「ホームレスとか生活保護受けてる奴とか、コ〇した方がよくね?」←コレ
「ホームレスの命はどうでもいい。言っちゃ悪いけど、居ないほうが良くない?」
「邪魔だし、プラスになんないし、臭いしさ、治安悪くなるし」
「僕は生活保護の人達にお金を払うために税金を納めてるんじゃない」
「生活保護の人に喰わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」
「猫はかわいいじゃん」
「元々人間は群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ」
「犯罪者殺すのだって同じですよ」
どうも熊です。
某有名人の方がこのような意見をYouTubeで言われ、物議を醸していた事がありましたね。
この手のご意見、別にこの有名人の方一人だけが言ってるわけではなく実は昔からちょいちょい聞きます。
「無能を切り捨てて社会作った方が効率良いじゃん」的なこのご意見。
あまり有能ではない切り捨てられる側の熊としてはこういった意見が話題になっているのを見て「こらあかん」と思い急きょ筆を取りました。
いつ職と家を失うかもしれない慎ましやかな生活をしている熊としては、いざ全てを失った時に生活も保護されず取っ捕まって処刑されてしまうような未来は出来れば回避したい所です。
おっさんで可愛くなく、酒臭く、会社からも「もっと役に立てや」とせっつかれ、自転車乗ってるだけでお巡りさんから「その自転車、キミの? あとちゃんと働いてる?」と治安を乱している疑いからか職質を受け、かつて家賃とガスと電気と水道代を滞納してマジにアパートから追い出される寸前までいった過去を持つ熊は、果たして処刑されるべきなのか。
無能で社会のお荷物である事には定評のある熊、断頭台の露と消える事無く無事に明日を生き延びるため、頑張って自分を弁護していきたいと思います。
どうか皆様、温かなご支援を!
さて、それでは「無能を切り捨てろ」的なこのご意見について。
早速考えていきましょう。
まず、大前提として「無能」とは何でしょうか。
能力が無い事を差して「無能」と言います。
では「能力が無い」というのは一体どういう状態の事を差すのでしょうか。
例えばですが熊は算数が苦手です。
九九であれば七の段を途中でつっかえたりしちゃいますし、四則計算の間違いなんかしょっちゅうです。
会社の経理にでも放り込もうものなら、それはもう大惨事となることでしょう。
その月の給料計算とか多分ケタ一つか二つ余裕で間違えます。平社員大喜びの役員激おこです。
会社の経理としては満場一致で無能でしょう。
ですが、これが幼稚園でしたらどうでしょう。
年齢一桁の、四捨五入するとゼロ歳になったりならなかったりするチミっ子達の間でしたら熊の算数の力は実に有能です。
幼稚園のおやつを纏めて渡された時にも一人何個ずつ渡せば公平に行き渡るか計算できますし、時計の数字も読めるので残りの休み時間でどんなお遊戯が出来るのかも適切に判断できます。
「おっちゃんすごーい!」
と、目を輝かせて褒め称える鼻水垂らした園児たちの姿が目に浮かびます。
ここでなら熊は輝ける。
幼稚園児としてはそこそこ算数が出来る方に入れる自信があります。
また、話を会社に戻しまして。
掛け算や分数の計算の怪しい熊に経理なんぞさせたらクソの役にも立ちませんが、会社の飲み会のにぎやかしとしてでしたら割と有能です。
少なくとも、当時の上司連中からはある程度重宝されていました。
あまり馴染みのない人物同士が呑む場合、とりあえず場繋ぎのために熊が引っ張り出されるという事は割とあり、というかしょっちゅうあり、連日ただ酒を呑ませてもらっていた確固たる信頼と実績が熊にはあります。
リストラの横行する会社の中にあって、仕事面で特に評価されてない熊がそこそこの年数居座っていたのはこの辺の評価があってのものでしょう。
というか面と向かって言われました。
「お前には仕事外では助けられた。仕事中は迷惑だったけどな。何度首切ってやろうと思った事か」と。
熊、実に危ない所でした。
まあ最終的には自分から転職しましたけども。
その元上司とは今でも飲み仲間です。
つまり何が言いたいかというと、無能とはあくまで相対的な物であり、しかも場所によって評価は変わるという事です。
ゲームで例えるならこんな感じでしょうか。
「僧侶は戦士に比べて攻撃力は低くとも回復が出来る」
「このキャラは全ての能力値が弱くて使い物にならないけど特定のボスに効く即死魔法覚える」
「このスライム、クッソ弱いけどレベル99まで育てると超火力スキルの「灼熱の炎」覚えてザコ敵一撃で殲滅できる。あと特定のイベントはそもそもスライムじゃないと参加できない」
とかとか。
ミクロな個別視点で見たとしても、比べるパラメータやとりまく環境、そして条件次第で人は有能にも無能にもなるわけです。
最後の例はスライムですけども。
よって仮に「無能である」と周囲から判断された人がいたとしても、それは現時点での環境や条件においての相対評価が低いという事なだけであって、他の場所では能力を発揮できる可能性は否定できないという事です。
そういった評価されない状況が続き、収入を得る事が出来ない人に対してどういう選択を行う事が良いでしょうか。
某有名人の言う通りに、切り捨てたほうが良いでしょうか。
無能な熊は熊鍋として皆様に美味しくいただかれる事で最後のお勤めを果たすより他に道は無いのでしょうか。
いいえ、ちょっと待ってください。
皆さんはいらないオモチャやアクセサリー、余った野菜を捨てるときなんかにこんな事を親やガッコの先生や伴侶、同棲してる方から言われたりはしませんでしたか?
「こら、捨てるのは勿体無いでしょ」と。
崩れてしまって役に立たないビーズのアクセサリーがビーズを組みなおすことで可愛らしい一品へと姿を変えるように、刃こぼれした包丁の刃を研ぎなおすことで再び元の切れ味を取り戻すように、使えなくなった物でもちょっと一手間加えるだけで再び使い道が生まれる事があるのです。
今はエコロジーが叫ばれる時代。人的資源もまた同じです。
病気やら何やらの不幸な事情で家や職を失った人が出たとして、それを切り捨てるよりも手を差し伸べてもう一度社会で活躍できる後押しをしてあげた方が労働力の有効活用とはならないでしょうか?
もちろん「いいや、採算が合わないだろ! その後押しに掛かる費用を考えるならば救いの手など差し伸べない方が経済的に見て得だ! そもそもそんな生活保護を受けるレベルまで身を持ち崩す奴が社会で再起できるわけがない!」という反論もあるでしょう。
そんな事はありません。
世界中で愛されているファンタジー小説「ハリーポッター」を書いた、J・Kローリングさんは生活保護を受給する中でその作品を書き上げましたし、我が国においても実家が貧しく国からの保護を受けて育った芸能人や企業家、有名人の方は沢山います。
もしも困窮している人達への保護が無ければ、彼ら彼女らの優れた才能は世に出る事無く死産していたでしょう。
こういうお金を多く生み出す方が多くの税金を納め、場合によっては一人で数万数十万人分の税金を賄ったりもするわけで。
そういう逸材が生まれる可能性は少しでも上げていたほうが良いかと思います。
熊もいつかその一人に!
ああッ!
税金を納めたくて仕方がない!
誰か、誰か熊に税を納めるための大金をッッ!
取り乱しました。
話を戻しましょう。
何より人を国税で保護する事の費用対効果を持ち出すならば、大抵の人は税により受ける分の恩恵の額を支払えていません。
例えば千葉市で共働きで子供が2人おり世帯年収500万程度の一般的な家庭を例に見てみると、市税で受けられる恩恵とその家庭が支払う納税額はこのようになっています。
保育所の維持使用や予防接種、児童手当等の市税サービスによりその世帯が受益する金額は一か月約14万円。
対して、同サービスを受けるにあたり納める税金の額は一か月約五万円程度となっており、差し引き9万円ほどの援助を受けています。
これが世帯収入1000万ですと受益額は約14万とほぼ同じで、納税額は8万円。差し引き6万円分の援助を受ける計算となります。
詳しくは千葉市のHP「市税の使い道ポータルサイト」で確認できますので気になる方は覗いてみてください。
これらのデータが示している通り、そもそも大半の勤労者が支払う税収以上のサービスを受けている状態なんですよね。
額面上の採算が合わない事を理由に「生活困窮者への支援は切り捨てたほうが良い!」という論理を持ち出すならば、かなりの方が切り捨てられる事となります。
言った本人が切られる可能性も高いでしょう。
なにせ日本の共働き世帯収入の平均値は2017年に総務省により出された家計調査報告によると約730万円ほどなのですから。
そのような恩恵を受けていながら「金銭額で見て採算が合わない」という理由で生活保護やホームレスを切り捨てるのは自らの手首を切るのと同義です。
ここまでで「生活困窮者は役に立たないから切り捨てるべき」という理由について「人的資源を再利用したほうが効率が良い」「そもそも採算の取れてる人自体が少ない」という二つの理由から反論をしました。
この辺でどうにか熊鍋にされるのを回避したい所なのですが、こういう反論もあると思います。
「わかったよ。成功する可能性とかある奴はそしたら生かしておくとしてさ。再起の見込めないような、100%税金をペイできる可能性の無い負担にしかならないような奴はもう殺処分したほうがいいじゃん」
どっかの介護施設で事件起こしてそうな、そんな感じの意見ですね。
この論理で行くと、定年退職したご老人はみんな殺処分すんのが最適解になってしまうわけですが。
「そんな事は不謹慎だ!」
「人には生まれながらにして幸せになる権利がある!」
と、言った所でこういう意見に対しては意味が無いでしょう。
実利のみに目を向けて物を言っているわけで。
では、実利面から反論していきましょう。
まず単純に、そういった経済的弱者や困窮者に手を差し伸べる社会で住む事を多くの人間が望んでいるという事実があります。
そして、そのニーズの高さ故に結果としてそのような福祉制度、救済制度を持つ村や町、国家の元に多くの人や支持が集まり発展し、国家間競争に打ち勝ち生き残ってきたという実績があります。
故に国家戦略の一環として福祉という要素は切り捨てない方が良いわけです。
経済戦争や実際の戦争等、何をどう言い繕おうと、現存する国家は生き馬の目を抜く国際競争に常に晒されています。
その中で先進国と言われる国家には大なり小なり福祉制度というものは備わっています。
それは、国家間競争や国家運営において弱者を積極的に切り捨てる社会制度はむしろ悪手であるという経験則から来るものです。
食い詰めた貧民が何度も革命や反乱起こして国内ぐっちゃぐちゃにしたりしてきたわけで。
自分や家族の明日を生きる保障が無いとなったらそりゃまあ普通は暴れますやね。
そんなこんなで、実はなんですがこの手の社会保障とかの考えや制度は持てる者達、支配者層側が積極的に進めてきた物だったりします。
じゃないとマトモに統治できないし下手すっと自分らぶっ殺されちゃうよねと。
そして、内乱やら革命やらが乱発されるような国は国際競争力を失ってしまう為、そういった弱者を切り捨てるような真似は先進国は取らないわけです。
もし本当に弱者を切り捨てる事が国益につながるならば、そのような国家と社会制度が主流となり先進国として国際社会をリードしている事でしょう。
じゃあ何故スパルタのような徹底的に弱者を切り捨てる国家が先進国とならず、今の先進国が福祉という制度を捨てないのか。
病気や事故等で職を失った時に救済措置のある事や、家が無いからという理由で無暗に殺されたりしない事というのは「国家運営を行う上で有用である」からこそ今まで取られてきた社会制度であり守られてきた治安です。
もちろん援助の程度や支給方法については現状の我が国が最適解であるとは言えないでしょう。
ですが、どんな人だろうと生きる事を侵害されない社会というものはそれ自体がニーズが高く、そのニーズの高さゆえに人が集い人的資源の国外流出を防ぐ一因となりうるという強みがある事もまた事実です。
実利の観点からくる「生活困窮者やホームレスを切り捨てる」という論理は、同じ実利の観点から見て否定されるのではないかと熊は思うわけです。
持たざる者に手を差し伸べるのは、単なる人道主義や綺麗事ではありません。
弱肉強食なこの世の中で国として戦い抜いていくために必要な実利に基づく一政策なのです。
最後に。
今一度、このことわざを思い返してください。
「情けは人の為ならず」
こんな所で、熊を熊鍋にするのは勘弁してやってくれませんかねぇ。
「ホームレスとか生活保護貰ってる奴とか、コ〇した方がよくね?」←コレ……END
執筆日、2021年8月13日
最後までお読み頂き有難うございます!
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