第3話 レナたちの短いひととき
レナはぼんやりと座っていた
コーヒーの湯気だけが彼女の眼前に緩やかな変化を与えていた。
それまでのこと、今の事、考えることが多過ぎたのだ。そんな二人の様子を見かねたレオハルト中将は二人に休暇を与えた。疲労の色が強かった二人は何日かの休暇をもらって過ごすことになった。
コーヒーを見つめたが、飲む様子はない。レナは席を立って近くのクローゼンとの鏡を見る。
スポーツブラと下着だけの姿だ。腕と足が鍛え抜かれている。以前と同じか以前以上に。『白菊』の影響もあるだろう。だが、それ以上に彼女が気にしていることがある。胸。ささやかな膨らみ。
「フェリシアと二人で過ごすが良い。おぬしには時間が必要じゃろう」
そう言ったきり白菊は眠ったままだ。人格が覚めるのは休暇の終わりになるだろう。
「……」
レナは突っ走る。それだけが取り柄であった。少なくとも彼女の認識ではそれが唯一無二の取り柄であるという考えがあった。
『血染め天使』を捕まえる。法の裁きにかけるという思いで突っ走ってきた。その目標を終えて、レナは考えた。
「……アタシはどうありたいの?」
レナは思わず呟く。気紛れで人生を狂わされ力に溺れる存在を作らない。その目標を作っていた。しかし、考えても、考えてもレナは力を求める生き方しか分からなかった。
亡き家族の無念を晴らすため、自分の正義のため、ただ走った。
おしゃれを捨てた。
友達との時間も捨てた。
追う者としての生き方を学んだ。
でも、レナには今、学びたいことがある。人としての生き方だった。
「……」
部屋は殺風景だ。観葉植物もない。絵もない。
クローゼットには警察時代の服と運動用のジャージ、普段着は地味なものばかりだ。せいぜい色合いを変えるくらい。
食事も簡単なものだ。レナは一応料理ができるが、食に関しては今まで機能的にしか考えては来なかったのだ。
目的は二つ。腹を満たすこと。身体を健康かつ剛健にすること。
それだけ。
化粧に関してはもっと分からない。レナは周りの話についていくのが苦手だった。大抵は娯楽とおしゃれ、そして恋。
どれも苦手だった。どれも捨てたものだった。特に苦手だったのは『恋系の話』だった。男を好きになることがレナには出来なかった。友達としては何人かいたが、友達というだけであった。
女の子に対して胸がざわつくことはあった。しかし、男にはそれがなかった。ドライにいつも振る舞う。同性の仲間との会話に入り辛かった。
パチン。
両手で両の頬をレナは叩く。そうして彼女はオフのときの恰好に袖を通す。帽子を被り、玄関の方を見る。
このままじゃいけないという意思表示であった。
「ならば、たまには遊んでやろう」
そう呟きながらレナは外に出た。
ブティックの前でレナはショーウィンドウの中を覗いた。
「……服って、たっか」
レナは値札を見て目をぱちくりさせた。
ブレターの、金の単位が違っていた。二十、三十ブレター。
想定より桁がちがう。おしゃれにかかるお金の総量にレナは思わず目を回した。金額自体はそれほど法外な値段ではなかったが、レナはお洒落着を含める服の値段が食事より高くつくものだと言うことを完全に失念していた。
「フェリアがいてくれたら……」
店の服と値段をみて、レナは思わず愚痴を呟く。
レナにとって、『フェリア』ことフェリシアとは長い付き合いだった。
普通、フェリシアという名前の愛称はフェリスが普通なのだが、彼女の場合はフェリアと呼ぶ。それは幼い頃の出来事に起因する。
対照的な二人の出会いは幼稚園の時まで遡る。
このころから二人の性格は現在のものと変わらなかった。
レナは活発で明るく外で遊ぶのが好き。スポーツや追いかけっこが好きで男の子と混じって運動を楽しむのが日常であった。
フェリシアは身体が弱かった事もあって、中で本を読んだり、数字の玩具をいじったりする事が好きだった。その分幼い頃から生物に関心があり、犬を飼うことが夢だった。
そんな彼女達が出会ったのはある種の必然によるものであった。ピアース家がシュタイン家の式典に会社の都合で参加した時レナはフェリシアと出会った。
その時、フェリシアは全く違う境遇のレナに興味をもち、レナの方も同様であった。その時から、切っても切れない縁は続く。エレメンタリースクール、ジュニアハイ、ハイスクールと彼女達は行く先々で交流が途絶えなかった。
きっかけは彼女が病気持ちだったことだった。
風邪一つひいたことのないレナにとって、風邪で外に出れない人間の存在自体が珍しかったが、なによりフェリシアはレナが知らないことを知っている事が彼女と付き合う動機となった。幼い頃のフェリアは病気がちであることとそのことで両親が過保護気味だったため、彼女は友達を作るのが苦手だった。
幸いにもフェリシアはエレメンタリースクールに入り、初等教育を受ける頃には人並みの生活が出来るくらいの免疫をようやく手に出来た。しかし、問題は尽きない。今度は人間関係に悩まされた。彼女が引っ込み思案であることを良いことに多くの悪ガキ達が彼女に意地悪をしてきたのだ。
彼女は何度も何度も泣き寝入りすることを強いられた。その度にフェリシアは飼っていた犬のチャーミーに元気をもらっていた。
だが、その日も長くは続かない。
ジュニアハイのある日のこと、札付きのワルがフェリシアをいじめた挙げ句犬のチャッピーを傷つけてしまったのだ。チャーミーはその時の傷が悪化し命を落としてしまう。
そのワルは悪びれもせずこう言ったという。
「フェリスをからかっていた時にうるさかったからぶっ飛ばしたよ。何が悪い?あんな馬鹿犬は教育してやった方が世のためさ」
フェリシアたまらず学校と家を三日間逃げ出し、街の中でわあわあと泣き続けた。それを聞いて飛んで来たレナはフェリシアに事情を聞くとそれまでにないくらい大激怒した。すぐにホームセンターに言って催涙スプレーを一本買うと学校に乗り込んだ。
フェリシアから聞いた情報をもとに不良の一人を特定し、レナは彼を問いただした。そのときも罪悪感一つ感じていない様子だったのでレナはスプレーを吹きかける。悶絶した男を徹底的に叩きのめす。
翌日になって彼の兄貴分は仲間を連れてレナの学校まで乗り込んできた。
始めのうちのレナはどんなに馬鹿にされても、水をかけられても淑女らしい対応をしたものの、フェリシアを玩具かなにかのように扱う言動にレナは我慢の限界を超えた。怒髪天を衝く勢いで怒り狂ったレナは三十人いた不良達のうちリーダー格を含む8人を一人で殴り倒す。その場にあった傘や自転車を振り回し、自転車が粉々に壊れても、警察官の祖父や父が仕込んだ格闘技術を用いて殴る蹴るの大暴れ。それは再興暦よりさらに古い時代の狂戦士か、あるいは古い宗教の法典に出て来る悪鬼や修羅さながらの有り様であった。
その大暴れの様子を見た、残りの悪ガキ達は完全に怖気つき、あまりの恐怖で皆、蜘蛛の子の如く逃げ出した。この事件の後、レナは教師達に厳重注意を受けたが、フェリシアがいじめられることはなくなった。その後も、その近辺の不良達は『怒り狂ったレナ』の報復をひどく恐れていたと言う。ただし、フェリシアはその時の恐怖を忘れられず今、現在も『フェリス』と呼ばれることを恐れる。そのため、レナは『フェリア』と呼ぶことにした。過去の自分との決別も兼ねてのことだった。
その後のレナとフェリシアは真面目に勉学に励みレナは故郷を出て警察の特別捜査チームに、フェリシアはヴィクトリアシティの病院で看護師の仕事に就いた。
その後の交流は少なくなったが、端末のショートメッセージ機能を使って交流自体は続けていた。血染め天使による『シュタイン家爆撃事件』の後、SIAの入局試験を何度も受ける時期になって、たまに飲みに行くくらいであった。
警察を目指し、復讐を成し遂げたレナは次の目標どころか、自分自身すら見失っていた。
成すべき正義は成したが、孤独と言う病に苛まれた。
レナを迎えてくれる家族はもういない。
「……」
ショーウィンドウに飾られるお洒落着がなによりも美しく見えた。それは余りにも遠くの、遥か高みの美であった。
ふぅ。
レナは吐息を吐く。携帯端末を弄くり、時刻を見る。そしてたまらず、彼女は電話をかけた。
フェリシアだ。
彼女の声は優しかった。
「フェリア?今日暇?」
「うん。遊びにいく?いつものアミューズメントセンター行こ」
「お、いいね。いこいこ」
そうしてヴィクトリアの街の中心でレナはフェリシアを待った。
夕方の街を歩きながら、フィリシアはレナへの質問に答えた。
「結局、他人の価値観よ。それ」
「うん、……でも、女の子らしく可愛くなりたくて」
「十分可愛いよ。レナは。可愛いだけじゃない。かっこ良くて優しくて。私にとってはいつも憧れだったわ」
「や、やだ。恥ずかしいわ」
「恥ずかしがることないよ。あなたは貴方らしくすれば良いんだから、服装とか変えれば世界一、可愛いんだから」
アミューズメントセンターでハイテンションなレナがずっとしおらしかったことを気にしたフェリシアがたまらず質問をした。
はじめは、はぐらかそうと奮闘したレナであったが、度重なる質問攻めに折れる形で自分の悩みを話した。
その結果の誉めちぎり。
口を開けばフェリシアはレナのことを延々と褒め倒す機械と化した。
レナは顔中の血液が熱を帯びたような錯覚を感じていた。
それは、二人が自宅に着いても続く。その流れで、フェリシアはレナの家に泊まることになった。フェリシアはレナが味っけない料理を食べることに心配して、料理までする始末であった。
「お味はいかが?」
「う、うまい。アタシ感動したわ」
「でしょ?レナにも後で教えてあげるわ」
「このハンバーグうまい」
「野菜も食べなさいよ」
「やさいうまい」
「……子供じゃないんだから、がっつかないの」
フェリシアは果実酒をレナのグラスに注いであげる。
「これは?」
「……私の実家の親戚がお酒持ってきてくれたの。そのお裾分け」
「ありがとう。レナ」
レナは果実酒に口をつけると、にっこりとしながらそれを味わう。
フェリシアはその笑顔を見てレナに顔を寄せる。
「ねえ、レナ」
「うん、なに――」
フェリシアは唇を重ねた。
普段以上にねっとりと深く、味わうかの様にウェットなキスであった。時間だけがゆったりと過ぎ、その感触にレナは身を委ねた。始めは面食らった様子ではあったが、やがてそれを受け入れていく。
名残惜しそうに二人は唇を離す。
「……ふぅ、その笑顔よ。忘れないで」
「うん。ありがと」
レナはいつも通りのおおらかな笑みをようやく取り戻した。
それを見てフェリシアも笑う。
時計の針は、いつの間にか九時になろうとしていた。
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