第19話
新緑は濃いにおいを放っていて、風で木々がざわめく音はうるさいぐらいだった。
小鳥の声がないのが不思議なほどの場所で目覚めた俺は、懐かしさに思わず涙がこぼれた。
最初から。
すべてはなかったことになっている。あの
そして……俺が築いた人間関係も、すべて。
悲しくないわけがなかった。つらくないはずもなかった。どうしようもない世界そのものが恨めしく、けれどこの世界を見捨てることはしたくなかった。
たとえ誰も俺を覚えていなくても、俺はみんなを助けたい。
『いつか誰かと幸せになってほしい』だなんて言わない。俺がきっと幸福にする。
……ああ、なるほど。
思い返せばこれは、どうしようもない、俺の悪癖なのだった。
元の世界の彼女を不安にするのも当然だ。俺はまったくなんにも決断しないし、行動しない。好意を伝えない。自分から求めることを罪悪だと思っている。
この世界で、幸せになっていい。
どの世界でだって、幸せになっても━━望みを叶えても、いい。
……もちろん叶わないことはたくさんあるだろう。
でも、なにが自分の『幸せ』なのかを、人に示す努力ぐらいはするべきだったんだ。
……『君といて、幸せだ』って、彼女にちゃんと、示すべきだったんだ。
起き上がる。
行動を始めよう。
まずはこの世界で、俺は俺の
◆
鍛え上げた力と耐性を得た死因はおおいに役立った。
自分の特性を『スキル』と定義され、自分の能力を『ステータス』と定義される。
なるほど経験値で強くなり、体つきと腕力は関係ないわけだ。
腕の細さなど問題にしない理不尽な物理法則にあふれたこの世界は、身の丈をはるかに超えるサイズの化け物を人間大で相手取ることを考えれば『いい世界』と言えなくもなかった。
俺がしたのは、モンスター狩りだった。
あの
しかしこれは失敗した。いや、狩り尽くすこと自体は十年もあればできたのだけれど、目の前の目標に拘泥するあまり、大局が見えないことはなはだしかった。
この世界はとうに滅び、モンスターを狩って肉や皮、石材に代わるものや野菜さえ手に入れている。
もはやこの世界はモンスターなしには立ち行かない。
そんな世界でモンスターを狩り尽くしたらどうなるかなんて、ちょっと考えればわかることだったのに、俺はそれを考えられなかった。
『congratulations!!』
人の生きていけなくなった世界に安っぽいフォントが踊る。
クリア条件の確認にしかならなかった二周目のプレイはこうしてハッピーエンドを迎えた。
◆
モンスターの絶滅。
このゲームのクリア条件はどうにもこれだけらしい。
個別ルートさえない。倒すべき『巨大な悪』もない。
もしかしたらストーリーぐらいはあるのかもしれないが、説明されないバックストーリーの長さ、大きさに比べると実際に生きている『今』のストーリーに乏しい。
……間違いなく、投げ売りされているクソゲーなんだ、ここは。
確信が強まる。
世界観だけ用意して、いちおうの目標だけおいて、キャラなんかを配置だけして、完成品として放り投げられたこの世界。
でも、ここが『世界』になってしまった時点で、人は生きている。
だから、俺がいなくなったって生きていける環境を作らなければ、この世界は単純に『終わって』、未来もなく放置される。
畜産━━は無理でも、農耕だけは、始めなければいけない。
次の周回では種籾でも、種麦でもいいから、とにかく食べられて栽培できるものを探した。
◆
……そのようなものはなかった。
おかしいだろう!?
だって、たしかに『これ以前』の人たちは農耕や畜産をやっていたはずなんだ。ここに生きる年寄りたちは、たしかに荘園経営をしていたり、農夫として働いていたりといった思い出を語るんだ!
なのに、そういった植物がいっさいないのは、あまりにも……!
そもそも動物だって、さすがに絶滅まではしないだろう!?
寄生虫やら病原菌やらはいるのに、どうして食糧になる動植物だけ綺麗に消えてるんだよ……!
他の手段を……他の手段を探さないと……!
◆
……人間関係を見直しても、モンスターの討伐を調整してもダメだ。
クリア条件はモンスターの絶滅しかなく、決まったタイミングで必ず
その前兆として
そうしてモンスターの最後の一匹を殺した瞬間に『congratulations!!』が表示される。
……そもそも仮に誰か生き残っていたところで、衣食住を保障するために必要なモンスターが死に絶えたこの世界で、いったいどうやって生きていけばいいというのか。
……クソゲー世界にハッピーエンドは初めから設定されていない。
なにより俺は周回を重ねるたびに、あれほど『生きた』はずのこの世界のことをゲームだとしか思えなくなっていった。
失われた人命を『次こそ救う』だなんて思ってみても、『次』を想定するその時点で間違っている。
生命の無二性、というのか、不可逆性、というのか、そういうものを俺はもはやいちいち自分に言い聞かせないと感じとることが難しくなっているのだった。
なにかが擦り切れていく。
それは大事に大事にしていたもののはずだった。名前をつけてはいけない、定義してはいけない、大事なもの。カテゴライズした瞬間に価値を落とす、人が人として持っている、理論化できない『なにか』。
周回を繰り返して人命の潰えるのを見送る行為は、その『なにか』を硬い石でざりざりとこする行為だ。
しかも『なにか』は布のようなもので、当然ながら擦り切れてボロボロになっていくのに、定義化できないものだから、その状態を正確にはかることは自分にはできない。
もう、あきらめるべきなのか。
せっかく幸せを目指したのに。
せっかく自分の願望を表現する大事さに気付けたのに。
……臨めばすべてが叶うだなんて思っちゃいないけれど、自分の望みを表現する大事さに気づいた最初に一回ぐらい、成功体験で終わってはくれないのか。
それとも。
『人生はそういうものだ』なんて、斜に構えて、あきらめて、削られてボロボロになった痛みににぶくなることが、『成長する』こと、なんだろうか。
わからない。いったい、どうすれば……
「…………あ」
不意に、頭によぎることがあった。
このゲームをクリアする条件は、たしかに、俺がモンスターを倒しきるしかないのだろう。
なにをしたって、俺が所定日数をこの世界で過ごしたタイミングで
でも、それ以外の方法もあったんだ。
……次でどうあがいても最後になる。
死体にまみれた世界に別れを告げ、白い部屋へとまた踏み入ろう。
『この世界で生きている』という自分の思い上がりに気付いてしまって、恥ずかしいような、情けないような気持ちだ。
幾度目かの人生。
俺はようやく、『この世界の人になる』ということの意味を理解した。
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