第Ⅰ章 ――バーヒャルト近郊の戦い 編――

第Ⅰ章 第1話 ~澄んだ翠《みどり》色のまなざし~


――かつて神が人をそう造せし時、一つの完全なアニマを男と女に分けて宿した

  以来、常に両者は相手のアニマかれ合い、探し求める宿命となった

  ついに二人のアニマが運命の相手と出逢であった時、

           ひたすらにお互いを欲して離れようとしない――

                      

               『イアヌ島創造記 第一章 第十三節』




~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手





 



 ノイシュが歩を進めていると、不意に少女のかすかな声が耳元に届いた。

――起きたの、ミネア……――


 背に負った義妹へと視線を向けるが、返事はなく素直にその身体をこちらへと預けたままだ。

 

 ノイシュは身体を揺らして体勢を整えると、再び狭い廊下の床を踏みしめていった。彼女も胴鎧どうよろい装備そうびしており決して軽くはないが、何とか医務室まで運び切れそうだ――


 ノイシュが安堵あんどの息をついた直後、鼻先に何かがれた。目で追うとそれは褐色かっしょくをした髪であり、すぐにミネアのものと分かる。


 彼女の毛先からほのかに甘い香りがただよい、鼻腔びこうをくすぐった。鼓動こどうが激しく高鳴り、思わずノイシュは目を細める。歩を進める度に彼女の髪が優しくほおに触れる――


 ふとそこで、背負った義妹の身体が細かく震えるのにノイシュは気づく。

「あっ、動かないで……っ」

 振り落とさないよう何とか平衡を保つと、やがて彼女の身体から徐々に力が抜けていくのが分かった。

「私、どうして……」 

「覚えてない……? 式の最中、急に倒れたんだ」

「そっか、ごめんね……」

 背中越しにミネアの息が伝わり、彼女の額らしきものが自分の肩へと預けられるのが分かった。何も言葉が出せず、ただ歩を進めていった――――


「……夢を見てた」

不意にミネアの声が耳に届き、ノイシュは頷いた。

「……そう言えば、何か小さくつぶやいていたよ」

 ミネアは黙っていた。肩越しで彼女の指から力が入っていくのが、ノイシュには分かった。


「……あの子達と、別れた日の夢……」

 思わずノイシュは足を止めた。それだけで誰の事を言ってるのかが分かった。司祭だった父が引き取ってきた子ども達を、自分は捨ててしまった……――


「ワッツ、ルエリ、ザザキ……今はどうしているかな……」

 ミネアの声は震えており、ノイシュは強く奥歯をんで胸のさざ波に耐えた――


「ごめんね、こんな話……っ」

 そうつぶやく彼女の声を聞き、ノイシュは静かに息を吐いた。そして何とか思いを落ち着けると再び歩み始める。


「……学院の課程は全て修了したし、僕たちもこれで独り立ちできる。だから……」

 自分に言い聞かせる様に、ノイシュは再び心中でつぶやいた。


――そう、明日から僕達は術戦士なんだ。支度金ももらえるし、毎月給金だって入る。きっといつか、あの子達を迎えに行くことだって――


「ノイシュ、着いたけど……」

 義妹の声にノイシュが顔を上げると、眼前には救護室の札を下げた扉があった。

 

 何とか扉を開けると足を踏み入れていき、室内をうかがう。当直の回復術士はおらず、窓から注がれる優しい陽光だけが自分達を出迎えていた。内部の造りはいたって簡素で、一人用の寝台が幾つか据えられている他は木製の机や椅子があるだけだった。

 

 ノイシュは一番窓際の寝台まで来ると静かに腰をかがめ、義妹の身体をそこに横たえた。少しためらいながらも彼女の装備を外していくと、やがて彼女の唇から安堵あんどの息がれた。


「本当にごめんね、卒業式の日に倒れちゃうなんて……」

 そう告げる義妹に、ノイシュは努めて微笑ほほえんだ。

「きっとこれまでの疲れが出たんだ。すこし休みなよ」

 ミネアがゆっくりと頷く。

「私は大丈夫だから、早く講堂に戻って……きっとみんな待ってるから」

「分かった。また来るよ」

 そう応えると、ノイシュは入口のドアへと向かう。


「……ノイシュ……」

 ささやく様な義妹の声にノイシュが振り返ると、彼女は静かにこちらへと視線を向けていた。 彼女のんだみどり色のまなざしに見つめられ、自分が消えていく様な錯覚にとらわれる。強く脈打つ鼓動こどう耳許みみもとまで届いた。そのまま手を伸ばし、彼女の頬に触れてしまいたい――


「――どうしたの……?」

 ふいに我に返り、ノイシュは慌てて困惑の表情を向ける義妹から視線をそらす。

「いや……ミネアこそ、何か言いたかったんじゃないのかい」


「卒業、おめでとう……」

 彼女の穏やかな声を聞き、ノイシュは強く眼をつむった。様々な思いが胸を交錯こうさくしたせいで、もう何も考えられなかった――


「……明日は久し振りに帰郷するんだし、無理しちゃダメだぞ」

 分かってる、と言う彼女の声に応じることも出来ないまま、ノイシュは急いで部屋を出た。 

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