第20話
スキル引き継ぎのチェックボックス。
そこにある【死因対応】のチェックを外した。
◆
濃い新緑の中、モンスターから必死に逃げる。
なにせ追いつかれたら死ぬ。死ねば蘇らない。
命は一つきりで、『特典』なんかもありゃしない。
それがきっと、『この世界の住人として生きる』ということだと思うから。
◆
集落へとどうにかたどり着くことができた。
しかし『人が一箇所に集まりすぎると
命懸けで功績を挙げるしかない。
それは俺にとって簡単ではないことだった。
『人が増えると死ぬ』という話を聞いて育つ人々に、『死』……
俺は集落になかなか受け入れられず、その周辺でモンスターを狩りながら野宿をする人というポジションを確立することになった。
これはもうほとんど『住んでいる』のと変わらない━━と、集落の人に判断されたらしい。
『彼女』が……
かつて、妻ともなった彼女が、仕方なさそうに俺に近付くと、
「……もう、囲いの中に入れ。お前は村に役立つというほどではないが、邪魔にもならないだろう」
そう言って、迎え入れてくれた。
それからの暮らしは『新人の駆除人』としてのもので、俺は知識こそあったが体力・腕力などは特筆するところもなく、当然ながら死んだら終わりなので、死なないような立ち回りをすることになる。
それでも全体としてはマイナスというほどでもない働きをして、俺は集落でどうにか居場所を確保し続けた。
そうして、数年後。
俺は、彼女の結婚を見届けた。
……目の前で見せつけられると嫉妬も強く湧くだろうという覚悟があった。歯を食いしばりながら笑顔を見せられるように、心の準備さえしていたのだ。
ところが伴侶を得た彼女は、まんざら『子を残す』という義務という感じでもなく幸せそうで、彼女がきちんとこの世界で『誰かと伴侶になる』ことを幸福と感じ、その果てに子をもうけるのだろうと、理屈ではなく、心で理解したのだった。
清々しい━━というのか。
彼女の隣に立っているのは、集落で一番の駆除人なのだ。
祝福された、優れた者同士の、幸せな結婚。
『正しい』感じがしたのだ。
俺という遺物が混入しない、この世界の正しい歴史が、目の前で刻まれている心地、というのか。
きっとここは、ゲームとして消費されるんじゃなく、こうやって細々と、しかししっかりと人が生きていくべき、そういう世界なのだと、深く深く、実感できたのだった。
翌日、村長に村を出る旨を伝えた。
「そうかい。……まあ、がんばりなよ」
引き留めの言葉はなく、そのための策謀もない。
素のままの俺が本来得るべき評価通りの言葉。
……そう、思っていたのだけれど。
「困ったら戻っておいで」
最後に付け加えられたその言葉が、あまりに温かく、あまりに優しくて、俺は泣きそうになるのを必死にこらえることになった。
◆
王都を目指す旅路は今の俺にとって死の紀行で、野宿は安眠できない日々が続いた。
モンスターの生態、というのか、敵対範囲、というのか、そういうプレイヤースキルめいた知識についてはさすがに引き継がずにいられなかったので、多少は『モンスターのいないルート』を選べるが……
来ないと集積した知識上で判断できたとして、怖い唸り声の響く真夜中の暗闇は、あまりにも強く不安を掻き立てた。
もう、やめてしまいたいと何度思ったことか。
それでも俺を突き動かすのは、義務感にも似たものなのだった。
彼女に会いたい。
愛すべき幼い女王陛下。従者に逃げられ今にも死にかけている彼女。
こんな世界になってなお使命に殉じる気高き少女の顔を一目見るまでは絶対に死ねない。
……時期は、まだ大丈夫なはずだ。
ようやく王都にたどり着いた俺は、最初の時のように図書館へと足をふみいれる。
もはやすべて読破してしまった本をながめ、その記述をじっと見ていると、それはたしかに日本語なのだけれど、ところどころ文法や言葉がおかしい点も見受けられるのだった。
翻訳文。
繰り返すたび、これがゲームの世界なのだという確信は強まっていった。
そして、日本産ではなく、どこか外国産のもので、引き継ぎ要素がちゃんと機能しているだけマシだけれど、紛れもなくクソゲーのたぐいなのだろうなと、もはや笑って受け入れられてしまうぐらいに、わからされてしまったのだ。
だからこの『おかしな日本語』は、精度の高くない翻訳ソフトを使ったものなのだろう。
「わ、わ、わ、我が城に、なんの用事ですかっ!」
……あまりにも懐かしい声。
幾度聞いても、幼い日の彼女とこうして出会う時には、胸がいっぱいになって、ついつい、涙しそうになってしまう。
初対面なのだ。
だから、知り合いみたいに声をかけてはいけない。
けれどあふれ出すほどの懐かしさが、親しさが、なにもかも彼女に打ち明けてしまいたいと俺の喉を震わせる。
今の彼女にどれだけ『以前までの彼女』との思い出を語ったところで、混乱させ、恐怖させるだけなのはわかっている。
それでも━━という想いに蓋をするのに、俺は深呼吸を五回もせねばならなかった。
「なんの用事かと、聞いているのです!」
片手に燭台を持ち、もう片方の手に剣を持った彼女は、俺があまりにも長く沈黙しているせいだろう、声を荒らげた。
俺は、ようやく、『初対面の感じ』を作って、応じる。
「俺は『駆除人』です。この城には……異世界に戻るための知識がないかと思って、訪れました」
……でも、長く使い続けた言葉遣いだけは、どうしたって抑えきれなかった。
女王陛下はきょとんとして俺の言葉を受け取って、首をかしげて、それから、
「…………本当に、来たのですか? 今になって?」
……『正しい』歴史は動かなかった。
◆
……そこからは、なるべく彼女が幸福に、女王たる者として君臨できるように努力した。
一周目を焼き直すように『国民』を集めるのは、今の俺には大変なことだった。
けれど必要なことだ。
女王陛下は一人では生きていけない……いや、人は、一人では生きていけない。
それは『人と人とのつながりは大事だ』なんていうロマンチストめいた話ではなくって、人よりはるかに強い化け物が
……一番大変だったのは、女王陛下を支え、そのお役に立てるよう死力を尽くし、生き方を教え、仲間を集め……それでもなお、女王陛下と一定の距離を保つこと、だった。
この世界で幸せになってもいい。
その言葉は消えないアザのように胸のあたりにずっとこびりついていた。
この世界の人と触れ合うたびにじくじくと痛むそのアザは、幾度『永遠にこの世界を繰り返し続けてしまおうか』と俺に思わせたかわからない。
でも、それは、しないことにした。
ここをきちんと『人の生きている世界』として向き合った時、やっぱり俺はどうしようもない異物なのだ。
俺はきっと、ヒーローになりたかった。
チート能力をもらって転移して、無双して、そういうことをしたいと、そんなあまりにも俗っぽい欲望がたしかにあった。
でもそれは俺の力では不可能なのだった。
誰かに与えられた力。
……まあ、天与のものだろうが自分の力には違いないのだという考えもあるのだろうけれど。
俺には、なじめなかった。
だから、俺はいらない。
身の丈通りでこの世界に向き合った時、俺はどこにでもいるモブキャラのようなものだし……
俺の英雄願望のために滅びるには、この世界は、あまりにも尊かった。
生きている人々は、あまりにも、愛しかった。
それこそ、自分の命と引き換えにしてもいいぐらいに、この世界の人たちのことが、好きだった。
……だからこそ、死ぬのがこんなにも、つらい。
━━ゲームを終わらせるための方法。
それは俺がモンスターをすべて倒して『クリア』してしまわなくっても……
俺が死んで、ゲームオーバーになるだけで、いい。
俺が死んで、それで
それでも、それこそが『モンスターがある程度生きたまま、この世界を存続させる』ために残された唯一の、試されていない方法に思われたし……
可能な限りの準備は整えた。
あとは、もう、この世界の人たちに任せていいだろう。
それ以上介入して『俺が、救ってやろう』だなんて、それはあまりにも傲慢だと、そう思うから。
人里離れた森の奥、最期の最後をここで迎える。
ねっとりとした濃い新緑のにおい。……初めてこの世界に降り立った日を思い出す。
……ずいぶんと彼女を待たせてしまった気がする。この世界で過ごした年数にして、ざっと数百年。
それでも、たぶん初日の出には間に合うだろうと予想している。
「さようなら、この世界」
生きていたかった。もっとあの人たちと過ごしたかった。
だからこんなに死ぬのがつらい。
死ぬのがつらい世界で、本当によかった。
だからこんなにも、この世界に救われてほしい。
木々の切れ間にはすでに朝日が差し込み始めていた。
胸に剣を突き立てて、空の白さを仰ぎ見る。
この世界で見る最後の日の出は、あまりにも美しかった。
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本日は2話同時投稿しております。次が最終話です。
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