第4話 レオハルトと奇妙な美術鑑賞

レオハルトはたまに街を散策する。

建物の町並みはハミルトンと比べ落ち着いた雰囲気の建物が多く見られる。

軍人としてオフの日は主に一人だ。だが、時には大切な人と過ごす時間が欲しい時がある。その時は妻のマリアも同行する。

「今度はどこに行くのかしら?うふ、楽しみ」

明るいブラウンの長い髪がそよ風に揺らぐ。おっとりとした雰囲気の若い女性がレオハルトに気づきレオハルトの方まで歩み寄って来る。純白を基調とした上着に落ち着いた青のスカートが風に揺らぐ。清楚な雰囲気を帯びた碧眼の美女がゆったりとした歩調でレオハルトのすぐ近くに歩いてきた。その笑顔は可愛らしく、調和のとれた顔のつくりも相まって慈愛に満ちた雰囲気を周囲に感じさせる女性であった。

彼女こそがマリアであった。

「今日は美術館だ。最近フランク連合の画家さんが新作を発表したんだ。こっちでも展覧を行うみたいだから見に行こうと考えたんだけど」

「あら、そのために私を誘ってくれたのね。嬉しいわ」

マリアが控えめながら心底嬉しそうに微笑む。マリアの笑顔を見て、緩んだ笑顔でレオハルトはマリアの手を握る。マリアの手は小さく細かった。力を込めたら折れてしまいそうな気分にさせるほど繊細で美しい手をしていた。

「喜んでもらえてなによりだよ。さあ、こっちだ」

マリアの手をひきながらヴィクトリア中央美術館へと足を踏み入れた。ヴィクトリアシティ南部にその建物はある。

一見すると古めかしい館であった。元々は高名な名士のために高名な建築家が設計したもので、その名士から芸術家の集まりと物好きたちのグループが買い取って美術の拠点としたことがきっかけだと言われている。

この白亜の館には多くの美術品が現在まで展覧されている。

この館の入り口に二人は立っていた。

いるのは二人だけではない。

多くの来客が、今日発表される新作の絵画を見にやってきていた。国の違いどころか、種族の違いすら超えていた。

来訪客の姿は千差万別で、時代錯誤な礼服を着た貴族風の集まり、オズ連合から来たであろうヒューマン系部族の集まり。細長い体格のレムリア人の家族。軟体生物を思わせる姿のイーダ人たちのツアー客、蝶の頭を思わせるオズ人の夫婦。フランク連合の紳士たち、そして、AGUやアスガルドの人々。アズマ国の老紳士たちもここにいた。

彼らは皆、政界の要人や、経済界の重要人物、芸術やファッションの重鎮などの顔ぶれに溢れていた。もちろんそうでない観光客や一般の人々なども出入りしているが、VIP達の顔をよく知るだけあってレオハルトは緊張した気持ちを抑えられずにいた。

対照的にマリアはとても天真爛漫で陽気な様を崩すことはなかった。にこやかで朗らかな雰囲気がレオハルトの緊張をほぐしてゆく。

「今日は絵を楽しむだけなんだから、リラックスしていきましょ」

「すまないな。マリア」

常設されている絵はどれもこれも一級品であった。

花。

雪。

虹。

街。

人。

どれも際立った個性と鮮やかな色合いが見るものの視覚を十二分に満足させてくれる。色合いだけでない。それらの絵は美しいものの中に深遠なテーマを隠していた。その哲学や主題を考えながら鑑賞する事でさらに絵画の素晴らしさをレオハルト達に感じさせる事が出来た。

「綺麗ね」

「ああ、だが綺麗なだけじゃない」

「なんとなくだけど……哀しいの」

「そうだ。本当に哀しい。苦しみを直視しすぎている。だからこそ美しい」

「わたしもそう思うわ」

やがて多くの人がある場所に集まりだした。新作の絵の発表だった。

それは青を基調にした不思議な絵だった。

空。そして雲。

白と蒼穹のコントラスト。

漂白された空白の隙間から、ありふれた尊さを覗き見る。

示唆に富んだ傑作であった。

見ていた来客たちはうっとりと感嘆の声をあげる。

「……すごいわ。なんて美しい絵」

「驚いた。これはどこの大画家が描いたのだろう?」

レオハルトとマリアの二人も余りの美しさに嘆息した。

青の色合いに対する理解と執着が絵全体に滲み出る。これこそが『色への愛』であった。

オーギュスト・リモージュ

彼の色彩への執着は狂気の粋に達していた。創作のためにこもることが多い彼はなかなか人前に出ることはない。しかし、彼の目は常に色彩と主題に飢えていた。時代や国、そして人間との出会いを通し、多くのアイディアを貪欲に吸収する究極の美術家であった。

そんな彼が、絵の発表後しばらくして、人々の前に出る。

皆、息をのむ。沈黙と緊張であった。初老の芸術家は静かに口を開いた。

「皆さん。今回は拙作の発表にお付き合いいただきありがとうございます。わたくしのような半端者が皆さんのような多くのフォロワーを得たことを誇りに思います」

拍手。来館者達から歓声があがる。

「今回の作品展はアスガルド共和国で行われるということからヒントを得ました。この作品もそうです。私はフランク連合で生まれアスガルドのハイスクールにて青春を過ごしました。『ある人との出会い』をきっかけに、この国の歴史に対する強い意識を知り、自分でも彼らの文化を学びました。私はこの国にとってはエトランゼに過ぎませんが、この国のみならず、逆境の中でも誇り高い人間に宿る『蒼穹の意志』を表現したいと考えております。今回の作品ではその途上に過ぎませんが、その一端だけでも味わっていただければと考えております」

謙虚な物腰と作品に対するストイックさ。

彼の態度は職人であり巨匠であった。

彼の真摯な姿勢とコメントが多くの人々の心を刺激する。

歓声。拍手。

来館者たちの賞賛の声が中央美術館中に響き渡った。







レオハルト達が大芸術家に再び出会うのにあまり長い時間は掛からなかった。

その日の夜。レオハルトはある人物から連絡を受けた。

オーギュスト・リモージュだ。

「オーギュスト先生。私たちに相談とは?」

「……君たちは『蒼穹の魂』が宿っている」

「……信用していただけてありがとうございます」

「恐れ入りますわ」

「ああ、信頼は大事だ。人間は、人間はって卑下する輩は多いが、人間自体千差万別な種だ。『まっとうな魂』と『そうでない魂』は厳重に見極められなければならない。その手段の一つが信頼なのだろう。それに報いろと口で言うのは簡単だ。しかし、逆境の中でもその信頼を貫ける者は少ない。掌を返す者、口だけの者、表には出さなくても誠実に振る舞う者。実に色々だ」

「私も強く痛感しています。口だけは達者で表向きは笑顔でもおぞましい本性を隠し持つ者を多く見てきました。それでも、人間全体がこうって思うことはありません。誠実な人間にも出会ってきたからです」

レオハルトの言葉を聞いてオーギュストは頷く。

「……うむ、人間の本性は『魂』だ。魂の炎、その色彩と強さ、それで全てが決まる。それを忘れてはならんぞ……、おっと、話し過ぎたかな。なにせ若い友との時間は上等な酒にも勝るものだからな。さて本題に入ろう……」

「ええ、私に依頼とは?」

「……この絵を守ってほしい」

オーギュストは一枚の絵を彼に見せた。銀髪の美女であった。彼女の服装は青地の軍服。凛々しい装飾品をつけた美しい軍服であった。つり目の顔立ちは整っていて凛々しく、遠き神話の戦乙女の如き美しさを見るものに感じさせる。

「……この『女神』見覚えはあるかな?」

「……わ、私の祖母の……オルガおばあちゃんの……!?」

「うむ、この絵は私の友人アツロウから得たものでな。おっと、きみにとっては母方のおじいさんか。……この絵はある組織に消されようとしている。リセット・ソサエティだ。それからこの絵を一日だけ守ってほしい」

「…………アツロウおじいさんの絵を何故あなたが?」

「年を取るといろんなことがある。それだけだ」

それを聞いたレオハルトはしばし考えた後、その依頼を了承した。

「……お嬢さんもこれを持つと良い」

そういってオーギュストは黒光りする丁字の物体を手渡した。

ピストル。火薬式の骨董品だ。自動式。

「どうしてそこまで……」

マリアはその銃の重さに怖気ついた様子だ。

「歳をとった人間からすれば、マリー・オルガ・シュタウフェンベルグ中将は大英雄だ。苦難と孤独に満ちた生涯も含めて。彼女の魂を……どうか……」

「彼女の孫として……必ず」

マリアの銃をレオハルトが持つ。血統と最愛の妻を守り抜くという意思表示であった。







深夜の路地歌を二人は歩く。

マリアは祖母の絵が入った包みを抱えて、辺りを見回す。

レオハルトは物陰の殺気に気づく。

その夜道の向かい側に不審な男が立っていた。

「……オーギュストから絵をもらったな?」

「誰だ?」

「渡してもらおうか?」

「断ると言ったら?」

「その女ごと斬る」

フードの男は長い片刃の刃物を取り出した。

レオハルトも腰にある軍刀の鯉口を切る。居合の構えだ。

「…………」

「…………」

風の音と遠くの電気自動車が走る音だけが、小さく響く。

黒フードが駆け出して来る。

一閃。

居合いの間合いに入ったフードを刃物ごと袈裟斬りにした。

フードの胸から血飛沫があがる。

レオハルトはサーベルの血を飛ばし、ゆっくりとそれを鞘に戻す。

しかし、かれは完全に警戒を解かなかった。

フード男の手が動く。

手だけではない。手、腕、そして両足。

彼は立ち上がった。斬られたはずなのに。

「……傷が塞がれているだと」

フードはいつの間にか止血していた、まるで傷自体が内部から閉じられたかのようであった。

フードは手をかざすと血しぶきと刃物の欠片から新しい刃物を生成した。

刃物の欠片と血自体が引き合う様にして癒着していった。

レオハルトは得心を得る。彼はメタアクターだと。

「……」

レオハルトは持っていた拳銃を遠くに捨て、刀を構え直す。この男には特殊なもの以外の『金属』を近づけるのは危険だった。

「……気づいたか」

「無論だ。君、メタアクターだ。それも近くの金属を操る。……例外はあるが」

「だからどうした」

「その力、別の使い方があったんじゃないか?」

「……俺は依頼通りの仕事をするだけだ」

「もっと他の仕事があるだろう?同じ能力の知り合いも知っている」

「どうでも良い。俺はその絵を処分する様に言われている。それだけだ」

「……残念だ」

「歴史に『IF』はない」

「……そうだな」

レオハルトは武器を構えなおす。もはやこの男とは話し合う道はない事を二人は痛感した。

一対一の戦闘。能力の差が勝敗を分ける。

レオハルトは旋風となった。

死の残像がフード男を両断した。

頭部から両断されたフードは斬撃の数秒後に二つに分割される。

二人は路地裏を抜け、人通りの多い通りを経由する。自宅に着いた後は家から一切出ることなく一夜を過ごした。







翌日の指定された時刻にオーギュストを呼んだレオハルトたち二人は、暖炉のある居間で会話を交わした。居間の雰囲気は穏やかで、時間がゆるりと過ぎてゆく。

「この絵を引き取っても?」

「構わない。報酬も払う」

「報酬はかまいません。この絵を守ってくれた事に感謝します」

「……私は芸術家だ。政治や経済は分からん。私が出来ることと言ったら芸術を次に伝える事だけだ」

「貴方は絵を通して蒼穹の魂を守って下さいました。今は亡き祖母に代わってお礼申し上げます」

「うむ、ではこの辺で失礼するかな。……おおそうだ、君の奥さんのスクランブルエッグは美味かった。また、食べにきても良いかな?」

「ええ、またアスガルドに来たときは是非」

「うむ、またな」

老芸術家は、満足げな表情で外へと向かっていった。その後ろ姿を二人は、にこやかな表情で見送った。

レオハルトとマリアの居間には絵が飾られている。

孤独に耐え誠実に生きた女英雄の絵が飾られていた。

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