第7話 猫追い人
事務所の窓から、気持ちのよい日の光が射す。
フランク連合から帰ってきた五人はいつも通りの日常に戻った。ユキとアディが卒なく経理や事務を終わらせ、ジャックとシンがそれぞれの仕事へと向かう。警備業務やそのコンサルタント、外国の顧客がくるとカズが対応する。語学にすぐれ、明るい性格のカズが応対し、アポイントを作る。そうして、毎日が回る。
数日ほどそんな日々を過ごした『バレットナインセキュリティ』に奇妙な依頼人がやってきた。それは、うら若い年の上品な貴婦人であった。フリルのついたふんわりとした白のドレスをまとった人物にシンは見覚えがあった。
「む、……あなたはマリア・シュタウフェンベルグの?」
レオハルトの妻の幼なじみの顔にシンは行き着いた。何年か間を置いた再会であった。金髪のロールした髪と白を基調としたドレスの色彩が彼女の高くまとまった雰囲気を助長する。
「お久しぶりですわ。マリアの友人エリザ。エリザベス・ヘレフォードよ」
「これは、よくいらっしゃいました。シン・アラカワです。どのような御用で?」
「シン様。わたし困ったことになりましたの」
エリザは完全にうなだれている。なにやら、意気消沈しているようだ。その様子を見てジャックが紅茶をそっと彼女の前に置いた。彼女の点数を稼ごうとしているのだろうかとシンは内心、苦笑した。
意を決したようにエリザは依頼を口にした。
「私の猫、探していただけませんか?」
「……え?」
探偵の様な仕事の依頼をエリザが持ってきたことにひどくシンは驚いていた。
「……失礼ですが、猫の捜索でしたら、ここでは引き受けておりません。替わりに――」
「ちょ、最後まで聞いてくださいまし!」
「我々は警備コンサルタントと貨物の輸送、それと特定の警備業務しか引き受けてはいないのです。残念ですが……」
「……ちょ、率直に言いますが!その猫はただの猫ではありませんの!」
「……というと?」
「ごほん、……私の猫は『メタアクター』なのです」
「……続けてください」
シンの表情が真剣なものに変わる。先ほどあきれたような表情をしていたのをまるで感じさせない真摯さがシンの表情からにじみ出た。
「……私の猫、三万ブレターはたいて買った高級の猫ですの。血統書付きで、由緒正しい猫ですわ。名前はタイフーンといいますの」
「三万……」
カズの顔が青ざめる。
「……個性的なお名前ですね」
シンは表情こそ平静さを保っていたが、少し目が泳いでいた。
「そうでしょう!やんちゃだけどかわいい子なのですわ。スリムな体とワイルドな足!いたずら好きなのが玉に瑕だけど、それも可愛いのよ!」
「…………」
エリザの高いテンションとうっとりとした目が、ものすごい迫力だった。エリザは美人なほうの顔つきだが、猫を語るときの彼女は表情が弛緩しているはずであった。だが、それは異様な高揚を帯びた雰囲気でもあった。肌を叩き付ける圧倒的な迫力を周囲5メートルの人間に確実に与えてくる。細身の貴婦人にどうしてこれだけの声を出せるのだろうかと、シンは一瞬たじろぐしかなかった。
「……では、エリザさん。猫がメタアクターと先ほど伺ったのですが、それが探偵から断られた理由ですか?」
「そうなの!探偵たちは猫のことを聞いたらみな断ってきたのよ!こんなことなら最初からあなたたちに猫のことを伺えば良かったわ。どこもたらい回しにされるなんてサイテー!」
「災難でしたね」
これはシンの本心であった。メタアクターの事案に対応できるところとできないところの差は激しかった。できない業者だと、完全に無愛想な門前払いをされることもある。愛猫家のエリザにとって腹立たしいことだと思ったことはシンの想像に難くはなかった。
「そうよ!ここに来る前の業者なんて……」
シンとエリザが話をしている間に、ジャックとアディが離れたところでひそひそと話をした。
「……三万って言ったわよね」
「これはきつくないか」
「彼女の依頼断った方がいいかしら……」
「報酬次第だな。探すのは難しくないが、場合によっちゃあな……」
そのときエリザと話していたシンは衝撃的な表情を浮かべた。
「いぃ!?……前金だけでそんなに!?」
「タイフーンちゃんのためだもの!これくらいは安いものですわ!」
「……わかりました。ではどの辺ではぐれたか……」
「アルファフォート地区のラインストリートのあたりにいると思うわ」
「あ、あんなところを!?」
ラインストリートは交通量が激しく猫が歩き回るには危険なところであった。ところが、エリザは猫よりもよその車の方が心配だとシンに告げていた。
アルファフォートのややレトロな街の中にベンガルに似た斑を持つ猫が悠然とした様子で歩いていた。タイフーンは欠伸をしながら散歩を満喫していると、一匹の野良犬がじろりと猫を見た。どうやらこの犬はこの近辺一帯のボス犬で、彼の身の回りには48匹もの野良犬が集まってきていた。
猫はふてぶてしいまでに弛緩しきった表情で犬たちの様子を眺めていた。
その様子を見て犬たちはさらに殺気立った様子で吠え始める。
猫はようやく口を開けた。だがでてきたのはさきほどより特大の欠伸だけだった。
何匹かの犬が怒り狂った様子で猫に飛びかかった。プライドを傷つけられたことに腹を立てたのだ。猫はひょいと犬の前腕を避けると、犬に向かってきっと睨みつけた。その瞬間、犬の体が吹っ飛ばされゴミ回収の鉄箱に激突する。
きゃいんと情けない声をたて犬は逃げようとしたが、ボス犬に前足で顔を引っ掻かれたあと、胴体を後ろ足で蹴っ飛ばされた。
ボス犬が威厳を見せるために自分より図体の小さな猫にその巨体をぶつけようとした。しかしある地点でその体は静止する。
「…………ふご」
猫はそう言った瞬間、ボス犬の体がさっきの犬と同様の勢いで吹っ飛ばされる。ただし、上向きに。
あぉぉぉぉんと恐怖の悲鳴をあげたボス犬が6メートルほど打ち上げられると、そのまま地面に落下してきた。右の前足と肋骨が完全に折れボス犬の戦意が完全に喪失した。それを見ていた犬たちは一様に怯え逃げ惑った。
わおん、わおんと悲鳴のような鳴き声をボス犬はあげるが助けようとした犬はわずかしかいない。タイフーンはボス犬を四回念入りに引っ掻くと、つばを吐きつけて散歩の続きに戻った。何匹かの犬がボス犬を引きずり物陰まで逃げていった。
「……ふご?」
猫の前に、黒いコートとカーキのズボンを着用した男が立ちふさがった。その後ろに三人の男女が駆け寄る。
「……タイフーンか?飼い主のところに帰るぞ」
タイフーンはふーと警戒心をむき出しにする。シンはあきれながら捕まえようとしたが、できなかった。
「……な」
シンの体が6メートルまで浮き上がり、そのまま頭から落下する。ボス犬よりも勢いは強い。
「カズ!」
カズはシンの体に最大風速の疾風を吹き付ける。
「……ぐぅ」
シンの体は地面から一メートルの地点で静止する。猫の正体不明の力とカズの風を操る力によって拮抗した状態で浮いていた。
「ジャック!」
「あいよ!アディ!」
ジャックが猫を捕まえようと飛びかかると猫は飛びかかりジャックの顔を引っ掻いた。
「いぃぃぃ、いででででぇ」
頬から血を流し、猫に反撃を受けて転倒する。
「ちょ、この暴れ猫!」
アディはメタビーングの身体能力を駆使して3メートルほどの距離を一気につめる。しかし、猫はアディの方をじっと見ると、アディの体は元いた方角へと吹っ飛ばされた。まるで落下するかのように勢い良く弾かれゴロゴロと路上に転がっていった。
「この……調子に乗って!」
アディは両足とサソリの尾を使って地面に張り付いて移動する。短いスカートから飛び出した尾でアスファルトを貫き、両足を人間の形をした硬質な脚部に変異させる。その状態のまま地面を登攀するようにして足と尾で引っ掛けるように移動する。地面を尾と硬質な足で貫き、引力に引っ張られないようにして猫にアディは近づいた。
「んごご……この……暴れん坊……め」
ジャックも猫に近づこうとするが猫を中心に斥力が働き、壁の方へと引っ張られてゆく、それはまるで猫を中心に重力が狂ったかのようであった。とっさにゴミ回収用の鉄箱にジャックは両手をのばした。
「……ま、まさか」
ジャックは気づいた。猫の能力に。
「……おい、シン!」
ジャックはゴミ回収の鉄箱にすがりつきながらシンに呼びかけた。
「なんだ!?」
「猫の能力は、重力のベクトルを狂わせることだ!」
「はぁ!?そんなむちゃくちゃな!」
カズはシンが地面に叩き付けられないようにゆっくりと風力を調整する。猫を見据えながら相手の出方を伺う中、シンは空中でばたばたと手足を動かすしかなかった。人間の体を浮かせるほどのカズの風力だけが狂った重力からシンを守っていた。
「……この状態が何よりの証拠か!」
シンは全く武器も装備もない状態で空中に浮いた状態になる時、猫とカズは相手の心理を読み取ろうとにらみ合っていた。
カズは自分や親友が怪我を負わせられないために。
猫は自分の摑み取った自由と散歩の確保のために。
両者はじっとにらみ合う。
空気が震え、緊張が両者を包む。
カズの額から冷や汗が垂れる。先ほどまで弛緩した表情の猫はいない。猫は強敵を前にじっと相手の出方を伺っていた。
「……ふご!」
カズは最初、敵が道路側に自分を吹っ飛ばすつもりかと一瞬考えた。だが、追い風を作ると、拮抗せずむしろ猫の方に勢い良く引き寄せられるのを感じた。
「まずい!」
そう思ってカズはとっさにもう二つの風を作った。カズの体は猫を通り過ぎ反対側の路地の壁に叩き付けられた。
「がぁ!」
風で勢いを緩和して衝撃を和らげたが、それでも十分な心理的ダメージを受けることになった。体の方は骨一つ折れることなく無事に猫に向き直れたが。それを見た猫は悠然と逃げようとした。
「ふご!?」
猫は異変を察知したが、遅すぎた。
「……だが、なんとか捕まえた!」
カズがゴミだめから突風を起こすと、鉄箱のすぐ近くにあるゴミ溜めからネットが舞った。カラス避けのネットだ。鉄箱に入らない分のゴミをカラスなどの鳥から保護するためのものであろう。ネットが猫の体に巻き付く。
「フニャァ!フガァ!ニギャー!」
タイフーンがばたばたとネットから逃れようとしたが、ネットが体に絡まるだけであった。こうして超能力猫の大捕り物劇は幕を閉じることになった。カズとアディが猫の絡まったネットにたどり着く。
「……いたいた!ってあれ?もう終わった?」
ユキが遅れてやってきた。カズがユキの姿をみるなり手伝うよう呼びかけたためユキが近寄ってきた。観念した猫はもう能力を使わなかった。ユキだけは彼らが奇妙な体勢で猫を捕まえているのを訝しんでいた。
「本当にありがとう。シン!」
「……いえ、むしろ仲間に助けられました。ははは……」
ばつが悪そうな様子でシンは頭を掻いていた。一方のエリザは猫が想定より早く帰還したことでご満悦の様子であった。
「じゃあ帰りますよー、タイフーンちゃん!」
「ふにー、ふにー」
手提げの檻越しなでられ猫はいやがるように身をよじらせていた。愛の深すぎる猫に連れられ猫はひと時の自由を終えることになった。
「……それでボス?報酬は?」
「……みんな驚け、これだ」
アタッシュケースの中にはアスガルド共和国共通通貨、ブレター札の替わりに金の延べ棒が何本も入っていた。
「……き、金塊ぃいい!?」
「うぇえ!?これ?これェ!?」
アディとジャックが仰天した様子でアタッシュの中身を見た。
「……ユキ、分析」
シンも平然を装いつつもその表情は明らかに動揺していた。
「……本物よ。よほどあの猫を可愛がっていたのね」
「………………マジか。これ」
「なんにせよ。最近、赤字だったから、これは僥倖よ」
「……わお」
カズはアディとジャックに胴上げされることになった。そのあと、ものすごく拍手された後、礼拝のごとく頭を下げられてカズは喜びつつも照れていた。こうして、この日一番の功労者はその日の夜、アディとジャックから好きな料理をたらふく食べることができた。
一方のシンは、猫の件で活躍できなかった申し訳なさから、ジャックとアディの仕事の残りをその日だけ肩代わりすることにしたのであった。
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