必要すらなかった。火器の戦略。その恐ろしさを敵に味あわせた後、カズは本物のSIAの面々と顔を合わせることになった。

「……今回も貸しをつくってしまったな」

シャドウは申し訳なさそうに後ろの頭をかくと、レオハルトのほうはリラックスした表情でシンと話をした。

「そんなことはない。そちらの人員のやり方を学べてよかった。そして課題点も」

「そんなことない。まだまだこちら側は人も少なくできることが限られている、レオさんの軍のやり方にはかなわない」

「だからだ。最低限の人員でそれだけの戦果を出せるんだ。本気も出していないようだしな」

レオハルトはカズとアディの方を見て微笑んだ。

「だが、カズやアディの能力は消耗が激しい。特にアディ。ここぞというときの爆発力がすごい分、可能な限り疲労をさけてやりたい」

「うちの組織にもメタアクターがいる。だから、君の戦術は今後の参考になった。少ない人員でいかに特定の人員の疲労を軽減できるか。いつその戦術が求められるかは分からない。だからこそ君の戦い方は参考になる」

「そういっていただけると大変恐縮です」

シンとレオハルトは久々の話に花を咲かせる。

ドクとジャックがその間に入り込んだ。

「すまないが、クランケがいるんでな。今回の戦術談義は手短に頼む」

「すまない。ボス。今回はこの辺で」

そういうとレオハルトは申し訳なさそうに咳払いをした。

「ごほん……彼女の安全については僕が責任を持つ。今回もありがとう。シャドウ」

「気にするな。困ったらお互い様だ」

「その日がこないことを祈ろう。格安で依頼を受けてくれるからな」

「……やれやれだ」

ジャックはアリスに語りかける。その様子はうれしそうでもあり、寂しそうでもあった。

「……よかったな、アリス。もう安心だ」

「ありがとう。ジャックおじさん」

「……治療が終わったら何をしたい?」

「そうだね。……とりあえず甘いもの食べたいな」

「甘いものか……パフェとか?」

「あ、いいね。いい店紹介してよ」

「そうか、調べとく。……またな」

「うん、またね。おじさん!」

一度振り返った、アリスはにっこりと暖かい笑顔を返した。手でバイバイのジェスチャーをする。

ドクとSIAに連れられてアリスは去った。

寂れた荒野に五人の人間だけが残される。五人もその場を離れる。そのとき、ジャックとシャドウのマスクをとったシンが話をする。

「…………いったか」

「……また会えるだろ?これが今生のお別れじゃない」

シャドウはさっぱりとした様子でそう言った。

「……みんながみんな、お前さんみたいにドライならいいな」

「また、会えるならいいさ。会えるなら……な」

「……そうだな」

ジャックは空を仰ぎ見た。雲がいくつか見える。だが、蒼天の色合いは何も変わらない。いつも通りの青だ。

「…………子供を道具にするヤツは減らんな」

「……『抜き取るもの』とかな。……だが、そうじゃない人間もいる。多くはそういう連中だ。この世の悲劇はほんの一握りのヤツが作り出すものさ」

「……違ぇねェな」

「俺たちの仕事はまともなヤツが大手を振るって生きられる場所を増やすことだ。そのために俺たちはいる」

「……かもな。……そういえばさ。ボス」

「なんだ?」

「……セントセーヌにいた時くだらねえこと悩んでた」

「ほぉ、いってみろ」

「……俺はただの兵士だ。ベテランの雇われに過ぎない。そのことを悩んでいた」

「なぜだ。今じゃなくても十分役に立ったろ?」

「年をとるとできなくなることが増えるもんさ。カズやアディみたいに超能力もねえ。ユキみたいにハッキングとかの特殊能力もねえ。戦闘経験もボスの方が上。ボスは俺よりひどい地獄をみてきた。俺とは比べ物にならないくらい強敵と戦っている。俺はただの老いぼれなのかと悩んでたのさ」

「……は、俺がただの老いぼれを戦地に連れてゆく悪党に見えたか?」

「そんなことはないが、ボスは……」

「は、よく考えろ、俺の人生経験なんて高高二十年位だぞ?普通そんな俺がお前に求めるものは何かわかるだろう?」

「……経験か?だが……」

「俺の知らない経験や俺では冷静に考えられない状況なんていくらでもある。そんなとき俺に変わってクールな目線で指揮をとれる人員が必要だ。それがお前だ。だが、弱っちいヤツじゃ誰も従わんよ。一時的でもいい。殴ってでも言って聞かせられるタイプの人間を必要としたのさ」

「それが……俺か……」

「的外れか?」

「……いや、フルハウス隊を束ねるのは大変だ。その経験を買ってくれたのか」

「そうだ。これからも頼むぞ」

「ラジャーボス」

五人はただ広い荒野を歩く。セントアンドレーの道のりはまだ先で、地平と遠くの街の姿だけが、五人の視界の中にあった。ジャックは火のつかないタバコを見て禁煙のことを少し考えた。そのあと、ふと空をみるとその変わらない美しさにふと心を奪われた。

雄大に広がる青であった。

青の中に二羽の『黒』。空にはカラスのつがいが仲良く飛んでいた。それは『不吉さ』よりも『暖かく前向きな何か』を象徴しているようであった。

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